幼い俺が、感情が高ぶると暴れるか、がなるか、泣くしかできなかったのは。 単純に言葉が遅かったからだ。 人間らしい生活をしてこなかったものだから当然のことだけれど。 思ったことを自覚することも、それを表情に出すことも、言葉にして口に乗せ、相手に伝えることもできない。 それをもどかしいと悔しがる、その気持ちさえ、先生と、周りに教わったのだ。 先生の開いていた塾に集まっていたさまざまな子弟達。 なかでも、先生が俺のことを頼んだふたり。 ヅラと、晋助。 ヅラはガキの頃から真面目で優等生で、俺の『教育』にもっとも熱心だった。わりとのんびりかまえてた先生と対照的で、なんつーかどんどん教育ママみたくなっていく。 早く俺を自分たちと同じとこまで引き上げようと、やっきになって。 読み書き、生活習慣、礼儀。敬語の使い方、草履の履き方、箸の持ち方にいたるまで。 ヅラは口やかましく (そりゃ今となっては感謝もしているけれど) 俺を叱り、怒り、責めた。 大人が着物のどこにカネを入れてるか、どこに食いモンを持ってるか。つるんでる奴は近くにいるか。刀の抜き方、痛くなりやすい場所、大丈夫な場所、助かるための手段、逃げるルート、安全な所そうでない所。生き延びること。 そんなものしか知らない俺は、人としてしなきゃいけない膨大な勉強と修練にパンク寸前だった。 そんなある日。 箸の使い方の練習がうまく進んでいなかった時のことだ。 ヅラはどこから聞いてきたんだか、ベタな方法を俺につきつけてきた。 皿に小豆を入れて、箸でつまんでもう一方の皿に移すという、アレだ。 本当にやらされる奴いんのか。 いや、今でこそなんつーベタな特訓やらせんだ。と分かるし呆れもするが、当時の何も知らない俺には地獄だった。 できないとオヤツやらない、とか言うし。 食欲だけは人並み以上にあったので、そこを断たれるのはつらかった。馬にニンジンの例えの通りだ。 もともとは器用なタチだったので、ご褒美をちらつかされればがんばってそれなりにこなしてきた。 合格点に達すれば、スパルタなヅラも嬉しそうに笑って褒めて、くるくる頭をなでてくれたし。 先生が一番だけど、ヅラになでられるのもうれしかった。 そういえば、当時はヅラのが俺よりちょっとでかかったっけ。晋助も。いつごろ抜いたんだったかな。 俺も先生のそばにいたかったから、ちゃんと人らしくあれるよう、力を尽くそうとは思ってた。もう暴れることはなくなったし、かなりいろいろとできるようになってきていた頃だったと思う。 けど、箸だけはダメで。 使ったことなかったし、短い指の力加減で二本の棒の開閉をするなんて、いま思い出してもきっついわ。とにかく難しかった。 指をどこにはさむんだっけ、どこの指に力をいれるんだっけ、真ん中の指が痛い、しびれそう、そんなこと考えてする食事なんてつまんないから。 いつもグーで握り箸だった。もしくは手づかみ。 そんな普通の食事もできなかったのに、小豆拾いなんて、大人にだって難しいだろう。レベル上げすぎだ。 ヅラは熱心な教師だったが、やはりバカだ。間が抜けている。 <しつけ>と神楽に尋ねられ、一番印象に残っているのはやはりこの箸事件だったのだが、けっこうこんなことはあった。 まあそのくらい、俺は何もできないでかい赤ん坊だったわけだ。 「お前もできねーだろ。家帰ったらやってみる?」 「いい!。いらないネ!!」 「ハハ、小豆ならたくさんあるのになー」 しるこを作ろうと思ってたから、安い時にしこたま仕入れたのだった。 からかってやると、俺と同じく箸を苦手とする神楽は顔をひきつらせて拒否した。 使えるように軽く練習もしたけれど、こいつもフォークのが食べやすいらしく、新八や俺との食事では箸とフォークを合わせて使うことが多い。豪快にメシをかっこむのは得意だが、こまかいものをつまんだりはやはり苦手だ。 「銀ちゃん大変だったネ。銀ちゃんのマミーこえーアル」 「おっかなかったよ」 マミーではねーけど。ヅラ子だけど。 我慢を覚え、泣くことを覚えたら、今度は俺はとても泣き虫になった。 けれど、ヅラの前でムリだできないと泣くことはできなかった。 子供心にも、そうして泣いて許してもらうなどカッコ悪いとか。そんな感情があったのか。先生に、できない子と思われたくなかったか。 もう覚えていないけど。 イライラしてもどかしくて、ちゃんとしたいのに指はうまく動かなくて、おなかも減るし、暴れたいけどもうそれはしちゃいけないし、ヅラは腕組んでむうとした丹下みたいな顔でニラんで見守り続けるだけだし、カラカラの小豆はかぞえきれないほど残ってるし、正座までさせられてたので慣れない足も痛い。 そして臨界点に達した俺は立ち上がり、無言で箸を握ったまま部屋を飛び出した。 俺を呼ぶヅラの声を無視して、裸足で外に飛び出し駆けた。 こうしてヅラから逃げることは何度もあった。そんなとき、癇癪起こしてもうやりたくないと投げだしたとヅラは思っているだろう。あきれているだろう。 けれどそうでなくて。 実は、ヅラから離れて俺はめそめそとひとり、泣きに泣いていたのだ。 悲しくて つらくて くやしくて ヅラがにくくて 先生が恋しくて めそめそ めそめそ 泣いていた。 するといつのまにか、隣に座る子供がいたのだ。 何をするでもなかった。 足元の草をちぎって風に投げたり、俺の知らない歌をかっこつけて歌ったり。 分厚い本を持ち込んで読みふけっていることもあった。 やることがなかったのか、俺の髪を執拗に撫でいじってることも、うつらうつらぼうっとしてることもあった。 でも、寝たり、先に帰ってしまうこともなかった。 本当に意外だけれども、それは高杉晋助だった。 いまやあんなにも苛烈な性質の男だが、もちろんガキの頃からそうだったわけではないので。 ―――― 今でも、 あの頃のまま、先生を失わず大人になっていたら。 あの穏やかな日々を奪われなかったら。 俺も高杉もヅラも、全然違う人生になったんじゃないかと思う。 だって、晋助はとてもやさしい子供だったのだ。 涙は止まらなかったけれど、いつの間にか晋助が俺をみつけてそばにやってきて。無言で隣に座る。 泣いてる所を見られたくなくて、ひとり遠くへ逃げ出すのにも関わらず、人の気配があることに俺は救われていた。 嬉しかった。 もうひとりには戻りたくないと思った。 このあたたかさを知らなかったから、今までひとりで生きてこられたのだ。ひとりの冷たさやつらさを知らなかったから、つらくなかっただけなのだ。 泣いても、それを怒らず、ただ横に添ってくれる人がいる。それは時にヅラより乱暴に俺をいじめたりする奴だったが。 「しつけは・・・本人はうざがって嫌がったりだけどよ、やっぱ愛だな」 「キモッ」 「早いよ、お前キモッがすごい早かった。間髪いれずだった。オッサンだって傷つくんだかんな。ほらあのマダオ、お前に会った後いつも涙目になってるよ?。どんな暴言吐いてんのお前は」 キモッの動作で離されたかわいそうな手で丸い頭をポカリとたたき、そのまま置いてなでた。 これもしつけなんだかんな、クソガキ。 な、愛だろ。 先生のように。 ヅラのように。 晋助のように。 いつしか涙もつきた俺が、晋助の上等な着物の袖をひっぱると、晋助は笑って俺の頬をふき、「帰ンぞ」と歩き出した 。もう一度袖をつかんでひっぱると、「伸びる」と文句を言って、指をはずさせ、そのまま手をにぎってくれる。 手をつないで、帰った。 家に、帰った。 手をつなぎたかったけど、自分から手を取れなくて、袖をつかむしかできなかった自分のこと、きっと分かってくれていたんだろう、と思う。汚い手で服に触るなとか、伸びるだろとか、いろいろ言って、でも晋助は直接、俺の手にふれ、包んでくれたのだ。 「なにができなかったんだ?。教えてやるよ。ヅラをびっくりさせてやろうぜ」 そしてなんでもできる晋助は、次の日の朝こっそりと、俺にそれを教えてくれるのだった。 小豆拾いに関しては、そんなんできなくていーだろ、と一刀に切ってくれてやらなくてよくなった。時にヅラがおかしな方向に行こうとするのを正してくれるのも晋助だった。 ヅラの特訓はつらいけど、 こんなにも愛に包まれて、いつか俺も彼らのように、人になれると思えた。 今お前のいる場所は、荒涼とした何もない砂地だ。 今お前は泣いている。ひとりで、泣いている。 世界が恐ろしくて、閉じていた頃の俺のように。世界が憎くて、居場所がなくて、もう全てなくしてしまいたいと泣いている。 でもお前は知ってるんだ。 あの場所はもうないんだって。確かに存在していたあのあたたかい場所は、もうどこにもないんだって。 お前は泣いている。 今度は俺が お前の涙がかわくまで。 お前が泣き止むまで。 そばに、いてやりたい。 もらった愛を、あいつにも。 終 ヅラ=叱ったり教育担当 |