その次の日も雨が続いた。



 私立校である青学は きっと普通の都立校より設備は充実してるんだろうけど、室内コートなんてものはもちろんないから 外練習ができなくなる。
 そうなると、いつもは体育館か武道場を間借りしての体力トレーニングになるのだが、今回は特別で 放課後 視聴覚室に集合をかけられた。

 あのよく出入りしてる記者のオジサン経由でまわってきた、全国の強豪校のビデオを観る、ということだった。




視力論.4





「部員が多いから、ひと部屋じゃ無理だな。とりあえず、レギュラーと三年生は視聴覚室Bに。一・二年生はAに集まっててくれ」
 視聴覚室前の廊下につくと、実務をとりしきってる大石副部長がテキパキと指示を出していた。

 俺の姿を見つけると、
「越前はこっちだ。座って待っててくれ」
 とわざわざ手招いてくれる。


 どこで聞いたか知らないが、彼は俺がある大会を『道に迷って』棄権したことがあると知っていて (迷ったんじゃなくて、竜崎コーチの孫のウソ道案内のせいなんだけど。まあ事前にちゃんと調べなかったのが悪いんだが)、俺を方向音痴と思っているフシがあった。誤解だ。






 視聴覚室BはAよりも小さい部屋のようだ。
中は教室と同じくらいだけど、一般教室と違うのは、カーテンが真っ黒なこと。あと黒板の位置に大きな白いスクリーンがある。まだ何も映っていないそれはハリのある布みたいだ。さわってみたい衝動をちょっと覚えたが、実行には移さず席につくことにする。

 俺は早い方だったようで、室内には三年生が少し、まばらにいるだけだった。「どーも」と一応 会釈っぽいものをして適当に席に着く。





 そいや。


 あの人、目、もう大丈夫かな――――。



 やることもなくボーっとすわっていると、もうすぐ来るであろう先輩の顔を思い出した。赤っぽい髪と、赤くなってた目。涙でぬれてた。




「・・・・・・」

 まったく大げさだ。俺もまわりも。
ちょっとゴミ(泥?)が入ったくらいで、過保護もいいところだと思う。けど。


「まぁ特別製の目だし・・・」

「何ゴニョゴニョ言ってんの?、おチビちゃん」

「ぉわっ」

 ふいに目の前に頭の中にいたのと同じカオがにょんと現れて、俺はガラにもなくびっくりしてのけぞってしまった。

 一瞬きょとんとした後、そんな俺の反応がツボに入ったらしく、菊丸センパイはげらげらと笑い出す。突き抜けた声が視聴覚室に目立って響いた。



 ―――― 全く、いつの間に来てたんだ・・・。

 心臓に悪い。


 思いつつ、ひとりで笑ってる菊丸センパイの、その大きな瞳に目をやってしまう。充血もとれてるし、問題はまったくなさそうだ。





「エージ、そろそろ始めるから座ってくれ」
「はいはーい」
 相棒である副部長の言葉に まだ笑いを残した声でうなずき、

「じゃね、おチビちゃん」
 俺を見ずに手だけ軽薄に振って、菊丸センパイは壁の方に歩いていった。
















「・・・・・・・――――」

 菊丸センパイと不二センパイの所属する三年六組はHRが長かったようで、到着は彼らが一番遅かった。
 菊丸センパイが席についたのと同じくらいで部屋の照明がおとされ、スクリーンに映像が流れ出す。作業は副部長と乾センパイが担当してるらしい。

 映像には、あの記者の人(なんて名前だっけ?) の声が入っていた。なんの記事に使う予定のものだったのか、最初は学校内やテニスコート設備の映像が続く。とりあえず退屈だった。寝ちゃいそうだ。

 が、本来だったら眠気がきそうなものなのに、そうならないのにはワケがあった。



 俺の隣の隣の隣の隣の席。
一番壁際の前から三番目。



 菊丸センパイ。

 と。

 その前の席の。
手塚部長。




 俺の近くの席もあいてたのに、着席をうながされた菊丸センパイはすぐにそうしなかった。わざわざ壁側の席まで。

 その理由が手塚部長の近くに座るため、というのが分かった時。





 感じた思いはすごく微妙であいまいで、自分にもよく分からなかった。




 不愉快とかムカつく、とは違う気もするけど少しだけそれも含まれてて、悪いことしてないのに叱られた理不尽な気分、にちょっと近いかもしれない。



 ――――苦手なら、自分から近づくことないのに。





「・・・変な組み合わせだな」
 俺でなくとも、その珍しいとりあわせが気になるのか、斜め前の席にいた桃センパイが小声で声をかけてきた。やっぱり映像がつまらなくて退屈になってるらしく、周囲に目をやってたらしい。

「そっスね」



 部屋は暗いけど、スクリーンからぼんやりと光が放射されてるし、俺も桃センパイも夜目がきく方だったので、ふたりの様子はよく見えた。



 菊丸センパイが、ちょい、と前の手塚部長の肩を指でたたく。
部長がふりむいた。



 ――――そこで。
部屋が急に暗くなった。


 ビデオ画像が止まったのだ。
不意の中断らしく、ぶつっ、と音がしたのが分かった。


 暗闇の中から誰か三年生の声で、
「あーまた壊れた。ここの、調子悪いんだよなー」
「そうそう、それで、この前の英語の時間まるまるつぶれたんだよな!」
 と聞こえてきて、それがきっかけみたいに周囲が雑談を始めだす。

 準備室にいる裏方の副部長と乾センパイは大変なんだろうけど、そんなのこっちは知ったこっちゃない、というカンジだ。


 気を利かせた誰かがカーテンを開けたけど、外は雨雲がびっしり空を覆ってたので、大して変わらなかった。


 やれやれだ。






「・・・あのさ、手塚」



 ―――― やれやれだ。

 いくら目立つ声だからって、まわりの雑談の方がボリュームもあるのに。
なんで俺は、薄暗闇の中、この人の声をはっきり拾ってしまうんだろう。



「昨日さ、アんガトね」

「・・・・・・・・・・・・・いや」

 そこは、「大丈夫だったか?」くらい言った方がいいんじゃないだろうか。なんて、無愛想でコトバ少なな部長に心の中でつっこんでみた。



「なんかお礼したいかもとか思うんだけど、手塚、今日ヒマ?」
「・・・別に気にしなくていい」
「気にするっつーか・・・でも姉ちゃんも、イッシュクイッパンの恩は忘れちゃダメだ、てよく言うし」

 イッシュクイッパン?。なんだろうそれ。



「・・・・・・・・・・・・・・・目はもういいのか」
 お、やっと気遣ったか。

 ちょっとタイミングがおかしいけど、部長がやっと優しさともとれるセリフを吐いたので俺は他人事ながら少しホッとした。そのコトバは俺が言いたかったものでもあったから、先を越された気もしたが。

 そんな俺の考えなど つゆも知らないのんきな声が返事を返す。
「にゃ?、もう全快だよー。ホラね?」
「いや。見えない」

 そりゃ見えないだろう。暗いんだから。


「見えない?、俺には手塚見えてんだけど。また眉間にシワよってるし」
「・・・・・・・・悪かったな」



 そこで、またふいに映像が復活した。機械の調子がよくなったようだ。
光るスクリーンのおかげで明るくなった視野が、ふたりの姿を映し出す。


「・・・っ」
 手塚部長が、驚いたようにすっと身をひいていた。

 暗い中で会話していたので、距離感がつかめなかったらしく。
思いのほか、互いが近くにいたことにびっくりしてしまった、みたいだ。

 あせった様子を残したまま、菊丸センパイから背を向けてスクリーンに向き直る部長の姿。
 ビデオ鑑賞の邪魔をしては怒られると思ってか (部長もそう真面目に観てるわけでもないだろうけど)、菊丸センパイは会話を続けようとはしなかったが。



 ひと言だけ。

「じゃ、今日部活終わったらさ、どっかいこーよ」

 小さく、その背中に声をかけた。







 機械の調子が復活して、関東・全国大会で当たると思われる強豪校のビデオを観た後、今日の部活はお開きになった。
 他人がテニスしてる映像だけ ただ見るなんて、健康によくないな、なんて思う。撮影規制が入ってるのか、少し遠くからのアングルではあったけど、刺激を受けるに十分なプレーヤーもいたし。身体を動かしたい気分だった。

 そういうところでは気の合う桃センパイも、今日の天気を嘆いてる。ウチのバカ親父も、室内コート作ればいいのに。

 と、そんなことを考えてる場合じゃなかった。俺はバッグを肩にかけると、急ぎ足で菊丸センパイのそばに向かった。

 前の席にいた手塚部長はスクリーンの前で大石副部長と何か話している。菊丸センパイは、のろのろとようやく椅子から立ち上がったところだった。



「俺も行くんで」
 前置きなく声をかけた。

 ちょっとつりあがり気味の目をきょとんとさせて菊丸センパイがこっちをみる。は? なに? ってカオだ。
なにって決まってる。さっきの手塚部長との約束のことだ。

「俺だって加害者なんだから、トーゼンでしょ」

 部長に目薬のお礼するなら、俺だってその権利・・・違う、義務がある。俺はそう主張した。
だって、菊丸センパイの目の原因は俺なんだし。


「・・・・・・・おチビちゃんて律儀なんだ」
 菊丸センパイはちょっと首をかしげて感心したようにつぶやくと、ま、いっけど、と了承した。




 ―――― あんただって律儀だ。


 本人には言わないけど。



 苦手なら近づかなければいいのに。
目薬の礼を口実に、わざわざ近づこうとしなくていいのに。











 口調だけじゃなく しぐさだけでなく、このヒトは本当に猫っぽい。
さわらずに逃げればいいのに、逆に意識をひかれて自分から近づいていく。ちょっとビクビクしながら、相手の反応をうかがいながら。

 相手を観察する。し続ける。

 そうして近づいたり離れたりを繰り返すことで、意識はより深くなっていく。相手を認知しようとする。



 ――――でもそれは、あんたの勘違いだ。






















 手塚部長は菊丸センパイのほかに俺までくっついてきたことに驚いているようだったけど、特に何も言わなかった。
 「礼なんていい」とホンキで思ってるのがこっちにも分かる。けどそれを聞く相手じゃないというのも分かってるらしく、菊丸センパイにつきあう気はあるらしい。なんだかんだ このヒトも律儀だ。

 『お礼』は菊丸センパイの「今日なんか食べたいから」のひと言で、近くにできたお好み焼き屋に行くことになった。ファーストフードに比べてちょっと高くつくけど、この店は木曜がサービスデーだから大して変わらないんだと偉そうに知識をひけらかす。どうでもいいことはよく知ってる。

 座敷席に通された。
テーブルいっぱいの熱い鉄板に手をかざして嬉しそうな菊丸センパイ。サービスデーだけあって店内は混んでいてうるさかった。注文の品が来るまでのちょっとの時間もじっとしていられないらしく、コップの水を鉄板にこぼして蒸発させて遊んでいる。


 こういう店にあまり馴染みがないようなのは手塚部長だ。ほかの客に迷惑な位置に置いてあった菊丸センパイの荷物をさりげなく直している。

 家事もやらなそうだし、このヒトがお好み焼きはともかく もんじゃが焼けるのか俺はちょっと気になった。手際よく焼いてくれても面白いし、やり方が分からず困ったとしても面白い。

 ―――― 意地悪というより好奇心をくすぐられていたんだけど。


「お礼なんだから、俺が焼いたげるね」
 と菊丸センパイが甲斐甲斐しく焼いてくれることになったのでナゾのままになりそうだ。

 (意外だけど)部内でも一番の家事能力者だから さすがに上手だった。
手塚部長はその手つきをじっと見ている。「へぇ、そうするのか」ってカンジに。やっぱこのヒト、知らなそうだ (出てきたどんぶりの中身をかきまぜないで焼こうとするくらいはやりそう)。

 菊丸センパイの好みでたっぷりカツオブシをかけたお好み焼きは器用に三等分され、それぞれの皿にのせられた。今日は部活がなかったからいつもより空腹度は少ないけど、熱に苦しむように動くカツオブシや香ばしいニオイに食欲がわく。


「いただきまーすっ」
 手を合わせて菊丸センパイ。
すぐに食いつこうとしてた俺も、思い出して「イタダキマス」とあわてて言った。手塚部長もお行儀よく後に続いた。

 鉄板とお好み焼き両方からあがる蒸気に、部長のメガネが曇る。彼はテーブルすみにそれを置いた。


 ――――メガネを外したトコロは初めて見たな。

 となんとなくその様子を視界に入れてると、俺の隣の席の菊丸センパイもやはり目をひかれたらしく、食べるのを止めて置かれたメガネを奪った。

「かけてもイイ?」

 返事を待たずにメガネをかける。
フレームのないメガネだからそう印象は変わらないけど、菊丸センパイにメガネというアイテムはやっぱり合わない。違和感たっぷりだ。

「似合わないス。マジメぶってるみたい」
 横から言ってやると肩を軽くどつかれた。

「ひゃ〜、度、強いね〜」
「乱視も入ってるからな」

 日本人に多い近眼なんだろうけど、乱視もあるらしい。メガネは必需品だろう。

 メガネのある菊丸センパイはヘンで、メガネのない手塚部長はなにか足りないカンジがした。日頃のイメージというのは強いもんだな、と感心する。

「知ってたけど、ホントに目悪いんだなぁ・・」
 焦点が合わなくて気持ち悪い、とすぐに菊丸センパイはメガネを外した。大事そうに両手の指でそれを支えている。
「でも動体視力は悪くないはずだよな・・・不思議」
 手の中のメガネを見下ろして、小さくつぶやく。


「・・・・・」
 その声にほんのわずかにまじる感情を俺は知ってる。



 言った本人も、それを向けられた相手も気づかない、かすかな感情。
第三者である俺がそれを感じ取れるのは、俺にも『それ』がないとはいえないものだからだ。


 何も気づかない手塚部長は、当たり前のように答えた。
「お前に比べたら大したことはない」
「動体視力も?」
「ああ、俺は目が悪いんだ」

「・・・・・・そうかな・・・」

 メガネのない手塚部長の目を見返して、菊丸センパイは曖昧にあいづちをうった。






 今日みたいに。
口実を作ったり またはなにかの気まぐれのように。


 菊丸センパイは手塚部長に近づこうとする。


 普段は離れてるのに、周期的に近づきたいキモチになるらしい。


 苦手な相手ならずっと離れていればいいのに、自分の心にもドンカンなこのヒトは、どうして苦手なのかがよく分からないから、たまに近づいてそれを確かめようとするのだ。


 近づいては離れて。
それを繰り返す。


 相手を観察する。
それを繰り返す。


 近づくたびに、『傷ついた』というコトバの千分の一くらい、針の先の先くらい、ちょっとだけ傷ついている。







「センパイ、次のも焼いて下さいっス」
 メガネを不思議そうに眺めてる菊丸センパイに声をかけた。彼の思考を止めたかった。

 すぐにパッと振り向いて
「指図すんなっ、一年なんだからお前がやれよっ」
「センパイのがうまいから」
「むっ。お世辞攻撃だなっ」

 こうして賑やかな気分にシフトすれば、あっさりなくなってしまうほどちょっとだけ傷ついているんだ。

 だから菊丸センパイは部長が苦手だ。



 お世辞攻撃に屈したわけじゃないだろうが、素直に次のを焼き始めたセンパイを横目でみやって、俺は軽くため息をついた。



 ――――でもそれは、あんたの勘違いだ。



 そう言ってやりたい。



 けど今それを伝えたら、本人も自覚してない『勘違い』を助長させてしまいそうな気がするのだ。

 俺はそれがイヤで、だから今日も強引にこの場にいるのかもしれなかった。







 菊丸センパイは、どうして手塚部長に苦手意識を持ってるのか、分かってない。
 近づくたび、ほかの人間相手では感じない『傷つく』に似た感情が どうして手塚部長から与えられるのか、分かってない。

 分からないから自分なりの答えを見つけようとしてる。



「ほいっ、手塚、焼けたよ」
「すまない。・・・・菊丸、休んでいいぞ。食べてないだろう」
「あっホントだ、冷めちった」
「次のは俺が焼くから」
「へっ?手塚、できんの?。コレ、もんじゃなんだけど」
「・・・・何か特別な焼き方なのか?」
「やっぱ知んないんだ!。まず具から焼いてさー、ドーナツみたくすんの」
「・・・・・・・・・・・・・・・ドーナツ?」



 ――――でもそれは、あんたの勘違いだ。



 そうして近づいたり離れたりを繰り返すことで、ほかの人間にはない感情を植えつけられることで、意識はより深くなっていく。相手を認知しようとする。手塚部長が特別になっていく。


「おっ、うまいじゃん !、さっそく食べよー」
「まだ生じゃないのか」
「もんじゃはこのくらいでいいんだって。ね」
「・・・・・・そうみたいだな」


 ――――でもそれは、あんたの勘違いだ。



 気になれば相手に目が行く。意識は深くなる。




「おいしかったぁ」
「そうだな」
「手塚も好き?、じゃあさじゃあさ、また来ようよ」
「――――ああ」




 ――――でもそれは、あんたの勘違いだ。








 特別だとしても。


 それは恋じゃない。



 目がいいから、錯覚してるだけなんだ。











つづく?



 

もんじゃ食べたい・・。
生焼け(?)が主流だけど、私はかなり火を入れて食べる派。
By.伊田くると







手塚 「家事はあまり・・いや、ほとんどしたことがないんだ。家がそういう雰囲気じゃないというか・・」
リョーマ 「俺もやんないっス」
不二 「じゃあ同棲とか結婚する時大変だよ。エージみたいなヒトみつけないとね」
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