――― お前の手は嫌いじゃねぇな。
自分に触れてこようとする連中の手は、とても汚らわしくて。
いつも鳥肌が立った。
でも、お前の手はとても温かくて。
骨っぽい感触。筋張った長い指。
触れられると、安心する。
とても、キレイな手だと思う。
『お前の手は嫌いじゃねぇな』
そう言うと、八戒はすごく。
フシギそうに。
そして、つらそうに微笑んだ――――――。
触れる指先
「だーっ!!、つっかれたあっ!!」
如意棒を地に放り出して悟空が叫んだ。そのままジープに背を預けてしゃがみこむ。
乾燥した土地のため、周囲に土ぼこりが舞った。
「なんだよ、もうダウン?」
戦闘中も手放さない、大分短くなったハイライトを右手に悟浄がからかいの声をかける。
ハラがへったんだよっ!!、と言い返すうち、いつものケンカが始まるのをあきれガオの三蔵が見やる。
文句の前に、撃ち尽くしてカラになった銃に弾丸を装填するのが先だ。
一行の目の前には、懲りずに繰り出された牛魔王刺客たちの死体が累々と倒れ重なっている。
日常茶飯事の襲撃に、昼飯後の軽い運動として そう時間もかけず掃討したところだった。
「いいかげんにしろよ、ちょっと休んだらすぐ出発するからな」
疲れたとか言ってたクセに、元気につかみあいしているカッパとサルをハリセンで容赦なく叩くと、三蔵は三人から少し離れた場所につっ立ったままの男の後ろ姿に近づいた。
三蔵の気配にすぐ気づいた黒髪の男――― 八戒が振り向く。
「三蔵・・・」
そうつぶやき、まっすぐに見つめてくる八戒の穏やかな緑色の瞳。
しかし、今日はいつもと違い、その瞳の中になにか影がかかっているように感じられた。
「疲れたのか?」
「いえ。すみませんボーっとしちゃって」
「・・・・・・」
こちらに身体を向けた八戒を見て、三蔵はかすかに眉をひそめた。
深い緑の上着が、血でドス黒く染まっている。
肩から腹部まで、ほぼ余すところなくべったりと鮮血を吸っている。
彼自身の血でないことはその様子から分かる、が。
「珍しいな」
つい感想がもれた。
―――― こんなに返り血を浴びるなんて。
派手な戦い方を好む悟空や悟浄ならいざしらず。
八戒は衣服を汚すような行動は普段避けているのに。
肩口から滴った血が、手首から白い甲、長く節の目立つ指をつたい、地面に落ちた。
「・・・・・・」
三蔵の視線が血の動向に向けられているのに気づいた八戒が苦笑を浮かべる。
とても悲しそうに。
「手が、血で真っ赤ですね」
「・・・・・・大丈夫か?」
三蔵の口から出た気遣いの言葉。
めったに聞けないセリフに、八戒はまた笑った。
唇をむりやり笑みの形に歪めたそれは、いつもの笑顔とは全然違う空気を持っていて。
三蔵は、理由もわからず寒気を覚えた。
すぐ近くで悟空たちが騒いでいるのに。
ここだけ、八戒のまわりだけ空気が冷えて―――まるで別の次元のように思える。
チッ、と軽く舌打ちをすると、三蔵は血まみれの八戒の手を強くひいた。
「来い」
そのまま了承も得ずに早足に歩く。
「三蔵?!、手が・・・」
あなたの手が汚れてしまう・・・。
そう言って八戒が手をほどこうとするが、強く握ってそうさせない。
ぎゅっ、とコドモのように強くつながれた手。
「・・・・・・」
八戒はまた何かいいたげに口を開いたが途中でやめ、あとは黙って三蔵についていく。
三蔵も無言のまま。
どこへ向かうかは早い段階で分かった。
先ほどジープで通った水場だ。
湖というには小ぶりな、森の中の水源。
五分ほど歩いてそこにつくと、三蔵はやっと手をはなした。
当たり前なことだが、三蔵の右手にもべったりと血がこびりついている。
「ほら、洗え」
「・・・・・・ハイ」
指図されるままに八戒は水際に腰を下ろす。
その隣に三蔵も座った。
なぜだか相手のカオが直視できず、八戒は湖水に目を落とす。
透明度の高い水。
底に沈む石までハッキリと映っている。
赤く染まった手を、指先からゆっくりと水面にひたす。
澄んだ蒼に赤が混じり、にごる。
しかしまもなく攪拌して汚濁は消え去った。
「・・・・・・」
左から波紋が寄せられる。
ふと視線を向けると、三蔵も手を洗っていた。
目に痛いほどの白い肌が、赤の間からのぞく。
血はあっという間に流れてしまった。
視線に気づいた三蔵がカオをあげた。
まっすぐ目があう。
言葉が出ない様子の、元は人間だった男に、三蔵は暗い紫色の瞳を細めて、イタズラっぽく笑った。
「キレイになったろ?」
「・・・・・・」
「汚れたら、洗えばいい」
「・・・・・・」
「自分が汚れたら、ほかのヤツにも分ければいい。そのほうが落ちやすいだろ」
「・・・・・・」
三蔵は、気づいているのだろうか。
気づいていないのだろうか。
八戒は、自分に向けられた笑顔を見て考える。
――― 多分、気づいてナイんでしょうね・・・。
三蔵は、自分が千の妖怪の血を浴びたあの夜のことを自分が思い出しているのだと考えているのだろう。
血に濡れた手を見て、あのおぞましい夜を、愛しい彼女を想起している、と。
もちろんそれもある。
忘れたことなどない記憶。
けれど。
――― 僕が考えたのは、アナタのことでした・・・。
それは数日前の夜中。
珍しく野宿をせずに済み、小さな街の宿屋に泊まった日。
悟空が寝入った後、悟浄も加え三人でささやかな酒宴となった。
ハイペースで飲んでいた悟浄がまずツブれて。
寝入った悟浄をベッドに運んでやり、テーブルに戻ってきた八戒が、なおも杯をつごうとしている三蔵に、
「飲みすぎですよ」
優しく注意して三蔵の持つボトルに手をやった。
不満げに上目で軽くにらんだあと、意外に素直にボトルを置いた三蔵が、酔って少し甘くなった声で告げた。
―――お前の手は嫌いじゃねぇな。
その時、自分がどんなカオをしたのか八戒は覚えていない。
期せずして彼女と同じ言葉を口に乗せた三蔵は、そのすぐあとテーブルに突っ伏して眠ってしまった。
安っぽいライトに照らされる、太陽の色の髪に、ふいに手をふれたくなって、やめた。
自分の手がひどく汚れたもののような気がした。
今日の妖怪達の襲撃に、百眼魔王の城での夜を思い出した。
なりふりかまわず戦っていたあの時の自分は、返り血など気にする余裕もなく。
気づけばひとまわり身体を重くかんじるほど、衣服は憎い妖怪の体液でぬれていた。
あの頃から、自分は変わったんだろうか。
八戒は自問する。
黄金の光に、救われたと思った。
けれど、自分の手はまだ赤いまま。
自分のせいで、大事なあなたまで汚してしまうのではないかと。
「汚れたら、洗えばいい」
てのひらを見ると、もう血液の痕跡は残っていなかった。
いつもの、生命線の短い八戒の手のひら。
湖水からひきあげたそれに三蔵の手が触れた。
「キレイになったろ」
「・・・・・・ハイ」
唇が笑みの形になる。
大丈夫だ、今度はほんとうに笑えている・・・八戒は感じた。
水で冷やされた互いの手はひんやりとした感触で。
けれど、次第にゆっくりと温かくなっていく。
八戒は触れ合ったままの手をそっと持ち上げて、三蔵の指先にキスをした。
三蔵は驚いた様子で とっさに手をひきもどそうとしたが、数瞬ためらったあと、あきらめたのかそのまま抵抗せず力を抜いた。
「誓います」
低く、つぶやいた八戒の声。
何を、とは尋ねずに、三蔵は黙ってうなずいた。
待ちくたびれて、不平たらたらのふたりとジープのところへ戻る。
「ふたりしてどこ行ってたんだよーっ!!、ずりーっ!!」
「八戒っ!!、抜け駆け禁止っつったろーがっ!!」
飛び跳ねて怒る悟空と、ビシッ、と八戒に人差し指をつきつけて怒鳴る悟浄。
ふたりの相変わらずな様子に、八戒に自然に笑みが浮かぶ。
そんな八戒を見上げ、三蔵も秀麗な容貌に笑顔というほどハッキリとはしない、しかし優しい表情。
悟空と悟浄に声が聞かれる直前の距離で、八戒は、この世で一番大切な人間を振り返り、
「今度はあのふたりにも僕の汚れを負担してもらいますね」
耳元で低くささやいた。
三蔵はつまらなそうにそれを聞き流したが、八戒がまた前に向き直ろうとした時、
「お前の手は嫌いじゃねぇ」
―――汚いなんて、思ったことはない。
やはりつまらなそうに視線をそらし、無愛想に告げた。
「・・・・・・ありがとうございます」
――― あなたがいつもそうだから。
僕は、どうしようもなくあなたに惹かれるんですよ。
じゃれつこうとする悟空を、軽口を叩く悟浄を、不機嫌に冷たくいなしている三蔵の後ろ姿。
悟空も、悟浄も、そして自分も彼の存在にどれだけ救われているのか・・・。
こんな、なんでもない風景がずっと続くことを願ってやまない。
そう思える今の自分が、八戒は好きだった。
―――三蔵。
誓いますよ。
僕は、あなたを守ります。
「八戒、出発するぞ」
「はい」
――― この手が届く限り。
END
八戒 「もう帰りましょうよー」
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初小話。
弱い八戒さん・・・。
BY.伊田くると
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