ガキの頃。 戦場で恩師に拾われた。 それまで、俺にとって人というのは ―――― 特に身体の大きい大人は、敵だった。 それは動いていると怒鳴ってきたり ぶってきたり追ってきたりするから嫌い。動かなければ嬉しい。懐から食べ物をもらっても怒られない。 人とろくに言葉も交わさずに放浪し、生きるという意味もわからないまま生きてきた。 俺は、人とも疑わしい、手のつけられないケモノのようなものだった。 先生は、今まで会った大人とは違った。全然違った。 まっすぐに俺をみつめた、その目はとても穏やかで、太陽の当たった地面のような色をしていた。 決して優しいだけの人ではなかったけれど、俺を真正面から見てくれた、最初の人だった。 汚れたことなんてないような、白い手のひらを差し伸べられた。 ついていこうと思ったのは、どうにでもなれなんて捨て鉢な気持ちからじゃなかった。 初対面で、でもこの人から俺はなにかをくみとれたんだと思う。それは俺に人らしい感情が生まれた瞬間かもしれなかった。 先生は家で私塾を開いていた。 後に多くの攘夷志士を輩出し有名になる松下村塾には、身分を問わず子供達を集め教育が行われていた。 先生が俺を放っておけなかったのは、彼が子を導く教育者であったのもあったと思う。 俺が先生の家に住まわせてもらってしばしの後、同じ年頃の子供たちとその学び舎で机を並べることになった。 まァ、赤子に辞書を読ませるような行為ではあった。大胆な先生だ。 同じくらいの年頃の子の集まりには、目立つ存在がふたつ。 ヅラと高杉だ。 塾では勉学のほか思想や剣術・兵法の教えもあった。すべてにおいて卓越していたふたりはリーダー的存在だった。家柄も良かった。 先生は子供の身分に頓着する方ではなかったが、子供心にやはり影響するものなのだろうと思う。 そのふたりは先生の言いつけがあったのだろう、生活に慣れるまで始終俺のそばについて、なにくれと世話を焼いてくれていたのだが。 基本的生活習慣など何も身につけていなかった俺は人らしい一日を送ることができなかった。 うまくいかないことだらけ。些細なことで気が高ぶって、自分でもどうしようもなくギャーギャー大声を上げ、そこらじゅうのものに当たって暴れたりした。 赤子より悪い。本当にケモノの子だ。 よくまあ、先生はこんなんを家に置いたもんだと思う。置き続けたと思う。 いい家のお坊ちゃんふたりも、先生のためとはいえ、よく、俺を見捨てなかったと思う。 数え切れない癇癪の爆発の後のことだ。 一度何かの拍子で先生にケガを負わせてしまってから、自分なりに このままではダメだと思い、後悔し、暴力の衝動を必死に戒めた。先生からもらった刀を抱いて、それをふるわず ぎゅっっと両手で抱いて。口を閉じて。 けれど、そうして我慢を覚えると、悲しいという感情も芽生えて。 俺は泣くということを、物心ついて初めて知った。 きっと赤ん坊の頃以来だ。 悲しくて、つらくて、泣いた。 両目からぽろぽろと涙がこぼれて、止めようとしても止まらず。 俺が人へと成る過程の中。 そんなとき、意外にも泣き止むまでつきあってくれたのが晋助だった。意外も意外。
昔の事、恥ずかしくも温かい過去へと思考が飛んだのにはきっかけがあった。 夕飯の買い物をし、神楽と並んで家に帰る道の途中。 すさまじく泣き叫ぶ声が突如上がったのだ。 進行方向で起こっているそれに近づいていくにつれ、ギャン泣きしている晴太くらいの年頃の子供と、その前にしゃがみ込んでいる地味な着物の女が見える。 母親だろうか。 どれほど叱られたのか、となんとなく思いそちらに目をやる。隣の神楽も同じく じっと母子を見つめている。 俺はすぐにあきてしまったのだが、 「どうも子供が店のモン壊して、謝らなくて怒ったみたいアル」 歩みは止めないものの状況を見てとって説明してくる。 ああそうなの、としか思えない出来事だ。 「でも子供が悪いネ。悪いことしたら謝る。それでダメならケーサツ連れてくアル」 「すげぇしつけだな」 あんな子供を見て、どうして警察沙汰なんて発想がわくのやら。お前じゃあるまいし。 「お前も銀さんに暴力働いたらちゃんと謝れよ」 怪力のあまり、こいつがなついてくると時に命に関わる。後ろから飛びつかれた時は背骨をやられそうになったし、マッサージしてやるなんて殊勝なこと言うからやらせてみたら肩の筋肉すべていかれそうになったり。 「それもしつけヨ」 「なんで俺がお前にしつけされなきゃなんねんだよ」 子供の泣き声がやんだ。 遠ざかって聞こえなくなったのでなく、泣き止んだようだ。子供ってのは嘘みたいにピタリと泣き止むものだ。 ちゃんと謝って、許してもらったのだろうか。 少しだけ、微笑ましいような気分。 神楽もなにか思ったのか、両手に持っていた買い物袋を片手でまとめ、あいた手で俺の手をにぎってきた。 こうしてためらわず、当たり前のように手を取られるのは、なんだか気恥ずかしいような、むずがゆい気分だ。 自分は親がいないし、親代わりになってくれた先生は、きっと俺が手をのばしたらやさしく握り返してくれたろうけれど。 こんな風に。 俺には自分から手をつなぐ習慣がない。 きちんと考えたことはなかったけれど、あの人と出会うまで、それは寒々しい幼児期だったのだ。もうあまり覚えていないけれど。ムリはないか。 だから自分と違いそれができる神楽がかわいらしくて、こいつが手を伸ばしたら、自分から飽いて離すまでつないでいたいと思うのだ。 「銀ちゃんも私にいろいろ教えてくれたネ。地球じゃやっちゃいけないコト、いろいろあって大変だったヨ」 「身を持ってな。地球人はお前よりか弱いんだよ」 頑強な天人の少女がコミュニケーションやスキンシップで力加減を覚えてきたのは、俺や新八の犠牲の上だ(定春は頑丈なので勘定に入れない)。 そういや、最初なついてぎうっと手をつないできたときは、拳をつぶされるところだった。思わず悲鳴をあげたが、それでも手を振り払わなかった自分を褒めてやりたい。 「それだけじゃないアル」 神楽は大きく口を開けて笑って、つないだ手をぶんぶん振った。つられて俺の腕も一緒に振れて、俺も笑いたくなる。 ―――― なんか今日は素直だねお前。 母と子を見て、もういない母親を思い出したのか。 この時代では、家族のいない者は珍しくはないけれど、でも俺が先生に出会えて、友人もできたように、こいつも、俺や新八や、階下のババアどもでなにか補填できているなら何よりだと思う。こいつにはうすらってる父とイカれた兄もいるにゃいるけど。 「銀ちゃんもああやって怒られたアルか?」 ん、しつけの話か。 「・・・・・・・・・・・・・そーだな。めちゃめちゃ怒られたな」 「マジでか」 「マジで。でも怒られただけじゃなくて、ちゃんと、優しくもしてもらったぜ。なつかしいな」 ―――― ああ、ほんとうになつかしい。 俺がお前より、ずっと小さかった頃だ。 いろいろ(主に金銭的に) 問題はあるとはいえ、こうして手をつないで歩く家族も持てて、はにかむように、くすぐったいように幸せを感じられる大人になるなんて、思ってもいなかった頃があった。 拾われ、育てられ、人として「しつけ」されて。 俺は人になれたんだ。 |
|