「おし、完了」
そう重くもなく短くもなかった沈黙の時間をやぶって、ポンと耳に届いた言葉。それはキッチンの主のひとりごとでなく、俺に告げられたものだった。
そして触れたら 4
適応力が強いのか、コックはニ日すぎにはもう、ひどく自然に俺の『要望』にこたえるようになっていた。三日目も終わりになる今では、「利き腕の方が力が強い」というような当たり前のキマリごとみたいに自分の行動を俺に知らせてくれる。
今のは、皿洗いが終わった、ということらしい。
テーブルクロスを替えるのは俺が椅子に座る前にやってたから、これで晩の後片付けは終了だ。明日の朝食のしこみもおわっている (一日中そばにいるので、俺もコックの日常にけっこう詳しくなった)。
「お前は?、まだ飲むか?」
濡れた手をふき、それからエプロンをはずしつつサンジが尋ねてきた。
――――本当に適応力がある。
つい感心してしまう。
『俺と一緒にいる』のが当たり前だから、逆に俺の都合まで気にするようになっているのだ。
――――お前は、もっと自己中なヤツかと思ってたんだがな・・・。
俺が飲むと答えたら、こいつもそばに居残るつもりなのだ。つまみを追加してくるかもしれない。
自分の都合のみで俺を振り回すんだろうと思ってたが(それでもまあ仕方がないと覚悟していたが)、意外にもそうではなかった。
なんだかんだ長く客商売をしていたおかげなのか、やろうと思えば他人と協調することもできるらしい(普段からやれよ、という気もするが)。
酒はまだグラスで二杯ほどしか飲んでいない。
最近(つまりサンジのそばにいるようにしてから) 控えるようにしていたが、二杯ではさすがに物足りなかった。
俺の表情で察したのか、コックはそのまま俺の対面の椅子に座る。
時間は夜十時過ぎくらいだろうが、ほかの連中は下の船室にこもってるようで俺たち以外ここにはいなかった。静かだ。
飲み始める前にグラスを出してくれたのでラッパ飲みはしていない。俺はカラになったグラスにまた酒をたっぷりそそいだ。俺用の酒だから、全部あけても文句は言われないだろう。
サンジはつまみの追加を尋ねてきたがそれは断った。せっかくエプロンを外したのにまた作業させるのもどうかと思うしな。
「お前も飲めよ」
言われずともそうする気だったようで、即答でうなずいた。
外は月が出ていた。
サンジが外に出たがったので甲板で飲むことにした。
手すりに背を預けて、ふたりいくらかキョリをおいて並んで座る。いつもそうだ。
ふと上方の見張り台に目をやる。そこには当番のウソップがいるはずだったがここからは見えなかった。
夜は航海していないので現在船は海の上で停泊中。ログの確認作業が必要ないから、こんな日のみはりはけっこうラクだ。のん気こいて寝てるのかも知れない。まあ俺たちが起きてるから問題ないが。
起きてるとしたら、ウソップからはこっちが見えてるのか、少し気になる。
――――ジャマが入んねぇといいな、
と頭のどこかが思った。
なんのジャマかは自分でもハッキリしないが、今の雰囲気は悪くない。
俺の横で、ケラケラ笑ってるサンジは悪くなかった。
「ローグタウンでさ、この辺の海じゃとれない魚が売ってたんだぜ」
大きさを表したいのか、ヤツは両腕を広げて変なジェスチャーをしてみせた。グラスを持ったままやったので中の赤い液体がこぼれて左手をぬらしたのにも気づいていない。
もう酔いが回ってきたらしい。
グラスでまだ五六杯だ。俺には考えらんねぇ燃費のよさだ。
機嫌よく、話題をぽんぽん飛ばしながらしゃべるサンジ。
自分からべらべらしゃべる時もあれば俺になにか話せと強要する時もある。こいつの酔い方は多岐にわたっていたが大体このふたつだ。今日は前者だな。
「でさ、きっとオールブルーから来た魚なんじゃねぇかと思ったワケだ。カルメンちゃんともそこらへん話したかったんだがな・・・。あ、ジジイが言ってた可能性ってのもアレのことじゃねぇの?!」
「・・・・・・」
―――― さっぱり分からん。
『かるめんちゃん』というヤツも知らんし、『アレ』というのがなんなのかも微妙だ。変な魚がとれたことか?。『可能性』ってなんのだ?。
とりあえず、『ジジイ』というのはヒゲのオッサンのことだ。こいつがコックやってたレストランのオーナー。
「俺もいつかあの魚みてぇにオールブルーを泳ぐんだ・・・vv」
―――― そーかよ。
泳ぐのが目的なのかこいつは?。
適当にあいづちうってやったり無視したりしつつも、実を言うとオールブルーってのが何かよく分からない俺。そういえば、こいつの旅の目的も知らなかった。
以前、
「オールブルーを見つけるために!」
と言ってたのは覚えてるが、その時も、
「・・・・・・・・そりゃなんだ?」
と内心首をかしげていたくらいだ。
有名なものらしく、メンバーの誰もつっこまなかったし、そんな雰囲気じゃなかったので流してしまっていたんだが。
こいつの夢、ね・・・・・・・。
そのオールブルーとかいうのを泳ぐのが夢?。いや、料理人なのにそんな水泳選手みてぇな夢ってのはちょっと・・・・・・仕事と夢は別か?。
そいやこいつは泳ぎが得意だ。おぼれてるルフィを何度も助けてるしな。荷物を持って泳ぐってのは(しかも着衣のまま)、けっこうむずかしい。
でも、ケラケラ笑ってるサンジは(酔いのせいだけでなく)幸せそうで、俺もなんだかまんざらでない気になる。
―――― かなうといいよな。お前の夢も。
「・・・・・・・・・・」
そう思った途端、俺は全身に冷水を浴びた気分になった。
忘れかけていた恐怖を思い出す。
夢?
オールブルー?
それはどのくらい先の話だ?。
夢がかなう頃、こいつは――――――――
――――・・・。
「おしっ、オールブルーでもちゃんと泳げるよーに、俺ちょっくら練習してくるわ!!」
俺が我に返ったのは、サンジの突き抜けた声のおかげだった。
は?、と思って目をあげるとそこには酔っ払いの姿はなく。
直後、水面になにかが落下した水音としぶきがとんできた。
――――バカかーーーーっっ!!。
全身に冷水を浴びたような気分になってた俺は、本当に全身に水・・・海水だが・・・をあびるはめとなった。
よっぱらいというのは迷惑な存在だ。
もともとアイツは迷惑な存在だが。
夜の海に飛び込んだサンジをすぐさま追った俺は、いやがるアホをなだめてすかして怒鳴りつけ、ようやく陸・・・もとい船に戻すことに成功した。
アホはまだ泳ぐ練習をしたいだとか魚人に負けないだとか言ってたが、そこは拳でだまらせる。
見張り台にいたウソップが何があったのかと慌ててこちらへやってきたが、事の次第を見てあきれて言った。とても有意義なひとことを。
「とりあえずフロ入ってこいよ・・・」
風邪をこじらせるというのもけっこう危険らしいので (ひいたことがないのでよく分からねぇが)、俺は急いで風呂場に連れて行った。
サンジは完全に酔っていた。
酔いが回ったところで運動したから さらに悪いほうに回っちまったらしい。ぐでんぐでんで四肢に力が入ってていない。俺は荷物を運ぶ要領でヤツを連行する。
意識のない動物というのは自分で自分の身体を支えようとしていないので、実際より重く感じる。まあそれでも外見から分かるようにこいつは軽い部類だが。
風呂は、幸いまだ湯がぬかれていなかった(湿気るから、最後に使ったヤツは水の始末をしろとナミにいつも言われてるんだが、忘れたのだ。―――― 俺が)。
どうせもう濡れてると思い、服をきたまま湯船につからせる。自分じゃ脱げそうもねぇし、ヤロウの服をはぐ趣味は俺にはない。
意識がはっきりしていないので、湯につかるサンジをひとりにできない。
今までの数日間は入浴中はさすがに外で待っていたんだが。今の状態だと溺死しかねない。
俺は湯船の外でメンドウをみてやることにした。
こいつといると、しなくてもいい苦労やメンドウが多いとつくづくあきれる。ルフィもそうだが、いるんだよな、メイワクな人種ってのは。俺みたいなまっとうなヤツが苦労させられるぜ。
残り湯はまだ熱かったものの、サンジの二の腕の半ばほどまでしかなかったので慌てて足した。冷えきった肩や顔に湯をかけてやる。
その水の感触が不快なのか、湯をすくってかけるたびにサンジは眉をしかめた。が、暖かくなってきたのが分かったらしく、抵抗がじょじょにやんでいく。
ホッとするのと一緒に、ホントに子守りしてる気分になった。赤ん坊の湯浴みってのもこんなカンジかもしれない。
「・・・・」
うとうとしていたサンジが、うっすらと目をあける。
なぜ自分が風呂にいるのか?、と しばらくフシギそうに風呂場を見回していたが、その視線を俺に固定すると、
「わりぃ・・・」
小さな声でそう言った。
「・・・・?」
「言うの忘れてた・・・」
「何を」
「海入るって言う前に入っちまった・・・」
あ?。
一瞬イミが分からなくてボケッとしちまった俺だが、俺との約束をやぶったことをわびているのだと気づく。
――――『事前に行動を説明すること』。
確かにそれをしないで(いや、「ちょっくら泳ぐ」とかは言ってたが言う前に飛び込んでいた)急に消えたな。
――――アホなヤツ。
そりゃ、入る前に言ってくれりゃ、首根っこつかまえてでも止めてやったんだがな。
しかし、本当に申し訳ない、といった様子でうなだれるこいつを責める気はなくなって、俺は苦笑した。
「許してやるよ。俺がすぐ追いかけたからな。問題ねぇ」
そんなことより、ちょっと酔ったくらいでああも奇行に走っちまう方が問題あると思う。
ひとりで飲ませられねぇじゃねぇか?。最悪の場合、あのままおぼれるっつーことだってあるだろう。
――――溺死か・・・海賊がそれじゃシャレになんねぇな・・・。
俺がそばにいたことでそれは防げたよな・・・ひょっとして、これで『死』を回避できたんじゃないのか?、そう都合よくは・・・いかないか?。
つい考えてしまう。
サンジはそんな俺をただ見ていた。『何考えてんだろ?』、というカンジだ。
ネコとかがきょとんと人間を凝視している様子に似ていて、ひとり深刻な自分がバカらしくなった。
無防備なことしてんなよな。
目の前の人間が、この上なく愛らしいもののように思える。相手は凶悪コックだというのに。
「俺がいなかったら溺死してたかもしんねぇぞ」
酔っ払いに言った所で効果はあやしいが、ついたしなめてしまう。言葉のわりに甘やかすような声になってしまって、なんだか気恥ずかしくなった。
「あー、それで死んだら遺書も書けねぇなぁ。はっは」
何がおかしいのかサンジは笑った。動いた拍子にバランスを崩して湯に沈みそうになるのを腕をつかまえて支える。
びしょぬれのシャツは腕にぴったりとはりついていて、温かい骨をそのままつかんだような感触と。
―――― 遺書。
むこうは本当に何の気なしに口にしたんだろうが、その言葉はやけに俺の中に響いた。
「――――お前・・・遺書、残したいのか?」
「遺書つーか・・・んー、まぁそんなガラでもねぇか・・・、でも、言っときたいこととかはけっこーあんなぁ・・・」
ふにゃふにゃと湯船につかったまま、サンジはやはりふにゃふにゃした声で言う。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・っ」
言葉が返せない。
「――――おい?」
「どしたんだよ、すげーこえぇカオしてるぞ」
左の二の腕をつかんだままだった俺の手にサンジが指を触れさせる。俺の注意を喚起するというよりは、案じているという感じに。
あわててサンジに目を戻すと、怪訝そうに俺を見上げていた。目が青い。
「・・・・・・・・」
分からなかった。
俺は考えたようでいて、何も考えていないんじゃないかと思った。
例えば死期が分かったとしたら。
その残された時間を、どう過ごすか決めるのは本人じゃないのか?。
遺書、という言葉に俺は情けないほど動揺した。
こいつだって・・・。
死ぬ前にすべきことがあるんじゃないか。
あのレストランの連中と話すとか。
ルフィやほかの仲間とだって、・・・。
このまま、知らせずにいていいのか?。
そう、
遺書を――――――――
・・・・・イヤだ―――――――― !!!!
その響きは、考えまいとしていた『死』を否応ナシに呼び覚ます。
こいつが死ぬ前に残す言葉。言っておきたい言葉。
そんなもの書かせたら――――
死が、現実になってしまう。
そんな気がする。
「・・・遺書なんてよせよ」
「んー・・でも、言いたいコト書いてどっか置いとけば、そのうち誰か見つけてくれっかもしんねーじゃんか。黙って死ぬのもなぁ・・・そんな美学ヤだし」
「じゃあ俺が聞いとくから・・っ」
酔っ払いとの会話だ。
サンジはしたたかに酔ってて、考えて発言なんてしていない。意味のない問答。
それでも、俺はハタから見たらこっけいなほどに言いつのる。
遺書を書かせたくない。それだけのキモチで。
「お前が死ぬ時はちゃんと聞く。きちんと覚えておくから。だから遺書なんて書くな」
「えー・・・お前がいなかったらどーすんだよ」
「ずっとそばにいる」
「ずっといる」
「死ぬまでいる」
考えて発言していないのは俺のほうか?。
遺書を書かせたくないのは死なせたくないという思いからなのに、いつの間にか、死ぬ時は看取るなんて話にしてしまっている。
「・・・・・・・・・・・・・」
サンジが黙った。
俺の剣幕に驚いたのか、酔いが覚めたように目をみはっていた。
それから、こくんとひとつうなずく。
拍子に、髪からぽたりと水滴が落ちた。
「そか、うん・・・ならいーや。遺書書かねぇでいいや」
「そうしろ」
「そばにいる」
「―――――――― 死なせねぇよ」
初めて、口に出した。
言葉にして、相手にそれを誓ったら。
それは、『約束』だ。
―――― 死なせたくない。
―――― 望みは
――――お前を死なせないこと。
心の中では、何度も繰り返してきたが。
その青い目を見据えて。
声に出したのは。
この男と。
『約束』を交わしたのは。
それが、最初。
この話、サンジさんシラフの時間のが少ないなぁ・・
伊田くると
ルフィ 「ゾロは約束マニアだけど、ナミとの約束はあんま守ってねぇよな」
ゾロ 「・・・・・・・ありゃ約束じゃねぇ、脅迫っつうんだ」
ナミ 「そーゆーセリフは借金を返してから言いなさい。ああそうだ、ドスコイパンダの春物バーゲンがあるの、前日の夜から並んでてちょうだい。約束ねv」
ゾロ 「・・・・・・・・・・・・・・・」
03 2 16