―――― 中学時代、水野竜也と自分の関係は いびつなものだったと思う。
大人ぶった気でいたが、自分のしたことは決して正しくはなかった、と今になって後悔している。
自分がもっとしっかりしていたら、もう少し大人だったら、またはもう少し子供だったら、まっすぐでいられたら、もっと正しい関係が築けていたと思うのだ。
―――― 今でも、後悔している。
だからその手は
あの頃――――
出会った頃、
ひとつ年下のその子供はとても不安定な目をしていた。
父から離れ、名門武蔵森でなく ごく普通の公立中のサッカー部に所属。
小奇麗な容貌も ずば抜けたサッカーセンスも、すべてそこでは悪目立ちの要素にしかならなかった。孤立を余儀なくされる。
―――― サッカーしたいのにできない。そのジレンマと家庭環境と。
水野はくさっていた。
が自分で状況を打破しようとはしなかった。できなかった。いや、そんなこと思いつきもしなかったんだろう。
彼は幼くて、外社会に世慣れてなかったのだと思う。
水野を見ると、どれだけ彼が甘やかされて、かわいがられて、大事に育てられてきたかが分かるから。
水野と親しくなってから、藤村は父・桐原との確執を打ち明けてもらったけれど、息子が言うほど冷たいひどい人間とは思わなかった。
そんな人間だったら、水野がこうは育ってないだろう。
彼は愛されている。自分などよりよほど。
だからこそか、当時の水野には自分ひとりでやっていくという気概はなかった。
急に孤独になってしまったことに不安を持っていて、寄りかかれる壁があるならと無意識にそれを探していた。
強気なのに本当は弱気。
攻撃的なのに実はもろい。
プライドは高いが自虐的。
それがおぼっちゃんらしい彼の性格。
夕暮れ時、河原の土手で初めて会った。
出会ったのは偶然だったが、親しくなるのは早かった。最初は不良だのと警戒されたけれど。
いったん心を開かれてからは、水野の自分への執着は異常なくらいだった。本来 親にでもいく依存心が、まんま こちらに来た感じだ。
水野にとって、自分は ただひとりの彼の理解者だった (らしい)。
彼の価値基準の多くをしめるサッカーでも、型にはまっていない (我流だから当たり前なのだが) プレイスタイルに憧れを持たれていたようだ。
水野は父親の教育を強く受けている自分のサッカーを どこか嫌悪していた。
サッカー部の先輩はじめ部員とは依然うまくいってなかったけれど、もう それにはこたえていなかった。それ以上の存在が現れたから。
『お前がいればいい』、という無言の、でも強い執着をむけられて、快感を覚えた自分がまた馬鹿だったと思う。
友達やライバル、チームメイトという枠を、すっと越えてしまった関係だった。
どうすればいいか分からない暗い不安の中にいた水野にとって、藤村は探していた壁だった。寄りかかってもいい耐久性のある壁がやっと見つかって、どれだけホッとしただろう。
意地をはっていたものの本心ではいつも自分に甘えたいと思っていて、痛いほどの信頼を寄せていた水野。
その気持ちが分かったから、藤村もまたそう仕向けたし、甘えさせたし信頼にこたえた。より依存させようとしていたのかもしれない。
水野が望む形を与えることで、水野を手元におこうとしていたんだと今ではわかる。
彼に必要とされることが、自分の価値につながって自分の存在を確かめられた。頼られると嬉しくなった。自分こそ彼に執着していたのだ。
始めはそれに気づかず、迷い犬みたいな年下の子供にサービスしてやってるんだと勘違いしていた。
お互い無意識の執着と依存と自己愛とで成り立っていて、だからか、お互い相手への感情を恋と勘違いしなかったのは良かったのか悪かったのか。
藤村にとって水野は恋をする相手ではなかった。スキとかキライとかいう次元ではなかった。
でも、それ以上の関心と想いを持つ相手だった。
友達に肉親を足して、あとやはり恋人もプラスして、そんないろんな要素が混じった、強い思い。
そんなものがひとりの人間に収束するというのは、やはりいびつで重すぎて、破綻に近いことなんだろう。
水野もそうだ。
水野も藤村に恋愛感情をもったことはないだろう、と藤村は思っている。
自分はそういう対象ではないのだ。
けれど、藤村が不特定多数でなくひとりの女子と親しげだと彼は怒った。口でなく態度で。
表情ですぐ分かるのだ。こっちを見ろと、全身で言っていた。
―――― (その子と俺とどっちが大事だ?!)
当然それは水野でなければならないのだ。
別格に扱われること、藤村の特別になることを嬉しく思い、そうでなくてはいけないと考えていたのだと思う。
―――― こんなのは恋愛じゃない。
水野が自分に求めているのは『包容力』であり『無償の愛』だ。
肉親への思いでなくてなんだろう。重い荷物を持ったことのない自分には、時折うざったくなるほどの、強い、それ。
誰にも言わない過去の話をすると水野は喜んだ。
水野が藤村の過去に向ける同情は水野自身にも向かっていた。
自分たちは不幸で、似ていて、慰めあえる―――― 狭い檻の中で互いしか知らずに生きる動物みたいな様相だろう、傍目には。
家に呼ぶのも水野だけ。自分の事情を知ってるのも水野だけ。
自分は水野の壁。寄りかかられる。寄りかかる。それでお互い安心する。
甘えあっていたと思う。
が、罪が重いのは自分の方だろう。歪んでいく、その自覚が少しはあった。
水野に依存させて自立性を奪って、自分の方に引き寄せたかった。それは、彼を思うならしてはいけないことだった。
今、関西に越して彼と別れたのは正解だったと思う。
半身を失ったような気がするほどの喪失感はあったが。
水野にとって自分との関係はいずれサッカーにも(つまり彼の将来にも)響く。
自分に自信のない司令塔なんて生きていけない。
自分で判断できないプレイヤーなんてやっていけない。
一緒にいたら水野はだめになる。そう決断した。
未練と一緒に東京に残してきた水野に、今日まで自分から連絡はとらなかった。水野からもなかった。
ケンカ別れしたわけではないが、互いに離れなければいけないというのを感じていたのかもしれない。
たまに、サッカー関連の行事で顔を合わせる、水野との関わりはそれだけになった。
あわただしい中、軽くアイサツしてちょこっと話をして。
藤村の目には、彼が高校という新しい環境でそれなりにうまくやっているように見えた。
中学時代に出会った東京選抜の面々とも交流があるし、父との確執も薄まって今ではその父の監督するサッカー部に所属している。
もちろんレギュラーで、ストライカーの藤代とはベストコンビなどと呼ばれ騒がれている。
うまくいっていると思っていた。
なんとなく、その延長なのか、藤村は水野が恋愛でもシアワセになると思っていたのだ。
元マネージャーだった小島有希のように、水野を外見でなく中身で判断できるような女の子と いつか出会って。
不器用でも、いびつだった自分達とは違う、互いのためになる関係を作れるだろうと。
その女の子は小島みたいな強気の姐さんタイプかもしれないし、もしくはおとなしくて でも芯が強い、水野をずっと支えてくれるタイプでもいいな、なんて考えていた。たまに自分をオトンかとツッコんでしまうのもムリはない。
でも。
もし、自分の手を離れて、
水野がシアワセでないのなら。
もう一度、その手をつかんで引き寄せても、いいんだろうか。
★★★
学園寮になんて そんな簡単に部外者が入れるものなんだろうか、と少し疑問だった藤村だが (といっても侵入する気マンマンだったが)。
寮には もう寮生には公然なんだろうなと思わせる裏出入り口があり、藤村は難なく建物内に迎え入れられた。
さすが私立。さすが文武両道の名門校。
3階建ての学生寮も小奇麗な作りだ。まだ築5年ということで、普通に家賃をとってもいいような建物である。
寮生は二人部屋で、3年になると ひとり部屋がもらえることもあるらしい。
「たつぼん大丈夫やの」
神経質な彼に二人部屋はきつかったのではと尋ねると、細めの眉を下げてため息をつき、
「そりゃ最初はな・・・」
家に帰りたくてたまらなかったらしい。
ひとりっ子で小さい頃から個室が与えられていた環境だったんだから さもありなんだ。でも今では相部屋のヤツがケータイでべらべら話していても眠れるようになったそうだ。
これは成長か、ず太くなっただけだろうか。
とりあえず成長とみなし、藤村は「偉くなったなぁ」と頭をなでてみた。
というか、ムースも何もつけてない天然茶髪に さわりたかっただけかもしれない。
寮監はいるが、わりと放任主義の肝っ玉かあさんらしい。部外者の藤村は堂々と施設を歩き回ることができた。食堂と玄関受付をのぞいてだが。
娯楽室なんて昔ぽい名のついた大部屋で、渋沢とアイサツをする。
高校でも またもキャプテン、そして寮長でもある彼はますます渋くなっていて笑えた。
スーツなんか着たらもう社会人にしか見えない。しかも新卒でもなく そろそろ所帯を持つかなみたいな。
藤村が茶化すと まわりの連中も遠慮なく笑った。水野はキャプテンを尊敬しているらしく「そんなには老けてないだろっ」と怒っていたが (しかしそのフォローこそ失言だ)。
寮にいるメンバーはみんな運動部関連。
しかもサッカー部だらけだったから、こちらを知っている者も多く、「関西のヤツがきた!」といじられたりする。
関西の強豪校のチームのことを聞いてきたりもするが、「大阪弁しゃべって」という無邪気なリクエストもあった。藤村のは正確には京都弁だが、その辺は関東人にはあまり差が分からない。どすえ、なんて言わないし。
水野の登場で10番の立場を奪われた因縁の3年・三上亮とも藤村は初めて話をした。ふた言み言だが。
水野との仲が実は心配だったが、悪そうで悪くないようだ。
ちなみに三上は今はサイドにコンバートされているそうだ。ひとつ年下の司令塔のことは彼なりに認めているようだった。
ただ、水野の友人が教えてくれた所によると口ゲンカはしょっちゅうらしい。
つまらないことで互いが互いにつっかかり、怒鳴りあいになることも珍しくない。渋沢か藤代がとめないと ずっとやってるのだそうだ。
水野は実は沸点が低いヤツなので キレてキンキン怒鳴っている姿は容易に想像がつく。藤村は話を聞いて笑った。
尊敬する渋沢にいさめられて ハッと我に返るのだろう。
が、藤代の名前も一緒に出てきたことがかすかにひっかかった。
チームメイトの雑談。誰かのヘッドホンからもれる曲のかけら。BGMなのか つけっぱなしのテレビ。たえず聞こえるバタバタいう足音。
―――― 水野が2年間過ごした寮。
居心地は悪くないようだ。
大勢と騒ぐタイプでないのは相変わらずだが、優しげな友人と楽しそうにしゃべっていたりする彼を見るとホッとする。だからオトンかっちゅーの俺、と藤村はまた自分にツッコんだ。
ふと時計を見るともう10時だ。
今も十分騒がしいけれど、さらにうるさいあの声がない。
「なぁ、藤代は?」
友人に、藤村が練習をサボって東京に来たことを告げ口(?)している水野に横から尋ねてみた。
「今日は多分帰らない」
水野が答えた。
三上が ちらっとそんな水野を一瞥したのを気配で感じた。
「・・・・・・・・・・・へー」
電話で藤代が伝えたのはそれか。
「・・・・なんか、遠いらしくて」
語尾がどんどん小さくなっていく。
「・・・・」
―――― 電話の向こう、絶対あれカラオケとかそんな類やん。
しかも、女の歓声とか入ってたし。
「・・・・・・」
水野もそんなコトは気づいているのだろうから、言うのはよした。
空き部屋はあるそうだが、水野の部屋で寝ることにする。
二人部屋だが、同室の男が部屋の移動を申し出てくれたので、藤村と水野のふたりだ。
部屋は長方形。
ドアからすぐに部屋だ。右手に二段ベッド。左手に机がふたつ行儀良く並んでいる。あと収納スペース。机とベッドの間は1メートルあるかないかで、まあ窮屈さはある。
住人はふたりともキレイ好きなようで部屋はすっきりとしていた。ちなみに風呂とトイレは共同のもの。
藤村はお約束な好奇心で水野の机を荒らしたりしたが、サッカー馬鹿らしく面白いものは特にない。
シュミらしいものは本とMDくらいだ。
ひきだしの中にちょこんとダサい東京タワーのキーホルダーがあった。なにを後生大事にそんなものしまってるのやら。
早寝早起きな習慣を壊すのも かわいそうなので、12時少し前に床についた。
二段ベッドの上が水野。下が藤村だ。
電気を消す。
豆電球がないから、あたりは嘘のように真っ暗になる。
隣の部屋から、話し声やテレビの音がもれ聞こえてくる。
それと、藤村の枕元に置かれた目覚まし時計の秒針の動く音。水野と同部屋の男のものだ。
視界がきかなくなると聴覚が鋭敏になる。それらの音が大きく耳に届く。
「たーつぼん」
上段ベッドに向かって声をかけてみた。
小声だが、やはり暗い部屋に響いた。
「皆の前で言うなよ」
上からふってくる。
水野の声だ。まだ水野は寝ていなかった。
この声だったら、ほかに何人いても耳だけでかぎわけられると思う。
そんな特徴ある声でもないけど。
根拠なく藤村は そんなことを自負してみた。
「もう皆おらへんからいーやろ、たつぼん」
「・・・・・」
返事はない。つまりOKということだ。
あだ名自体はともかく、藤村から特別な名前で呼ばれることを水野は決して嫌がっていなかった。そんなの知っている。
―――― 藤代の話は今日一緒にいて不自然なほど出なかった。
藤村もあえて聞かなかった。
が、ベストコンビとして公私共に親しいなら、もう少し話題に出していいはずだ。言いにくい理由があるのかと勘ぐりたくなる。
もし、もしも藤代とつきあっているという話が本当なら、水野はそれを自分に隠したがるだろうか。それとも、教えてくれるんだろうか。
恋人ができてシアワセなら、そう言って欲しい気がする。
聞いた時自分がどう思うかはよく分からないが。言って欲しい気はする。
水野に隠し事をされるのは(自分がするのは平気なくせに)面白くない。
言葉にするのは、少しだけ、緊張した。
「・・・たつぼん、好きな人いてる?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
しばらくして、なんでそんなの聞くんだよと小さい声が返ってきた。
「だって俺わからんし」
両腕を枕にして、藤村は天井に向かって話す。いったん口にしてしまえば力が抜けて楽になる。
離れてなかったら、こんな質問をしなかっただろう。
一緒にいた頃なら、水野の気持ちくらい いくらでも分かるのに。
そう言うと、
「・・・・・・・・・・・・・・そんなことねぇよ」
なぜか水野は否定した。
自分と水野との関わりを軽んじられたようで思わずムッとしてしまう。
一緒にいたなら、そばで見ていれば、水野がだれを好きになったかくらい絶対に自分はわかる。
そう言い返してやろうとした時、
「好きな・・・人、いる」
「・・・・・・・・――――」
ポツリ、と落とされた言葉に、藤村は内心驚いた。
隠されたら嫌だとはいえ、水野から切り出してくるとは思わなかったのだ。恥ずかしがりで意地っぱりだったから。
が、水野はそれ以上何も言わない。
―――― 好きな人はいても、今シアワセではない。
沈黙が雄弁に伝えた。
藤代からの電話。
帰ってこない藤代。電話の後ろの喧騒。
吉田から聞いた噂。藤代の噂。
藤村の頭の中でそれらが回る。
ショックだった。
水野が苦しんでいる。それは今も昔も変わらず、自分にとっても痛いことだった。
―――― 人は人、自分は自分。
まだ短いけれど いろいろあった人生で、藤村はそれを痛感している。
家族と呼ばれるものも自分にはない。苗字がかわっても戻っても、家族は増えも減りもしなかった。ないままだ。それでいい。
でも、水野にだけは「人」と「自分」という境界がブレるのだ。
水野に守ってもらおうと考えたことはないが、水野を守りたいとは思う。そんな義務があるような気さえする。
自分のそんな心情を、1メートルほど離れた先の存在は分かってくれているんだろうか。
『好きな人』。
きっと藤代だ。
今、藤代のことを考えていたりするんだろうか。
互いに黙ってしまい、場にぎこちない沈黙がおりた。
居心地悪い雰囲気が続くと それに慣れてきて。
もう寝ようか、という空気になりつつあった時、
「シゲ」
「お前は俺のこと、好きだったか?」
水野の、声。
息がとまりそうになった。
―――― 好き?
それは
いや、
ちがう、
いや
―――――――― どういう意味で聞いてきてる?
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
一度固まった唇はなかなかもとに戻らない。
返事に困るなんて自分らしくなかった。
水野の意図がここまで読めないのもらしくなかった。
好きって、なんだ? 友人としてか?、チームメイトとして?。それとも、――――
藤村にとって簡単に口に出せる問題ではなかった。
ためらってしまった後では、冗談で答えてごまかすこともできない。いや、それをしおおせるかも自信がなかった。
水野は なんで突然そんなことを言い出した?。
ふと思いついて聞いた言葉でもないだろう。そもそもそんな話の流れでもなかった。
心臓がうるさくなる。息が詰まる。
―――― 今どんな顔をしているのか。
ベッドの上。すぐそばにいるのにまるで見えない相手に、苛立ちと焦燥を覚える。
「・・・・・・・・・・・・・・」
結局、藤村は何もいえなかった。水野も再度尋ねては来ず、そのまま、ふたりは会話を閉じた。
のたのたしていてスミマセン。
伊田くると 07 5/1〜8/6
モドル