SECOND 
KEYPOINT .1




 全身くたくたに疲れて、とにかくだるかった。


 練習後はいつもこうだ。ホントに体力ないなと思う。
そりゃタバコはやんなかったけど、基礎体力作りなんてまったくしてこなかった2年間のツケだ、と十分わかってしまうからイヤだ。



 県立高校のシャワー室なんてどこもこんなもんだと思うが、水と湯の調節が細かくないから、冷たいか またはとびあがるほど熱いか、のどれか。けっこうがんばった末に好みのぬるめの湯温にしてシャワーをあびる。
 部室に戻って制服に着替え終わる頃には、しゃがみこんで眠っちまいたい気分。










 大会を間近に控え 熱の入った部活が終了し、部室は着替えと帰り支度をはじめた部員でごったがえしていた。バスケ部は別に人数が多いわけじゃないが、単に部屋が狭いのだ。壁一面を囲っているロッカーのせいで さらにニンゲン様のスペースはない。


 チビのクセにきっちりカラダができてる宮城は バテてる俺をからかうように見上げて、
「お疲れっすね、三井サン」
アイサツをよこしてきた。


 サッパリした性格なのは知ってるが、もうちょっと俺に負の感情をぶつけてくれてもいいんじゃねえかな。と いつも思う。
 こうも(生意気だが)フレンドリーに接してこられると、逆にうしろめたくなるのは なんでだろう。

 宮城と ひとことふたこと会話する。それもダルイ。元気ありあまってる桜木とかの声がうるさいが うらやましくもあった。
 まあいい。早くかえろ。


 ブルーブラックの新品のスポーツバッグにシャツをつっこみ、ジッパーをしめようとしたトコロで、あれ、と気がついた。実際になにかに気づいたわけじゃない。ただ、なんだかイヤな予感がして、バッグの内ポケットをさぐる。




「・・・・・・・」

 案の定、といえばいいのか、嫌な予感は現実になった。





 ―――― ない・・・。





 バッグのほかのポケットにもやはりない。
俺はだらしなくてよくモノをなくしたり どこにやったか忘れるタイプだが、大事なものだけは決まった場所に保管している。
 だから、指定席だったそのポケット以外のどこにあるわけもないんだが、制服のケツポケットまで探してみた。

 そっちにはいつも通りのサイフとキーチェーン。シルバーのチェーンには自宅とバイクのカギが通されている。


「三井サン?、どーかしたの」
 黙ったままセカセカとバッグをいじったりサイフを出したりしてる俺に、不審そうな宮城の声がかかる。
 勘の鋭い男は、
「なんかなくした?」
 とアッサリ正解を尋ねてきたが、その『なくしたもの』をコイツに言うわけにはいかなくて、思わずオーバーリアクションに首をふってしまう。

 ごまかせたわけじゃないだろうが、深く追及しないことにしてくれたらしい。宮城は年下の分際でオトナびた目で俺を見、
「なんか困ったことあったら言ってくださいよ。あんた部員なんだから」
 説教ぽいイントネーションでのたまった。


「・・・・・・・・・・・おう」


 ―――― だからさ、もうちょっと、もうちょっと負の感情でもぶつけてくんねぇかな。


 集団でかこんで病院送りにしたことも、バスケ部も巻き込んで騒ぎを起こしたことも、なんでそんな流しちまったようなツラするんだろう。

 小柄なポイントガードは俺に引け目を感じるなと言っている。ほかの連中と変わらない『部員』だと。

 宮城やバスケ部の連中に―――― 引け目を感じるほど殊勝な性格ではないはずだ俺は―――― と思う。多分今だけで。練習を重ねて試合でもして、時間がたったらわだかまりはなくなるんだろうけど。

 今はまだ、復帰して間もない今は、どうしても俺はどこかかまえてしまっていて。
そんな俺に、困ったことがあるなら遠慮せず自分から言い出してくれという宮城の真意と気遣いは分かるが、だからこそ言えなくなってしまう。


「・・・」
 目をそらしてバッグに目を落とす。

 消極的な拒絶に、宮城はいっこため息つくとしょーがねぇなと苦笑して、自然なカンジで俺から離れた。相変わらず騒いでる桜木と フェイクについて話しはじめる。




 部員が三々五々散って行って、部室はいつの間にか俺ひとりになっていた。
バッグの中身を全部床にぶちまけ、しつこく探す。ないことはもう分かっているのに。



「・・・・・・っ」

 ほかのことだったら―――― 宮城に言うこともできた。
困ってんだよ、俺のためになんとかしやがれと命令すれば、怒ったりイヤミ言ったりしつつ、でも協力してくれただろう。宮城だけじゃなく、桜木や、ヒトのいいほかの連中も。




 ―――― 大事なモンなくしたんだ。探してくれ。――――




 でもさすがに『これ』はムリだ。言えない。






 一週間ほど前、キーチェーンからはずしてバッグの内ポケットに移し換えた自分を後悔する。チェーンで吊っておけば、こんな なくしかたをすることはなかったに違いない。
 もう使わないからと、ケジメのつもりで外したのが、こんなことになるなんて。


「・・・・・っ」
 全身から力が抜けた。練習の疲労もあって、汚い床にへたりこんでしまう。

 掃除されてない床の上。バッグの中身がちらばっている。それをまた詰めることが死ぬほどめんどうでやってられない、と思う。Tシャツ、膝のサポーター、ハーフパンツ、スプレー、タオル・・・・・・・
・。どうしてあれだけないんだと、ヒステリーを起こしそうだ。








 ガチャリ。


 ドアが開く音がした。


 床から目をあげるのは億劫で、トントン、とこちらに歩いてくる足音が誰のものかは分からない。その音が止まった。床に乱暴にまかれた俺の私物の山にぶつかって歩みが止まったのだ。視界に静止したバッシュが入る。見慣れたもの。





 ―――― 流川だ。





 足は、たくさんの障害物にちょっと困ったカンジでストップした後、それをよけたりまたいだりして自分のロッカーまでたどりついたようだった。

 お互いに無言だ。下向いたままの俺はヤツの顔も見ていない。
残ってひとり練習してた流川にお疲れぐらい言えばいいのかと思うが、無口極まりないこの男に話しかけたことはまだなかった。向こうからってのもあるはずがなく。

 部室は流川が着替えるかすかな物音以外、また沈黙がおりた。






 いいかげん、俺もへたってる場合じゃないと気づく。荷物ばらまいてボケッとしてるなんて、アヤシイことこの上ない。流川に そう思う脳はないかもしれないが、客観的に変な光景だ。

 たちあがるコトだって、今の俺にしたらかなりパワーを使う。練習中は動きっぱなしだから意識しないけど、終わったとたんカラダがムリしてるのが分かって、疲労がドッとくる。足はもう完全に治ってるようで筋の痛みはないが、重くだるい。


 支度が終わったらしい流川が、来た時と同じように俺の荷物を器用によけてドアまで歩いていく。ガチャ、とノブがまわる音がして、でも途中でとまった。

「カギ・・・」

 上から降ってきた抑揚のない声に、俺ははじかれたように顔をあげた。

「あったのかっ?!」

「――――」
 ドアに手をかけた状態でこっちを振り返っていた流川は、切れ長の目を少しだけみはった。
 それから、キーホルダーもヒモも何もついていない安っぽいカギを取り出して俺に見せる。

「・・・・・部室の」

「・・・」

 コトバの少ない1年だが、言いたいことは分かった。自分はもう帰るから、最後のヤツが戸締まりしろとカギを渡す気だったのだ。


「・・・・・・・おう」
 焦って反応した自分がアホらしくて、俺はやっと立ち上がると、流川のそばに寄った。俺より数センチほど高い身長がハナにつく。俺、もう伸びねぇのかな・・・タバコはやってなかったんだけどな、チクショウ。

 手を出すと、流川がてのひらにカギを落とした。


 すぐしまわず、なんとなくそのカギを見下ろす。
と、

「カギないんスか」

 近くで向かい合っていても、決して大きくはない声がかかった。



 見上げると、感情の読めない暗い虹彩の目が俺を眺めている。
無感動に観察しているようでもあったし、俺への対応に途方にくれてるようでもあった。

 流川の言っている『カギ』はもちろん、今手渡された部室のカギじゃない。
だって・・・ないんだ。なくしてしまった。


「・・・・カギ・・・・」

 宮城に言えるわけがない。
バスケ部の連中に言うことじゃない。

 それは分かってるのに、目の前の1年坊の質問に、するっと、抵抗なくコトバが口をつく。


「ねぇんだ」



 バスケ部に復帰して。
流川と話すのはハジメテだ。

 なんて、関係のないことが頭をよぎった。



「・・・なくしちまった」




「鉄男にもらったカギ・・・」






















 足のケガと、それだけじゃない原因からバスケを離れた2年間。
その間、俺は世間からは「不良」と呼ばれるごろつきと化してたし、自分でもダメになってるなってのは感覚で分かっていた。

 でも、ダメはダメなりに思うこともあったし楽しいこともあった。



 すべてをムダとは思うな、というのは安西先生が俺に言ってくれたことだった。

「取り戻せないものも確かにありますが、全部ムダだったと思ってはいけませんよ」

 最初の練習ですぐにバテて、その体力の低下に自己嫌悪に陥ってた俺のそばに来て、肩を叩いて言ってくれた言葉。





 バスケがなかった2年間。


 ムダな時間だった。でも、全部ムダじゃなかった。
その部分に、鉄男はいる。












 鉄男とつるむようになってどのくらいたってからかは覚えていない。わりとすぐだった気がする。

『ホラよ』
 ふいに手を出せといわれた。


 タバコでもくれるのかと思ったから断ろうとしたら、再度出せと繰り返される (そういえばヤツがタバコをすすめてきたことなんかなかったが)。

 今度は素直に利き手をさしだすと、チャラ、と音をたてて金属が手の平に落ちる。古いカギだった。


『この前出てきた合鍵だ』

『?』

 それしか言われなかったが、ああこれは俺のものなんだな、と勝手に納得してキーチェーンに通した。やっぱり何も言われなかったから、それで合ってたらしい。







 鉄男の部屋にはほかの連中もよく入り浸ってたけど、カギまでもらったのは俺だけみたいだったから、優越感を感じた。昔から変わらない。俺はおだてられたり機嫌をとられたり、コドモじみたプライドをくすぐられるのに弱かった。特別扱いを受けるのが大好きだった。
 鉄男は日頃俺を全くひいきしてなくて、それにムカつきもしたが、このカギだけは例外だった。


 バスケ部に復帰してからは、当たり前だが暴力沙汰を起こすわけにもいかないし、補導でもされたらそれだけでアウトだ。
 もう二度と安西先生を、バスケを裏切る気にはならないし、鉄男たちとも会っちゃいけないんだと決めた。2年間、間をおかずずっと一緒にいた人間と離れるのは、やはりさびしかった。








「だからもう使わねぇけど・・・でも」


 カギは、持ってたかった。




 今自分の手にあるのは真新しい部室のカギだ。こんなところ、盗むものなんかないのにな。
 ぎゅっとにぎると、かたい凹凸が手のひらと指の痛覚を刺激した。


 順序だって話すのはうまくないし、思いつくままに口にしていったので、俺の話を流川がどこまで理解しているかはあやしかった。こいつのことだから半分寝ながらかもしれないし。
 しかし、カギから目を離して色白の、桜木いわく『キツネ』面の後輩を見ると、とりあえず起きてはいたらしく、目が合った。

 桜木と同じで強情さが分かるまっすぐの眉。その下にある両目は涼しげで、絵に描いたように左右対称のバランスで俺を見つめていた。黒目の部分が少ない三白眼気味のまなざしは、初めて会った時のように敵意を持って俺に向けられてはいないものの、優しいとはほど遠い視線だと思う。






 あのカギを使うことはもうないだろう。
勝手にあがりこんで我が物顔に寝泊まりしたり、私物を置いたまま放っておいたり。ムダにさわいだり。冗談にかこつけて甘えてみたり。



 ―――― そんな以前の生活は。







 使わないカギを後生大事にしまいこんでいて、なくしたと騒いでいる自分は、流川からしたらとんでもなく情けないのかもしれない。
 そもそも、鉄男は俺と一緒にバスケ部に乗り込んだ、こいつからすれば『敵』だ(俺だってまだ『敵』と思われてるだろう)。
 宮城に言わなかったのはその判断からだったのに、なんで目の前の一年に口をすべらせてしまったのか、よく分からない。


 どうしたもんだろう。

 今のは忘れろと頼むか、忘れろと脅すか、忘れろと暗示をかけるか・・・(最後のはできないが)。




 しかし、何か言おうとした俺より流川の方がはやかった。



「あんたは少しバカだ」


「・・・・・」


「前からそう思ってたけど」


「・・・・・・」


「バカっぽい」


「・・・・・・」



 日本語のはずなのに、ヤツのコトバは耳には聞こえても意味が分からず。
俺としたことが、反撃が遅くなってしまった。



「あァ?!! てめェっ、言うに事欠いてバカとはなんだゴンギツネっっっ!!!」
 なんでゴンギツネとののしった(?)のかは謎だが、ガキっぽい罵倒はどうも桜木の影響を受けてたらしい。

 流川は「ゴンギツネ?」とちょっと首をかしげてみせたが、にぎりしめていた俺の右手の指をほどくと、中のカギを取り出した。部室のカギだ。
 そしてドアを開けて外に出て行く。

 なんなんだ?、と思う間もなくひょいと顔を出し、
「そのカギなら簡単にみつかるスよ」
 かわいらしさのカケラもないが、一応後輩口調でよこし、「来い」というようにあごで指図した。
 そのタイドにまた俺がキレたのは言うまでもないが。







 部室にカギをかけ、(散らばった俺の荷物はそのままだ、そーいや)、流川と俺は体育館を出た。
 中空に白い月がくっついている。もう夕食時を過ぎていて、今さらだが腹がへった。流川との会話で意識しないでいたが、やっぱり疲れてたし。

 てくてくとぼんやり歩いている流川は、コートの中とは別人のようで、俺は『ジキルとハイド』みたいだ・・・と読んだことのない小説タイトルを思い出していた。


 『落とし物』箱のところにでも (あるのかそんなん) 連れてってくれるのかと思ったが、自転車置き場についてママチャリのカギをあけ、そのカゴにバッグを放り、
「後ろ」
 と後部座席を指差したところでようやく、こいつ帰る気まんまんじゃねーか!!と気づく。

「オイ、俺のカギは!?」
 一緒に探してくれんのかな、とちょっと期待した俺の気持ちはどうなるんだ。
 簡単にみつかるとか言うから、校内の落とし物をまとめて預かってる場所があるのかとか、いや流川自身が失せモノ探しが得意なのかとか、こーいうぼけっとしたタイプは意外に霊感が・・・とか、霊感少年説まで浮上していたというのに。


 流川は怒ってる俺をまたフシギそうに眺め、
「うん。後ろ」
 とまた座席を指差した。

「・・・・・」

 疲労が・・・。

 なんかもうどうでもいい気分になって(投げ出しがちだな・・・俺)、まぁ歩くより乗っけてもらった方がラクだし、と俺は乱暴に後ろに座った。

 がくっ、と最初の踏み込みでチャリがゆれ、あわてて流川のシャツをつかむ。それを確認すると、今度はスムーズに流川ママチャリは発進した。












 ママチャリの後ろなんて乗ったことないが、居心地は悪くなかった。前にいる流川のペダルをこぐペースは悠々ときわめて一定で、そのせいで揺れが小さいからかもしれない。
 俺以外の湘北のレギュラーは、そろいもそろってスタミナがある。イヤになるな。(まだ試合してねーけど、俺はスタメンだ。当たり前だろ)



 ―――― カギのことを考えると憂鬱だ。
家にあっかなあ・・・それとも、学校か?。駅とか、外で落としてたらもうどうしょーもねぇよな・・・・・・・でも・・・・・。

 つらつら考えてると、眠くなってきた。

 信号でチャリが止まる。学校ぬけたトコの売店前の信号だ。なぜか異常なほど長く待たされるから、生徒みんなに嫌われてる。


 チャリがとまって、風を感じなくなった。

「・・・・・・・」
 何もすることのない待ち時間というのは本当に退屈で、まぶたが重くなってくる。眠い。

 ウトウトしてたらしく、気づいたら目の前にある背中に額がぶつかっていた。ビク、と流川の身体が一瞬緊張したのが分かったが、その支点に体重を預けているのはすごくラクで、身を起こす気になれない。
 流川はツラといい雰囲気といいオンナへのタイドといい、絶対零度みたいなヤツだが、スポーツマンらしく、触れた背中は熱かった。シャツごしに体温がつたわってくる。それがまたウットリするほど眠気をさそった。

「落ちるから。ちゃんと腕」
 背中と同じ、体温の高い腕がのびて、シャツをちょこっとつかんでた俺の手をとった。
目を閉じたまま感覚だけが残る。流川の腹に両腕をまわされたようだった。

 そのおかげで、さっき以上に体重をかけることになって、完全によりかかる状態になったが、それが嬉しかった。楽だ。眠い。とにかく眠い。眠りたい。練習の最後までついてくのがやっとで、ホントに体力の限界だった。




 少しの衝撃がカラダに伝わる。
青になって、チャリが走り出したらしい。最初学校を出るときはがっくんと かなり揺れたのに、とフシギに思う。


 流川はどうやら片手運転をしているらしく、腹にまわした俺の両腕をどちらかの手でおさえているようだ。
 その指も熱くて、安心できる力強さがあった。
腕の力を抜いてもいいんだな、とおぼろげに判断する。こいつが、ちゃんとつかまえてくれてるんだから。




「センパイ。どこスか?」

 チャリの走る風の音の中で、低くボソッとした声がかけられた。背中に触れてるから、声は近く、響いて聞こえる。

 耳障りの悪い声質ではないが、眠い。話しかけないでほしい。


「・・・・・・・・・あにがだよ・・」


 眠い。


「テツオんち」

「鉄男・・・は・・・えーとぉ、竜のバイトしてっとこのそば・・・」


 寝たいのに、流川がジャマする。俺ははやくだまってほしくて、もごもごした声で答えた。眠い。


「リュウがバイトしてんのは?」

「飲み屋・・・・」



「どこスか」

「えーと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」




 眠い。



 眠い。



 明日も朝練なのに・・・。



 はやく体力つけなくちゃな・・・・・・・・・・・・・・・・。












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みっちーおねむ。
by.伊田くると



三井 「ぐー」
流川 「・・・・・・・(無言)」

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