屋根の下というのは、それだけで心が落ち着くのかもしれない。
診療所、そしてこの灯台。
壁で覆われた家の中、という環境のおかげか、俺は深い睡眠に落ちていたようだった。
シゲの夢も真田の夢も。
家の夢も。何も。
何もみなかった。
目が覚めたとき、その事に安堵した自分が悲しかった。
現実よりよほど甘い夢を見てしまったら、きっと、もう起きられない。そんな気がする。
君へ 8
〜灯台にて〜
ベッドから身体を起こす。
手首にひっかかる冷たい違和感。手錠。
寝る前に俺と三上とをつないでいたそれ。
外されていた。
正確に言うなら、三上の手だけ抜けた状態で、片側がカラの鎖が手首に残っている。オモチャではないようでその感触は硬質で重い。
「・・・・・」
三上は・・・?。
手錠をかけた男はどこへ行ったのか。
ベッドから下りて靴を履く。脱いだ記憶はなかったんだけど。
外が見えないから時間が分からない。腕時計を見ると7時、とあった。
放送を1回聞き逃している。
事実に気づきゾッとした。が、ベッドサイドのテーブルに俺の地図と名簿が載っていた。
「・・・」
手にとって眺めると、俺の字ではない書き込みがある。
名簿には、死者が5名追加されていた。地図も、区域全体に×が書かれたものが4つ増えている。
誰がそれを書いたかは考えるまでもなかった。
「よぉ、起きたのか」
思い浮かべた顔がドアを開け現れた。
武蔵森のブレザー。三上だ。
なぜかブレザーのそでは まくりあげられていた。
「そろそろ起こそうと思ってたとこだ。来い」
手錠を外し無造作にベッドの上に投げると、三上は問答無用に俺をひっぱっていく。俺は「おはよう」を言いそびれたことを なんとなく残念に思った。
つれて行かれたのは浴室だった。
バスタブには透明な湯が張られていて視界が薄く煙った。
「・・・風呂」
にしか見えない。
三上は当たり前だろ、というように顎をしゃくる。入れ、の意らしい。
ズボンはまあしょーがねえけど、シャツは俺の貸してやるよ、と閉められたドアの向こうから声が聞こえた。
なるほど、と自分を見下ろす。血と土で汚れたシャツ。髪も肌もやはり同様で。
「おい聞ーてんのか下だけ寄越せって言ってんだろ!」
気が短いらしく、怒った三上がドアを開けて怒鳴った。よく分からないが言われた通りにする。と、三上はズボンを脱衣所へと放り投げ、そのままの勢いで俺をバスタブのふちに座らせ、驚いたことに湯船へと突き落とした。
湯が天井まではねあがる。当然、頭までびっしょり濡れる。
三上は呆然とした俺を楽しそうに見下ろしていた。
「なっ何すんだよ!」
我に返って怒鳴ると、
「お前呆けてるからよ。湯が冷める」
と受け流された。
そして、濡れた髪にシャンプーをボトルから直接かけられ、乱暴に両手でかきまわされる。
泡が目に入らないよう、あわてて目をつぶった。
わしゃわしゃと髪をかきまぜる手の感触がくすぐったくて居心地悪い。それが三上の手だと思うといっそう座りが悪い。なんでこんな所でこんな状況の中、ペットのように髪を洗われているんだろう。
「かゆいトコないですか?、お客サマ」
ふざけた声が頭上からかかった。
「ねーよ!って自分でやるから!!」
声をあげたところで洗面器で どばーっと勢いよく湯をかけられた。口に入ってしまってむせる。そんな状態にかまわず何度も洗い流された。
終わって、ようやく目を開ける。
と、透明だった湯船は着たままのシャツからにじんだ血と泥でにごってしまっていた。といっても、血液は湯にはあまり溶けださないから、大半は泥やほこりのようだ。シャンプーの泡もところどころ浮いている。
「おし。ちったマシになったか」
そう皮肉られてもおかしくない汚れようだったようだ。
湯に温められ、身体は血が通いポカポカしていた。三上は上がるよううながすと、バスタオルをほうり投げた。続けて真新しい白いシャツ。三上のものらしく、俺にはでかかったが。
「着替えてろよ。1時間後には出発だ」
脱衣所に置いていた探知機に目をやりつつ、今日何度目かの命令をされた。
風呂に上がって食事をとった。政府支給の(三上の)携帯食と灯台のパントリーに入っていた缶詰数種。
「言っとくけど、そのへんにあるモン食うなよ。毒持ってるヤツいるからな」
缶詰を開ける前にも いろいろとチェックしていた三上が さらりと物騒な注意をよこした。
「・・・毒?」
「毒殺された死体があったんだよ。民家の集落んとこ。死体のそばに食いかけのパンとか落ちててな。カビてもねえパンで食中毒もねぇだろ。武器が毒薬のヤツがいたんだな」
毒薬――――。
自分のまわりの連中に支給された武器はみんなストレートなものばかりだったから正直意外だ。ナイフとか、銃とか、当たり外れはあるにしても そういったものだと思っていた(だからこそ藤代の防弾ベストは意表を突いていた)。
診療所で俺は何も用心せずに そこにあった食料を使ってしまったけど(そんなこと疑う余裕なんてなかった。まあ、完全密封型のインスタント食品だったから大丈夫だろう)。
そう考えると、毒というのは恐ろしい武器だ。
今。
俺は三上が用意し、三上が食べろと言ったものを食べている。
それしか食べるものがないからだ。自分のバッグは燃えてしまった。
それは理屈か?。そうでなくても、俺は食べたか?。
なら、それは信頼なんだろうか――――?。
シゲの言葉。シゲとの約束。
三上が信頼できなければ、自殺でもなんでも好きにしていい。
でももし信頼できたなら――――生きろと。
シゲの死から半日が過ぎて、俺は――――生き続けている。寝て、風呂に入り、食事をして。生きている。
それは三上を信頼したからだろうか。それとも、時間がたって死ぬのが怖くなった?。
分からない。
ただ、もうあと半日なんだ。
あと、正確には10時間。
10時間後にはプログラムは終わる。
俺が聞き逃した放送分の死者が5名。あと、残り8名。この中でひとりだけを残し、狂気のプログラムは終わる。
目の前で空になったペットボトルに湯冷ましした水を詰めている三上亮は。
そんな先のことを考えているようには見えなかった。
大体、風呂なんて。シャンプーなんて。着替えなんて。
この島にいる誰も今、そんなこと考えないだろう。
ヘンなヤツ。
少しだけ。俺はこの島で初めて。
楽しい、と思った。
05 10 19
「来いよ」
食事の後、三上は命令というよりは誘う口調で俺を呼んだ。
探知機と銃だけ持った軽装(銃を持つ三上が違和感が違和感でなくなってきた)。ここを出るのではないらしい。不思議に思いながら後を追う。
三上は灯台の外壁を抜け、島の端へ出た。
崖の上。そして眼下に広がるのは、
海。
反射して飛び込んでくる陽光に、自然と目が細められる。
ああ、海だ。
少し前にも、シゲと海を見た。
シゲとふたり、崖の上で話をした。
今まで俺のいた現実と、急に大人たちによって放り込まれたこの現実が、ゆっくり混ざり合った時間。
俺にとってプログラムの始まりはそこだったかもしれない。
俺の武器は銃だった。バッグから、シゲがそれを「アタリ」と言って手にした時、俺は。
シゲに殺されるかもしれないと。
そう、思った。
一瞬だけ自分に向いた銃口にゾッとし、この短いゲームのどこかで、シゲは俺を裏切り、俺を殺すかもしれない、いや、きっと殺すんだろう。だって、それを望んじゃないけど、いつだってシゲは。
―――― 俺がいて欲しいときにいなかった。
―――― 俺とした約束を破った。
いいかげんな男だ。人の信頼を裏切って、きっとそれにも気づかず悠々と生きてる。
だから今回も俺は、シゲに裏切られるんだ。
ならもう、信じたくない。
自分ばかり痛いのは、もうイヤだ。
「・・・・・・・・・」
本当に臆病なガキだな、俺は。
シゲは、そんな俺の屈折も、許してくれていた。
鬱々と機嫌をそこねたままの俺とこのまま別れるのが嫌で、こんな地獄にまで追って来てくれた。
そして本当に最後まで、守ってくれた。
「いい風だな」
まぶしそうにしつつも海から目を離さない三上が、いつもの、抑揚の少ない声でつぶやいた。
きれいな標準語だ。
―――― 今俺の隣に、もうシゲはいない。
「・・・・・・」
何度実感しても こたえる事実だ。
シゲとは違う武蔵森の制服を目に入れたくなくて、俺は黙って海を見つめた。
三上も三上で、ここに俺がいてもいなくてもいいような口調だ。ひとりごとなのかもしれない。
「ここは、日本領ぎりぎりの小島なんだ」
きっと本州はあっちだ、三上は右手の方向を指で指した。
何も見えない。
ただどこまでも海があるだけだ。
「ナナミ島・・・」
「え?」
急につぶやかれた単語に、俺は海から三上に視線をうつす。
三上は前を見たままだったが、ボソリと続けた。
「プログラムを実施するのは金がかかるから、何度か使い回すことがあるらしい。ここ、ひょっとしたら名南島かもな、って思って」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうかもな」
三上の言葉を俺はなんとなく肯定した。
調べようもないことだけど、実際そうだろうが違かろうが、三上は大してショックは受けないだろうけど。
名南島。
そうか。
「・・・・・・・・・・」
俺は唇を噛んだ。
こいつがここで、どんな気持ちだったかなんて俺には考える余裕がなかった。自分のことで精一杯で、俺は本当に腹がたつほど人の感情に疎い。
肩に長銃をもたせ、また無言に戻った三上。
当たり前のように、銃を手にしてここで生きている三上。
こんな、ほんのちょっと外に出るだけなのに、銃と探知機だけは離さない。
プログラムに乗っていても、ひょっとしたらこいつは、俺たちの中で一番、プログラムを憎んでる人間かも知れなかった。
三上はゆっくりと首をめぐらせ、俺を見下ろした。
その顔は、俺の思考なんかすべてお見通し、って感じで つい反発心がわきそうになる。
キライなんだよ、基本的にお前なんか。
たとえお前の傷を、俺が知ってしまったとしたって。
「ま、お互い生きててラッキーだったな」
年上ぶったような言い方をする三上。
ラッキー、なんて言葉じゃ足りない想いが沸いたけど、ただ、そうだな、とだけ返した。
この島には、もうひとけたしか残っていない。
もう本当に多くの人間がいなくなってしまったんだ。
「俺には目的があるからな」
だから生きるさ。
静かにそう言い切った三上の目は、びっくりするほど真剣だった。
「人を殺しても?」
シゲには聞けなかった言葉が、ふと口をついた。
人を殺してでも、なのか?。
俺は乗らない。
俺は、このゲームには乗らない。
真田を守りたいと思った時、決めた。この決断は、間違ってない。
でも、生きるために、何かのために、人を殺すという禁忌も越えたシゲや藤代や・・・・・・そして三上の決断もまた、きっと大きな覚悟があったんだろう、と思える。気がする。
ゲームに乗るヤツも降りるヤツも。
みんな、真剣なんだ。
こんな状況に置かれて、俺達は、必死で、真剣で、模索して、あがいてる。
俺の質問に、三上はためらわずうなずいた。
「まあな。日本の法律はな、ひとり殺しても死刑にならないんだ」
知ってるか?。俺ら未成年だしな、馬鹿にしたように笑う。
「まあ無期懲役。それもホントの無期じゃないし。ふたり3人いくと死刑だ」
法律でいったら俺は死刑だな。
「・・・・・・」
それは複数の人を殺したという告白で。
ああそうか。と俺は不思議に納得をした。
何が聞きたくて質問したのか、自分でもよくわからなかったが、ただ納得をした。
――― 三上はそうしてでも、生きたい理由があるんだ。
ならいつか。
俺は三上に殺されるかもしれない。
「何笑ってんだ?」
急に吹き出した俺に、三上がきょとんと目をみはる。そうしてると、いつものニヤケ面よりは親しみやすい。
「なんでもない」
思わず笑ったのは。
三上に殺される自分、というのがあまりに浮かばなかったからだ。
条件は一緒なのにな。
ふたりきり、銃を持ったシゲと俺。銃を持った三上と俺。
―――― ヘンだよな。
思い浮かばない自分がおかしくて、つい笑ってしまった。
「ゲーム中の殺人は罪に問われないんだろ」
「っはは。そうだな」
そう言ってみると、三上も笑った。
今度は、さっきみたいな冷笑じゃなく、ほんとに楽しそうな笑顔に見える。
「お前が人殺しのフォローしてくれるとは思わなかった。お前、虫も殺せなそーな坊ちゃんのくせに」
「・・・・・・・・」
俺は言い返すのを忘れた。笑いもひっこんだ。
その言葉に、ある記憶が触発されたからだ。
三上も同様らしい。
「・・・・・・・・『お坊ちゃんは、虫も殺したことございません、て?』」
あの時のセリフを、再現してみせる。
三上が俺に渡した言葉そのまま。三上も忘れてなかったのか。
にくらしさより、懐かしいキモチがよぎったのはお互いだったんだろう。三上は穏やかな声音だ。あの時よりずっと。
「・・・・・・・俺も藤代を殺した」
告白すると、
ちらり、と三上が俺を見返す。
「・・・・へぇ。あの金髪かと思ってたけど。ま、いんじゃね?。あいつお前のこと気に入ってたから。お前に殺された方が嬉しいんじゃねえの」
「・・・・・・・・・そうかな」
否定せずにそう言ってみる、三上は大したお坊ちゃんだな、と肩をすくめ目を細めた。
06 7
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つづく
By 伊田くると
05 10/19〜06 7/30