俺がしなければならないことは、ただ忘れることだった。
悩むことは何もなく、いっそ味気ないくらいだった。
悩む必要はない。考えずとも、強く思い知らされた。
カンタンなこと。
―――― つまり、俺はヤツにとって仲間ではなかった、ということ。
被害者の言い分 .2
久しぶりに土を踏んだ。
カカトからつま先に体重を移動させて歩いていく。返ってくる感触が、船の甲板とはまるで違う。
陸地。
産まれたのは陸のはずなのに、俺にはどこか違和感を覚えさせる場所だ。
ひっきりなしに揺れる足場の方が落ち着くというのも おかしな話だけどな。
買い出しの下見だと言って、真っ先に船をおりた。
みんなはきっと、今ごろナンパでもしてるだろって思ってるよな。
ログがたまるまでは自由行動。
普段狭い世界で始終 顔つきあわせてるから、たまには別れて息抜きしないと、ってコトで、陸では互いの行動にいっさい不干渉。
当番で船番を決めて、あとはそのまま港で解散、というのがこの船のパターンだった。
今回はまとまった部屋数も確保できなかったから宿泊場所も別になった。俺としては嬉しい展開だ。
寝こけてた野郎のおかげで運よく船番もまぬがれたし、三日間、ひとりでいられる。
大通りから一本外れたストリートをあてもなく歩きつつ、さて、どうしようかと思案した。
とりあえず船からは離れたが。
―――― 自分が『立ち直るため』の方策を練るというのもどこか滑稽だ。
なんか、テメェに酔ってるってカンジだよな。
この際、思い切り泣いてみるとか。冗談じゃねぇって。
浴びるくらいに酒でも飲む?。食いモンはムダにしたくねぇから却下。
優しいオネーサンに慰めてもらおーか。―――― 口説ける気分じゃねーや。
結局。
小さな宿に部屋をとって。
キレーな景色でも見て。
船の連中から離れて、ボーっとしてりゃあ、元気もでるかな。
晴れ渡った空を見上げて、そう結論づけた。
選びもしないで、目に付いた『INN』の看板の横の扉を開けた。
わりとさびれた木造の建物で、二階が宿屋、下は酒場という造りになっている。
シングルの部屋をひとつ予約した後、そのまま酒場の隅のテーブルに陣取った。
まだ昼間だし、ヤケ酒ってのは好きじゃないからやらない。
なんとなく、ひとりで部屋にこもってたら、マジで泣きたくなるよーな気がしてきて、ヒトの気配のそばにいたかったってのがホンネだ。
とはいっても、店には景気の悪い顔をした給仕がひとり、新聞を広げているだけなんだが。
とりあえず頼んだ甘いカクテルをひとくち口に含む。
―――― 今ごろアイツはどうしてるんだろう。
ゴーイング・メリー号を思い浮かべた。
俺の予想通り、ヤツは港についても起きなかった。
ナミさんが置き手紙を残して (今日と明日の船番を任せると、一方的な命令書だ。不平を言わず寝ていた方が悪い)、そのままみんな陸におりたから、言葉は何もかわしていない。
―――― ホントによく寝るんだな。
頭のどこかが白けた。
全然、いつも通りだよなオマエ。
―――― ヒトに、あんなコトしといてよ。
何も感じないのだろうか。そこまでどうでもいいということか?。
手をついて謝罪されたら気が済むのかと言われれば もちろんノーだ。
別に、謝って欲しいとは思ってないしな。
―――――― ただ俺は ――――――。
「まずそーに飲むんだなオマエ」
全然減ってないカクテルに、また口をつけて ひと口だけ嚥下した時、斜め後ろから声がかかった。
知らない声だ。
億劫に感じたが首だけめぐらせて振り向いた。
「・・・・」
やはり知らない男が立っている。
ひと目で分かった。一度会ったら忘れねぇだろう、見たこともないほど真っ赤な髪。
―――― 地毛かな?。すげー色。
そんなことを考えてると、男は俺の前のイスをひっぱって腰をおろした。
ほかにも席はたくさんあいている。つーか全部あいてる。
宿と兼業だから一応営業はしているものの、まだ昼過ぎなのだ。
「俺もここで飲んでいーか?」
座ってから男は尋ねた。
尋ねた、といっても、俺がイヤだと答えたところで 聞く耳持つよーにも見えない。
その強引さは、俺が乗ってる海賊船の船長を なんとなく想起させた。
「勝手にしろ」
線の細いグラスをテーブルに戻しつつ、俺は答えた。
そのまま男から視線を外す。
何を考えてたのか、思考の途絶えた場所を思い出そうとしたが出てこなかった。悩むっていっても しょせんこの程度だ。
―――― 実際には、別にそんなにショックでもないのかもしれない。
そうも思う。
ひとりでムダに深刻ぶってるだけなのかもしれない。
ホントにショックだったら、『いつも通り』を演じるなんてできねぇかな?。
泣いてわめいて そこら中のモンぶちまけて、自殺してやるとか言って海に飛び込むとか――――・・・、
――――――アホらしい。
なんだか冷めた俺の視界のすみで、男がにぎやかな口調で注文をしていた。人のコトはいえないが、日も高いのに本格的に飲むつもりらしい。
パッと見、とてもカタギには見えなかったが、労働者ではないんだろうか。
給仕が大量の注文を紙に書き付けて去っていった。
ヒマな時間帯で店員もひとりだけだから、つまみ作りが大変だろう。料理人のサガなのか、つい心配になる。
―――― ああ、ボーっとしてるより、料理してた方が俺にはいいかも。
料理してる時は楽しい。
考えることはそれだけに占領されるから、よけいなことを思い煩うこともない。
「元気ねぇな」
また男が話しかけてきた。
「そりゃな」
グラスをいじりつつ答える。
元気なんかあるわけない。
今まで、必死にフツーのふりしてたんだ。仲間から離れて ひとりになって、もう虚勢を張る必要はなくなった。
暗いカオくらいしたっていいだろう。
心配するヤツもいないんだ。
それきり、男は黙った。
俺もわざわざかまってやる気なんかないから口をつぐむ。灰皿には短くなった俺のタバコが数本つぶされていた。
新しい一本を出そうと胸ポケットをさぐったとき、給仕の男が盆を抱えてやってきた。
テーブルに載せられたものとそのニオイに驚いてしまう。思わず目をみはった。
並べられたのはミルクにホットケーキ。バナナパフェ。チーズケーキにパウンドケーキ。チョコドーナツ。あとオレンジジュースも。
全部二個ずつだった。
「ほれ、見てないで食え」
唖然としている俺に、赤髪の男は右手でフォークを投げてよこした。
ついキャッチしてしまう。
――――酒場なのに、よくこんなメニューあるなぁ・・・。
かなりビックリだ。
後でメニュー表を見たら、酒場オンリーでなく軽めの食堂だった。雰囲気からそう思い込んでいただけで。
普段なら、初めての店に入ったらまずメニューをチェックして、知らないものなんかを発掘しようとかしてる俺だが、そんな気力がなかったんだと再確認した。
――――でもそれにしたって・・・・。
目の前の男はどう見ても俺より年上だ。
若々しいし、ちょっと年齢不詳なカンジだが、かなり上だと思う。そんな男がホットケーキって おい・・・。
酒場でナンパ目的で酒をおごられたことはあるが、こんな風変わりなのは初めてで、なんとなく すげなくできない。それが狙いだとしたら大した野郎だが、そんな あざとさも見えなかった。
男はさっそく勢いよく食べ始めている。
甘党なのか、ホットケーキにはシロップをたっぷりかけていた。あれじゃ甘すぎる気がする。
「・・・・・・」
その食欲に つられたわけでもないのだが、俺も湯気をあげるホットケーキにナイフをさした。
ひと口食べたところで、昨夜から何も食べていないのに気づく。
船での朝食は、ただ給仕するだけだったのだ。尋ねるナミさんとウソップにはもう食べたとウソをついて、ルフィにおかわりをよそってやって。
食欲はないままだが、胃はやっと食事が送られてホッとしているようだった。
湯気を上げるホットケーキ以外は、できあいのものを切って皿にのせて出したものだった。それでも、男はおいしそうに食べている。
「食えば元気になるだろ」
見ていたのに気づいたのか、男は食事を中断して俺に笑ってみせた。人好きのする笑い方だ。
「・・・・ああ」
そうだな。メシってのは偉大だ。
いつもは食わせる側なのに、逆にそんなことを言われるのも悪くない。
奇妙な男だが、こいつのおかげで 本当に気分が少し癒されたと思った。
だから。
「しょげてちゃカワイイ顔が台無しだな。フラレでもしたのか?」
あえて、だろうか、軽く水を向けられて。
俺は、もし知り合いだったら死んでも言わないような・・・、それこそ、ついさっきまでは墓場まで持っていこうと決めていた昨夜のできごとを、洗いざらい、うちあけてしまった。
俺を見たその男の赤い目が、おごってもらったホットケーキより暖かく見えたから。
BACK
2001 12 22