多分 思い返してみれば、あの時の俺はパニック状態だったんだろう。

 どうしたらいいか、何を考えたらいいか、まったく浮かばなかった。いや、思考すらできず、起きてるのかもあやしいほど意識は浮いていた。



 ―――― だから、俺はただ、命令を実行しただけなんだ。



 雑なしぐさで支給のショルダーバッグを投げつけられ、なんとなく両手を出して受け取ったものの、そのまま動くことのできない俺。

 そんな態度にイラついたんだろう、太い眉にシワをよせ、テレビの中でしか観たことない軍服の男が低く怒鳴った。


「行け !」


 その言葉に全身が硬直して、次の瞬間には走り出していた。






 どっちに行くかなんて考えなかった。

 周囲もロクに見ちゃいなかったが、スニーカーの靴底にあたる感覚は硬く冷たくて、ああ学校のそれだと思った。ただし、ここは桜上水ではなかったが。

 長い一本道を抜けると、開けはなたれた扉と、長方形に切り取られた外界が見えた。扉の上には、見慣れたあの『人間が走ってるマーク』の非常口のランプもあって、それがやけに目についたのを覚えている。ああここは日本なんだ、なんてよぎった気がする。


 自分のわずかな手荷物と、与えられた濃紺のバッグ。
ふたつを抱えたまま、俺は走った。

 扉を抜けると、外は暗くて夜だということは分かったが、それ以上は何も考えられない。ただ走った。足を交互に前へとつきだして。







『行け !』



 そうだ、俺は命令を実行した。





 このあと、どうすればいい?。




























 ―――― 今日は、いつもとは違う試合をしてもらいます。


 ―――― 殺し合い。


 ―――― 競い合うのは得意よね?、みんな。


 ―――― ここにいる時点で、たくさんの人を蹴落として、ポジションを奪ってきたんだもの。








 ―――― だから今回も、





 ―――― がんばって、一番になってください。





















君へ
 〜プログラム開始〜





 やみくもに走っていた。
それが永遠に続くような気がしていたが、終わりはあっけなく訪れる。



 突然、身体のバランスが崩れたのだ。
右の二の腕を強い力でつかまれていた。


「?!」

 荷物を持っていたこともあって、対応できない。対応する気力なんてなかったが。

 後ろにぐっとひっぱられ、そのまま転倒するかと思ったが、背中を支えられてまぬがれた。

 俺をとらえ、そして転倒から救ってくれた手の持ち主は、身長の半分ほどの植え込みの影に俺を座らせようとした。
 その時、そいつの顔が月明かりの助けもあって初めて見えた。




「静かに。ゆっくり呼吸するんや」
 聞きなれた関西弁。


 薄い色の髪と対照的に、強く濃い色合いの目が俺をはっきりと凝視していた。




 そこで初めて、自分が浅く激しい呼吸をしているのに気づく。心臓の音が急にうるさく感じられた。壊れそうだ。
 走っていた時はなんとも思わなかったのに、肩にかけていた荷物がひどく重く感じられて、地面に放り出す。




「そや。胸に手あてて、深呼吸や」



 声の主は・・・佐藤成樹。




 ヤツの声は落ち着いていた。
わざとなのかもしれない、普段より抑揚をおさえて、聞き取りやすく俺に話しかけているようだ。
 指示された通り、利き手を左胸に当てた。指がみっともないほど震えていた。

 何度も呼吸を繰り返す。

 しだいに、心音のペースがゆるやかになっていく。
そうだ、それなりに鍛えてるんだもんな。走ったのだってきっと大した距離じゃない。いつもは もっと走りこんでる。


「・・・――――」



 ―――― 呼吸が落ち着いた。


 みてとったのか、シゲが口元だけで笑った。

 それからガサゴソと (といっても音は意識してか あまりたてていなかったが) バッグからミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。何をしているのか分からなくてぼうっと見ていると、その水を少量タオルに染み込ませ、そして俺の顔に当てる。

 濡れた感触が ほてった頬に心地いい。
そのままペットボトルも差し出してくれたので、ひと口のんでみる。ただの水だが、身体の中に しみわたっていく気がする。

 シゲの手はまだタオルを持っていた。ただ当てるだけじゃなく、頬をやさしくこすったりもする。
 何をしているのかは つかめないが、気持ちよかったのでおとなしくそれを受けた。

 しばらくして、その指先が用を終えたとばかりに離れていくのを感じて、残念さすら覚えたほどだ。が、俺の目にそのタオルが触れた時、すべてが分かった。分かってしまった。




 タオルは真っ赤だった。





 ――――・・・!。


「・・・・・っ!、あ・・・」

「静かに!!」
 俺が何か言う前に、シゲが鋭く制止し、そのまま俺を抱きこんで地面に伏せた。

 直後、パンパンという爆竹が破裂したような音が連続して起こり、また怒号や悲鳴や、木々の鳴る音や荒い複数の足音がいりまじって周囲に響く。






 が、俺はそれどころじゃなかった。
気づいたのだ。

 本当に俺はこのときまで、何も考えていなかったことに。
呆然として混乱して放心して、ついさっき、目の前で起きた出来事さえ『忘れる努力』をしていたことに。



 暗闇で見えなかったのか、いや、意識して見ようとしていなかっただけなんだろう。俺の身体は血まみれだった。支給されたバッグ以外、白いはずのシャツも腕も、シゲにふかれた顔も。

「あ・・・あ・・・!」
「黙るんや!」
 小声で、しかし厳しく言ったシゲ。
無理だと思ったのか、右手で口をふさがれた。

 その作業のため、少し上体を浮かしたシゲのシャツに、赤いものがこびりついているのが見えた。地面に押さえつけた時、俺の服から、腕からうつった血だ。




 それは。



 ―――― 風祭の・・・・。






 シゲは、こびりついた血に蒼白になっている俺に気づいたらしい。俺の口をふさいだまま、首をかすかに横にふった。

 あいつはもう死んだということなのか、気にするなということなのか、いや意味などない ただのしぐさだったのか、俺には分からない。


 また周囲で爆竹の音がする。
いや、爆竹なんかじゃないんだろう。だって、冗談じゃない悲鳴がする。


 誰の声?。そんなの分からない。シゲにだって分からないだろう。




 辺りは木々が生い茂る、森らしかった。
音はするが姿は見えない。闇夜に反響する不穏な物音。

 ひどく遠い気もするし、自分のすぐそばで行われているとも思えた。



 音の方角が気になって、シゲに地面に押し倒されたかっこうのまま、それでも俺は首をめぐらそうとしてみた。が、シゲがまた首を横にふった。今度のは『やめろ』ということらしい。

 シゲに目線を戻す。ヤツもまた、ざわつく周囲でなく俺を見ていた。
驚くほど、互いの顔は近くにあった。




 視線がぴったりと合う。



 視界に、シゲしかいなくなる。



 つりあがり気味の、きつい印象の両目。

 いつもだが感情が読めない。
一生分からない気がする。こんなヤツのこと。


 また爆竹が鳴った。
今度は、音の方向は気にならなかった。




 普段はちゃらけた関西弁をたれ流すその口が、ゆっくりと動く。
声はださずに、唇だけで。





 マ

 モ

 ル






「・・・・・・・・・!」
 守る・・・・・・と。



 目を見張った俺に、シゲは笑ってみせた。
作り笑いじゃない、いつもしてる調子いい笑いじゃない、本当の、笑顔に見えた。













現在プログラム開始から、数十分経過
02 12 3















「復習や。しっかり頭入れるんやで」
 俺ひとりに届くので精一杯、というほどの小声でシゲが話し出した。


 表情はうかがえない。俺とシゲは、ケンカでもしたガキみたいに背をむき合わせて座っていた。
理由は単純で、周囲を『警戒している』せいだ。物音や懐中電灯の明かりに注意しないと、とはシゲの弁。

 指示された通り、俺も濃紺と黒と藍色で構成された夜の森に目をやってみる。

 暗い森。暗い空。
それ以外、周りには何もなかった。とてつもなく広い広い円の中に、ぽつんと俺とシゲのふたりだけが取り残されてる感じがする。


 ・・・・・・そうじゃないから、警戒しなきゃいけないというのに。
















 少し前、俺たちのいた場所のすぐそばで起こった事件 (どんな性質の事件かは・・・シゲの話を聞いた後の俺には考えるまでもない)。

 結局俺たちは そこにいたであろう誰にも見つからずに済み、騒ぎのほとぼりが冷めた後 少しだけ場所を移動し、シゲが選んだこの場所に落ち着いた。

 ほかより土地が高めなことと、密度の濃い植え込みがあって、周囲からこちらが見えにくいことなどが選択の条件だったのか。



 そこにひとまずふたり腰をおろして、まず最初にシゲがしたのは、俺の荷物の確認だった。手荷物の方じゃない、政府から支給されたデイパックだ。
 そういえば、開けてもいなかった。腕に抱いて走ってただけで。


「まぁ個人差は あんまないねん。食料と水。地図。時計。懐中電灯。地図はいつでも見られるように、ペンと一緒にして出しやすいトコに入れておくんやで」

 話しながら、シゲは手早くバッグの中を展開して俺に見せた。
ミネラルウォーターのハーフボトル2本と、携帯食糧らしいパッケージが見えた。


 バッグの内ポケットに収納されていた地図を渡される。
闇に目が慣れたとはいえ 今はさすがに読めない。なんの変哲もない白いコピー用紙にプリントされたものらしかった。
 何枚かあって、ホチキスで角を一か所ご丁寧に止められている。手持ちのカバンからシャーペンを出して、クリップ部分をひっかけてセットした。折りたたんで制服のポケットに入れる。

 ほかに、腕時計や方位磁石もあった。時計は自前のがあるから必要ないな。
磁石を手にとってみる。軽い。頼りなくゆらゆらと、針はシゲの方をさしていた。そっちが北なのか。




 磁石をバッグに戻し、ふと腕時計を見たら午後8時だった。

 支給品には懐中電灯もあったが、シゲが使うのはよそうと言ったので周囲は暗い。近くには建物もないようだ。どのくらい森が続いているかは分からないが、入るのは上空からの淡い月明かりだけ。





「それと」

 シゲは、今度は俺のじゃなく自分のバッグを開いて探った。こいつは俺に会う前に手荷物と支給品をひとつにまとめる作業をしたらしく、手持ちのカバンはひとつだけだった。


「これ、ここがたったいっこの個人差やな」

 出されたのは、長さ20センチ近くもある太い釘。それから、オモチャ屋なんかでも売ってそうな、チャチな材質なのが見てわかるボーガン。

「武器や。プログラムの順当な結果を狂わすカギになるやろな。ランダムで、ひとり1個。クズみたいな武器もあるみたいやで。って、俺がもうけっこうクズな方当てたと思うんやけどな」
 シゲは釘をぴらぴら振ってみせ、少し笑った。

 五寸釘やで?。なんや、俺に牛の刻参りでもせいゆうことかいな、などとムダ口を叩いている。


「たつぼんのは・・・へェ・・・。重いから、ひょっとしてと思ったんやけど」
 俺のバッグからビニールに入った包みを取り出し、シゲはさっきとは違う種類の笑みを浮かべた。

 その右手ににぎられているのは、二次元メディアの中でしか見たことがないが、はっきりそれと分かる程度にはブラウン管の中で見慣れていたもの。・・・・―――― 銃。


 ・・・・・・・・・・・本物、
らしい。



「当たりや。ツイてるで、たつぼん」
 ショットガンやな、説明書つきや、これは早めに読まなアカンわ。


「・・・」

 ――――・・・シゲは嬉しそうだった。


 説明書ナシでも大体は分かるのか、両手であちこち もてあそんでいる。はしゃいでる場合かよ、とあきれるが、いつのまにか手つきがサマになっていた。
 撃てといわれたら撃てそうだ。なんにでも器用なヤツというのは、こんなことにも器用らしい。


 オモチャみたいにショットガンをいじって、ガキみたいな笑顔のまま、なんでもないことのように俺に言った。

「なぁたつぼん、あと数時間後には考えるはずやで。俺が近づいてきたのは、武器の物色のためやないか、って」


「・・・・・・・・・」


 ―――― 武器の物色のために、俺に近づいた?――――


 ふられたその言葉に、返す言葉は見つからなかった。


 数時間後?。
未来のことなんて否定も肯定もできない。









 けど。
さっき一瞬。



 シゲがショットガンをいじってた時。

 一瞬だけ。
銃口が俺の方を向いてて。







 ―――― ドキっ、と、



 ―――― した・・・・・。


















 ショットガン、五寸釘、ボーガン。
手持ちの武器を確認した後、


「復習や。しっかり頭入れるんやで」
 背中合わせに腰をおろし、俺ひとりに届くので精一杯、というほどの小声でシゲが話し出した。



 ―――― 俺たち、東京選抜のメンバーは、政府が約2年に一度行う狂気のプログラム・BR法の対象に選ばれたこと。


 今年は特別に、運動能力に優れた者同士での実地研究データが欲しいというのが理由らしく、学校のクラス単位ではなく、あらゆるスポーツの年少者(中学生)の団体から数組選び出されたのだという。(そんなこと、当の俺たちは何も知らなかった。今回の集合だって、いつもの、選抜の強化合宿だと思ってた)



 ゲームのために。



 ―――― この、日本のどこか・・・名前も知らない島で、俺たち以外、誰もいない島で、三日間。


 死力をつくして、殺しあう。
そんなゲーム。



 優勝者はひとり。



 生き残れるのは、
ひとり。



 最後のひとりになるまで、戦う。
刻限までにひとりにならなかったら、残り生存者全員、強制的に死刑となる。



 ―――― 今回、このプログラムをしきる現地担当の西園寺玲の話した内容がそれ。


 強制的死刑というのは、いつのまにか (たぶん薬で眠らされていた間に) 俺たち全員につけられていた首にかかった輪を爆発させることで行うのだそうだ。
 コンピュータでの遠隔操作。首輪を外そうとしても爆発するとオドシがあった。小型で軽いが、中身はかなり細密な機械だ、ハッタリではないのだろう、シゲは言う。

 この首輪によって、生体データが政府に送られており、俺たちの生死や居場所をチェックするんだという。実行者はスタート地点の校舎で高見の見物というわけだ。





「名前の順に校舎を出てって、ゲーム開始や。開始から一時間ちょい。もう何人か減ってるやろな。スタート地点でもいろいろ始まってたし」

 いろいろってなんだよ・・・と思ったが口には出さなかった。


 背中から服ごしに体温を感じ取れるほど、シゲは近くにいる。でも顔は見えない。見たところでヤツの気持ちなど俺には おしはかれない。が、どうせ無感動なツラでしゃべくってるに決まってる。そう思った。




 シゲの『復習』のおかげで、俺は約2時間前に起こったことがらを思い出すことができた。
自失して、西園寺の話など聞こえていなかったから、武器や首輪の件なんて初耳に思えたくらいだ。


 ともあれ、現実は・・・いくらか信じがたいものだとしても・・・理解できた。
飽和状態が、シゲと時間のおかげで回復してきたんだろう。





「風祭が・・・一人目か」

 つぷやく。

「考えようによっちゃ、こん中で、一番幸せなヤツやで」
 のんきなあいづちが返ってきた。


 俺のシャツには、まだアイツの血がべっとりと残っている。所々乾き始めてきたが、白いシャツには目立ちすぎるその、黒い赤。





 ―――― 風祭は、死んだ。


 集められた教室の中で、政府の人間の前で、俺たちの前で、プログラムに反対した。

 絶対にしない、と怒鳴った。




 ―――― いつもあいつは近くにいた。風祭将という名前の、小柄なFW。部活でも選抜の時も、いつも。


 だから、あの時も、一番そばにいた。


『僕は誰も殺さない!!。こんなこと、間違ってる!!!』


 俺は、激昂する風祭を、なんだかぽけっと眺めていたような気がする。

 今ここにある現実を、まだ把握できなかった。




 ―――― そうなんだ、風祭って、こういうヤツなんだ。
曲がったことがキライで、いつだってひたむきで・・・・


 そんな、自慢じみたことまで考えてた。
次の瞬間、その自慢のチームのファンタジスタが、真っ赤になってみえなくなった。





 西園寺は笑った。

「サッカーで上を目指すということは、それだけ他人の夢の芽をつんでいくということ。他人の人生を狂わせるのは平気なのに、殺せないなんておかしな事を言うわね、風祭くん。もう始まりまで時間がないし、あんまり聞き分けのない子はこうなるのよ、みんな。じゃあそろそろ細かいルールの説明にいくわね」










「ゲームスタート・・・」

 俺もそうだが、みんな支給品を受け取って・・・この島のどこかに、散らばっているんだろう。今も。この闇の中を。


 ばかげてる。
こんな法案。こんなゲーム。


 風祭は、サッカー選手なのに。
プロをめざして、必死に、練習してきたのに。


 殺し合いを否定した。
それだけで、殺された。


 俺はなにもできず、目の前で、あいつの身体がふっとんで、血が飛び散るサマを見ていたのだ。







 ―――― そして・・・。


「シゲ・・・なんでお前、武器2個も持ってるんだ?」


 今、背中ごしに話しているこの男は。
風祭の最期を、どんな顔して見ていたんだろう・・・・・・・・・・。

















プログラム開始より、二時間経過
02 12 8

つづく











真理子 「今度の合宿は泊まりになるのね、準備は大丈夫?」
竜也 「だいじょぶだって。行ってきます。じゃな、ホームズ。いいコにしてろよ」
(BACK)


By 伊田くると