まるで幼なじみの恋だって、お前は言った。



 ああそうだな。
今なら分かる。






 ごめんな、アリス。





なじみ









 上か下か。


 突然そう言われても「何が?」と人は首をかしげるだろう。
セックスにおける体の位置であり役割、中でも男同士でのソレのことです、と説明してやったら顔がひきつるかも。


 自分だってそんなことを延々考えたくもないのだけれども。
が、目下俺の頭はソレでいっぱいなのだ。残念すぎる。









 順を追って説明しよう。

 長年の友人だった有栖川有栖と、友人でなく恋人ってことにしましょうか、と話がまとまったのは約半月前のことだ。正確には17日前だ。



 正直甘く見ていたと、現在俺・火村英生は後悔している。















 ことのおこりは恋人になった半月前の、さらに半月前にさかのぼる。
約1月前の夜だ。夕陽丘のアリスのマンション。アリスの部屋。

 スーパーの惣菜と、台所を借りて俺が作った簡単なつまみを加えた夕食兼晩酌が終わり、テレビをつけたまま まったりと酒をかたむけ近況の会話などして。その頃にはアルコールもかなり回っていた。


 たまに会う友人との、気の置けない時間だ。


 正直に言えば俺はフィールドワークで大阪まで来ると、すぐにこいつを連想してしまう。
 そしてこの作家先生が〆切という強大な魔物との決闘中でなければ、彼の時間を少しだけ譲って欲しいと思う。これというほどでもない話をして、意見を交換して。そんななんでもない、いつもの時間だ。それは俺にとってとても大事なものではあったが、けれどやはりいつもの、いつもどおりの時間でもあった。


 が、テーブルを挟んで向かいにいたアリスにとっては、それは大げさでなく・・・いざ鎌倉、人生一大決心の日だったらしい。

 ずっとタイミングをみていたんだろう。飲んでもさっぱり酔ってないシラフな顔を緊張でかためたアリスの告白。30すぎてもスマートからは程遠く、不器用で、でもそのぶん真摯なそれ。



 ―――― 「ずっとずっと友達だと思ってたけど、実はずっとずっとスキだったんやって、あの、やっと気づいた」



 突然に空気を変えた友人からの言葉に、缶ビールを手にしたまま、もちろん俺は驚いた、が。


 ―――― そうか。ずっと好かれていたのか。

 とりあえずは その思いを嬉しく感じた。

 こんな自分だが、嫌われてるよりは好かれていたほうがずっといい。自分もアリスが好きだ。得がたい大事な友だちだ。




 ――――でも急にそんなこと言われても、



 ―――― 困る。





 真剣な告白に、反射的に頭にまずうかんだ結論はそれだ。


『嬉しい。が困る』


 彼が本気で言っていることは分かる。酔いの勢いなどほぼなかったのか、わたわたと、つながらない文脈で、でも一生懸命に心を言葉にしようとしている姿には あたたかいような気持ちにもなる。


 ―――― が、困る。


 どうしたものか。
面と向かって言われてしまったのだから、なんらかのリアクションを返さなければならないことに気づいた。

 そしてそのリアクションは、<穏便>に場を処するものでなくてはならない。

 アリスは「突然こんなん言うて、・・・びっくりするわな、でもな」とかまだいろいろ言い募っていたが、これ以上新しい情報は出ないだろうと判断し、俺はこの状況をどう乗り切るかに内心集中することにした。


 一番無難な『冗談でかわす』という選択。
もあったはずだが、誰の目にも冗談ではない彼の態度に、それをしそこねた。俺も負けないくらい動転してしまったのだ。
 かわしたり茶化すなら、ツッコミの要領で即座にやらなくてはいけない。もはやタイミングは完全にずれている。


 とすると丁重に断らないといけないのだが。


 ―――― ああでも、俺がここで断ったら、こいつは傷つくんだろうな。


 様子をみるに、かなりの覚悟をもって告白してきたのだと分かる。
10年以上のつきあいの同性の友人に愛を伝えるんだからよっぽどだろう。ひょっとして、成就しなかったら自分のもとを去る気かもしれない。


「・・・・・っ」
 浮かんだ考えに背筋がゾッとした。


 つきあいが長いので、アリスの(そう多くはない) 女性遍歴もかなり把握していると言える。彼はフラれたり別れたりした女と またすっきり友達づきあいをするタイプではない。別れたら終わりだ。現に、そんな女性はアリスのそばにいない。


 ―――― 困る。


 また困ってしまった。
告白されたのも困る。一番の友人だが、友人以上に見たことなんて一度たりともないからだ。今後もないだろう。

 でも、だからといって断るのも困る。失敗したら目も当てられない。



 ―――― 俺はアリスと別れたくなかった。



 彼と二度と会わなくても自分はこれまでどおり生きていけると思うが、できるからといって平気なわけではない。それはなんだかとても悲しい。それは嫌だ。
 こうして一緒に過ごす時間をなくすのは嫌だ。今 手に持ってるぬるいビールを、これからは誰と乾杯すればいいんだ?。生きていくのに絶対に必要ではないが、嫌だ。



 俺にはアリスが必要だ。



 目の前にいる、照れまくって俺から目をそらしている友人を見る。今日まで何時間ここで過ごしたかわからないくらいに入り浸った、勝手知ったる部屋を見る。ふたりで食った皿の残骸。俺用にと用意してくれた夜着。


 この全てから、

 離れるなんて、イヤだ。


 では。


 ―――― じゃあ、OKすべきだろうか?。
こいつの想いを。


 最後の選択肢はそれだ。一番最後に出てきた時点で、それはどうしたって本意ではない。それはわかってる。けど。



 ―――― どうしよう・・・・。



 打算が渦巻く。シミュレーションが乱れ飛ぶ。
俺にとって良い返答、アリスにとって好い返事。

なんでも選んでいい立場の俺は、なにかひとつ、選ばなければいけない義務を持っていた。
 けれど、結論は出せなかった。すぐには まとまるものじゃない。





 結局、ちょっと待ってほしいと逃げをうった俺をアリスは責めなかった。おそらく彼の方もそんな余裕はなかったのだろうけど。


 告白の間から、俺はぼけっと缶を持ったままだった。残り少ないそれは飲まれることなく、炭酸だけが抜けて放置された。

 泊まる予定(だった)を変えないでほしいという彼の言葉に従ってその日は早々お開きになり、それぞれ眠りについた。いや、たぶんふたりともあまり眠れてなかったと思う。


 いきなり覚えのない巨大な爆弾を持たされたような、いや違うか、うまく言えない。 








 悪夢ばかりの俺は友人の部屋のソファだとよく眠れていたのに、初めての例外となってしまった。




















 



 ―――― そして14日が過ぎた。

 これ以上待たせるわけにも、と時間に催促される形で、ほんとはそこまで決意が固まっていなかったのだが。


 俺は友人だった男に、
「・・・じゃあこれからはそういうことでいこう」
 婉曲に、告白への返事をした。


 ―――― じゃあこれからはコイビトってことで。







 自分なりに考えて選び抜いた結論だった。


 これでよかったんだろうか?。
なのに、口にしたそばから後悔がよぎった。

 でも、信じられないとつぶやいた後、本当にホッとした顔をして床にへたりこんだアリスを見ていたら、なんだか愛しいようなあたたかい思いがしたのも確かだ。


 ―――― これで・・・・よかったんだよな?。


 断れないからOKをした。
断った時の自分がこうむるだろうデメリットと、はかりにかけてOKしたのだ。

 失礼だ。最低だ。

 安堵して喜んでいる友人だった男に申し訳なくなって目をそらした。ほんまに? 俺でええの? 何度も繰り返すその言葉にズキリときた。アリス。そんなの俺のセリフだ。お前は上等な男だ。ごめん。それでも自分にはアリスが必要だと思った。許してくれと懺悔した。



 ―――― そのかわり、絶対お前を悲しませたりしないから。

 そう誓った。











 その時点で、それでも俺は事態を甘く見ていたのだ。


 いや、それなりに覚悟はしていたつもりだ。告白されてからの2週間、いろんなシミュレーションをした。


 友人からコイビトに変わると、どんなケースが起こりうるのか。


@たとえば電話や行き来は今より増えるだろう。コイビトなんだから。

 別にそれはいい。京都← →大阪間などさしたる距離ではないだろう。
忙しい時はちょっと困るが、俺はそんなにプライベートな用事の多い男ではないし。アリスと会ってると楽しいしな。


A浮気や、浮気を疑われるような行動ができなくなる。コイビトなんだから。

 別にそれも問題ない。俺は元から多情ではない。


Bイチャついたりもしなきゃいけないんだろう。コイビトなんだから。




 アリス、と。

「・・・・・・・・・・・・・」

 それが一番の問題だ。



 が、それもなんとかなるさと そのときの俺は結論づけた。
想像が追いつかなかったので正直深く考えられなかったのだ。

 アリスの知り合いの作家・朝井なんとかさん (なんだっけ) からは、あんたらはほんとに仲がいい、イチャつくなと以前あきれられたくらいだから(何にかは分からないのだが)、まあ今とさほど変わりはしないだろう、と。

 うん。多分。そうあってくれと。


 殺人事件の究明には必死こいて熟考もするが、イロコイうんぬんなんて元々俺の専門外なんだから。















 そんなこんなを経て今だ。


 場所は大阪府警の一室。


「いや〜、先生のおかげで今回も助かりましたわ」
 何が詰まっているのか、もちもちでっぷりとした腹をなでながら、船曳警部。


 ――――無理。


「お疲れさまでした」
 落ち着いた物腰で礼を寄越す鮫島警部補。

 ―――― その学者のような雰囲気がなんだか好きだ。この人を見ると大学の書庫の空気を思い出す。

 が、・・・・・・・・・無理、だ。


「やー、やっぱり火村先生はスゴイです。よく加害者の隠された癖をみつけましたね!」
 目をかがやかせてなついてくる森下刑事。

 ―――― この面子の中では1番 一般にモテそうだと思う。もちろんアリスよりもいい顔立ちだと思う。


 が、やっぱり。



「・・・・・・・・・・・・・・・・無理だ」

「は?」

 知らずもれていたらしいひとりごとに森下刑事が首をかしげるが無視をした。




 ああもう無理だ無理だ。




 何が無理か。
事件の捜査中はそれに脳が疲れるほど集中できていたのだが、解決したとたん、懸案真っ只中の悩みが舞い戻ってきたのだ。


 俺にとってぬぐえない過去の葛藤をのぞいて、ここ数年一番の悩みといえるだろう。それもどうだろう、という感じだが。

 つまり、
 <自分は男とセックスできるか>


 いや、


 <自分は長年の友人とセックスできるか>

 と言い換えてもいい。


 そしてその場合、上か下か。


 そこんとこどうなのか。




「無理だ・・・・・」






 平和だったひと月前には考えもしなかったことで、現在俺は困りに困っている。

 それというのも4週間前に友人に愛の告白(ひい!!)をされ、2週間前にそれを承諾し男のコイビトができてしまったからで。まだそんな実感もないのに、俺の中ではまだ友人なのに。よりにもよって、コイビトとの義務である<イチャつく行為>にはセックスも含まれる、ということだった。

 自分はもとから肉体的な快楽に疎いたちだし、セックスレスでけっこうけっこうというスタンスだ。正直アリスとセックスするなんて船曳警部が突然標準体重に戻るくらいありえない。あの肉の体積はどこに行くんだ。ありえなすぎて想像もできない。


 告白をOKした以上、アリスには俺とセックスする権利が生まれ、そして俺にはそれにつきあう義務が発生した。


 それが現在の現状だ。

 アリスと永劫別れるのが嫌で、なら彼の希望に添ってつきあった方がいい、友達もコイビトもさして変わらんだろ、多少は順応も我慢もするさ、なんて気持ちでいた。いや、それなりの覚悟はしたつもりだったのだが。

 それでも、こんなにすぐにセックスしようなんて流れになると思わなかったのだ。告白に了承して付き合ってまだ2週間で、30超えた大人なんだから当然だろうという勢いで、セックスの時どうするか、なんて話題が出ると思うかよ。アリスはきょとんとしていたが、とにかく俺には「はやすぎる」展開だった。

 セックスについてはいずれ、一年後くらいに考えようというくらい遠くに棚上げしていたつもりだったのだ、自分は。

 現在、棚上げしようとしていた問題の、棚が突如なくなってしまった状態だ。マヌケは俺か。



 電話くらいマメにするさ。京都←→大坂の往復だって増やすよ。老いた愛車には頑張ってもらおう。そのくらいなんでもない。
 帰り際、呼び止められて手をにぎられたり、そっと頬にキスされたり、今までとはちょっと違うやわらかい呼び方や互いの距離にだって、内心「ひえー」とのけぞってしまうが許容範囲だ。


 だけど。

セックスって、おい・・・


 無理ムリ
むり無理!



 ムリすぎて思考が停まる。

 ふう、とひと息。楽だ。まだ、棚上げしておきたい。うんと遠い棚に。






「いや、それじゃだめなんだ」

「何がダメなんですか?」

 無視されてもめげてないのか、様子のおかしい俺を心配しているのか面白いのか、そばから離れない森下刑事の声が反復した。

 それに気づいてやっと我に返った。そうかまだ府警にいたんだった。
なぜか弁当をわけてもらったので、会議室の机に並んで食事をしていたのを思い出した。船曳警部はじめ何人もいたのだが、気づくと誰もいなかった。なんて早食いなんだ。職業病か。

 俺の箸は止まっていたのでまだ三分の一も弁当箱の底が見えていなかった。森下刑事はもう食後らしく、お茶を運んでくれていたらしい。

 礼を言ってひとくち飲んだ。


 現実に戻ってこられた。そんなため息がもれる。

 あらためて、隣の青年刑事に目をやってみる。今までしたことがないくらいじっと。穴があくほど、というやつだ。

 アルマーニのスーツ (らしい。自分には見ただけでそうとは分からないが誰かが言ってた) を着られるでもなくそれなりに着こなしているしゃれた若者。


清潔感・○

容姿・○

口のききかた・まあ○。たまに敬語間違えてる時あるけどな・・・。あ、あと「あのですね」、て言うよな。あのですってなんだ。なんなんだ。

「・・・・・・・」
 内心でどこの生活指導の先生だ、というようなことを考えていた。上から下までじいっと見つめてしまったせいか、当然相手は居心地が悪そうだ。

「火村先生?」

 不思議そうに呼びかけてくる声は少し甘い声音で。

 アリスと同じ、西のイントネーションがわずかにまじる。


「・・・」
 さっきも思ったが、アリスより素材はいいよなコレ。若いしな。


 勝手に品定めしといてコレ呼ばわりされていることも、彼は永遠に知らないのだろう。申し訳ない。




 好青年だ。と思う。
 身奇麗だし、爽やかだ。外ヅラだけでなく、実直で、仕事に熱心な姿勢も知ってる。


 でも抱けるか?といわれれば。

 抱きたくない。




「・・・・・・・・・・」
 出てしまった結論に、ガックリ肩が落ちる。

 コレもダメってんじゃ、誰もかれもダメってことじゃねぇかな・・・・・。

 またコレ呼ばわりしてしまった。

 『コレ』を相変わらず無視したまま、食欲もなくなって、箸を置いた。




 もう帰ろう。

 ここは大阪だけれど。
いつもなら、事件が解決すればアリスのことを考える。
許可がおりてあいつの体もあいてりゃ事件前に同行を依頼することもあるけれど。
とにかく、大阪といえばあの男だ。


 でも、今日はダメだ。
このまま自宅に戻ろう。考えなければ。
課題は山積みだ。




 男とセックスできるだろうか。


 抱けるだろうか。




 ―――― それが問題だ。





 上か下か。


 『アリスを抱きたい』と思えなければ。
抱かれなきゃいけない。そんな現実が待っている。










 それというのも、





「その・・・俺は、まあできれば、・・・・・・・・うん、あー・・・・・抱、きたいと思うてるけど」



「や、別に女扱いとかそゆんやないで?。君が言うんやったら逆でもいいしなうん」



「君の好きな方・・・てことで」



 
て言われても!!!。


 という出来事があったからだ。つい3日前に。



 アリスなりに気を使ってくれてるんだろうが、俺は絶句した。

 抱くか抱かれるか。

 結局、どちらかを選べと強要されてるのだから。


 セックスはなし・・・てのはないのか!!!。


 ないのだ。
アリス的に。

 コイビトなんだから。





「も、もちょっと待ってもらっていいか?」

 

 めったにしない愛想笑いまで浮かべ、また逃げをうったのだ。そして今日に至る。

 敵前逃亡が続いている自分が情けないが、難問ばかりを提示してくるあいつにも問題があるんじゃねぇかな。とにくらしく思いつつ。




 考えなければ。


 とにかく、考えなければ。


 ドツボにハマってきた気もするが、考えなければ。











 選択肢はほかにない。
先延ばしにも限界がある。


 アリスを抱くか (できるのか?)、抱かれるか (もっとできるのか?。想像もつかない)。






「火村先生、元気ないですね」
 残された食料と俺を交互に目にして、森下刑事が眉を下げる。

 反論する元気もないから、はあ、と答えると、刑事は少し考えてから、
「僕、今日もうあがりなんです」

 そして綺麗に口角を上げて、
「よかったら、飲みにでも行きませんか」


「・・・」
 俺は行き詰まっていた。

 もう前みたいにアリスの所へは行けない。
今すぐ帰る元気もあまりない。



 酒でも飲んで。
少し、休憩したい。



 彼のふいの申し出は、なんだかとても魅力的に思えた。









つぎへ
(注・
森火です)









テーマは『ダメな准教授』なので、今後もかっこよくならないと思います。



イダクルト
2010/10/02〜2010/10/20

モドル