もしキミも


おなじ キモチ


だったら うれしい




だとしたら嬉しい
〜後編〜


 
「八百鼡!」

 二限が終わると大学は昼休みだ。

 講義の終了を知らせるチャイムが鳴った途端、学生達の間に開放感がただよう。なんたって二限は座席指定・小テストありの必修の語学だったのだ。今時珍しいほどの厳しい助教授で。
 俺にとっても一週間の中で一番キライな授業だった。


 窓際の八百鼡の席へ向かう。
俺の声にすぐに振り向いた彼女は、人好きのする笑顔を浮かべた。

「もう風邪よくなった?」
「ああ。薬ありがとう」

 八百鼡の届けてくれた風邪薬のおかげか、翌日には熱もひいていた。まだ前期だがあまり休むと後がつらいから、もう学校にも出ている。




 ふたりで並んで教室を出た。そのまま昼休みに入るので食堂に向かうことにする。
 いつもならここに独角も加わるのだが、彼は講義に出ていなかった。必修だというのに もう落とすつもりでいるらしい。

 厳しい先生に当たったら早々に切って来年に期待するというのも必修科目の常套手段らしいが、俺は今のところ単位はひとつも落としていない。
 我ながら要領が悪いといった方がいいくらい生真面目だ。
来年に回して、もし落としたら留年になる、といった『後がない感覚』におびえてしまう。




 食堂へ向かう道の途中、そこかしこでタバコを吸っている学生に会う。
大学はもちろん喫煙オーケーだし、うちの学部は割合愛煙家が多いようだ。

 タバコが目に入ると、もう条件反射のように三蔵を思い出す。


 八百鼡も同様らしく、
「少しは看病してもらえた?」
 いたずらっぽく上目づかいで昨日のことを尋ねてきた。
三蔵のあの性格からして、それはないのは彼女も分かっているんだが。


「・・・なんか怒ってたな」
 苦笑してそう答え、事情(といっても三蔵の不機嫌は俺にもよく分からなかったのだが)を説明する。



 とたん、八百鼡が長い髪を揺らして笑った。

「良かったね」
「良くない」

 三蔵の不機嫌はけっこう続くんだぞ。
憮然としてそう答えると、

「そうじゃなくて」
 八百鼡はまだ笑っている。

 三蔵とはタイプが違うが、柔らかく整っている白い顔がたえられないといった風に笑顔になっていた。

 通りすぎる男の学生が歩をゆるめて彼女に目を止めているのを感じて、なんだか俺までドキドキしてしまう。



 ―――三蔵が、俺の前でこんな風に楽しそうに笑ってくれたらいいのに。

 そんなラチもないことが頭に浮かんでしまって、さらに動揺した。




「そうじゃなくて・・・」
 全学部共通の食堂についた時、やっと笑いの発作がおさまった八百鼡が切り出した。



「紅くんが思ってるより、ちゃんと両想いでよかったって、そーゆー意味なの」

「・・・え?」


「私も見たかったなぁ、めったに見られないんじゃない?。あのヒトがヤキモチやいたところなんて」



 そこまでひと息に告げて、八百鼡は俺からすいと視線をそらした。斜め上方を見やっている。
 視線を追って俺もそちらに顔を向けると、いくらか時間オーバーした講義が終わったところらしく、中講堂からわらわらと大勢の学生が出てきた。一階が学生食堂、その上が講堂になっているのだ。
 食堂に続く階段を下りてくる人影の中に、目立つ金髪。




 ――― 三蔵・・・。


 心臓が鳴った。






「多分、ここでまた私のこと見たらますます不機嫌になっちゃうと思うから私先行くね」
「え?」
 慌てて八百鼡に視線を戻す。彼女の言葉の意味を考えている間に、さっさと背を向けられてしまった。



 呼び止められずにいると、一度だけ振り向いて俺を見る。
彼女は少しだけ強い目で微笑んで、

「そろそろ、ただのお隣さん、やめてもいい頃だと思うよ」


「・・・・・八百鼡・・・」

 言ってくれた言葉には、推進力があった。一年半の間、俺がたち尽くしたまま動かなかった場所から、一歩踏み出させてくれる言葉だった。




「がんばって、紅くん」


 長い黒髪が完全に見えなくなった。









「三蔵」
 大講堂から下りて来た三蔵と、階段のそばにいた俺は当然行き会った。

 今日も三蔵は重そうな辞典とバインダーを片手に抱えている。肩にはカバンまで持っていた。

 俺に気づいた三蔵は、しかし表情は動かさずにただ目を向けただけ。
あからさまに怒ってはいないが まだ少し不機嫌なようだ。といっても彼は午前中はたいてい機嫌が悪い。低血圧なのだろう。


「あの、荷物、少し持つよ」

 三蔵は必要ないとすぐに返してきたが少し強引にバインダーを受け取った。いつもと違う俺に三蔵が怪訝そうに目を細める。

 俺も本当は緊張していたが、意外にあっさり言えるものだ、とも発見していた。いつもはない勇気が出せたのは、やはり八百鼡のおかげだろう。

 階段近くにいると学生の波にまきこまれるので、俺と三蔵はどちらからでもなくそこを外れるように歩き出した。




「―――― いいのか?」
 数歩行ったところで歩を止めた三蔵は、俺でなく後方の学生食堂に視線を向けていた。イミが分からず問い返すと、やはり不機嫌な声。

「中で待ってるんだろう?」


 八百鼡のことを言っているらしい、と気づいた。階段を下りてきた三蔵からは見えていないと思っていたのだが。

 昼に三蔵と会えることなんかめったにないので、昼食は学部が一緒の八百鼡・独角ととるのが常だが、せっかく会えたのから当然三蔵と一緒にいたい。八百鼡だってそれを分かってくれたからこそすぐ行ってしまったのだし。


 ――― いつだって、俺の一番は三蔵なんだ。

 浮かんだセリフは自分でもひいてしまうほどクサかった。



 さすがにいきなりこんなこと言ったらヒクよな、しかもこんな学内で。
じゃあどう言えばいいだろう・・・考えあぐねて困る俺にかまわず、三蔵は長めの前髪をかきあげた。

「別に俺にかまわなくていい。彼女のところにいけ」

 感情を押し隠しているような冷たい声。いつもより、さらに抑揚が少なく無感情にさえ聞こえる。


 が、ふいに俺は八百鼡の言葉を思い出した。






「紅くんが思ってるより、ちゃんと両想いでよかったって、そーゆー意味なの」



「私も見たかったなぁ、めったに見られないんじゃない?。あのヒトがヤキモチやいたところなんて」





「―――・・・」

 俺は・・・。


 自分に都合よく、解釈してないだろうか。



 昨日三蔵が不機嫌だったのも。
投げるように薬を渡してきたのも。

 今、やっぱり不機嫌なのも。
珍しく他人のことを気にした発言をする三蔵も。





 止まってしまった俺と三蔵の横を、騒ぐ学生達が追い越していく。
雑談。笑い声。足音。

 慣れた喧騒の中で 俺だけは、地に足がついていないような心地だった。

 嬉しいのか怖いのか、自分でも分からない。



 変えるのは怖い。
実家を出る時も、嬉しかったが怖かった。

 任意に単位を落とすのも怖い。あとがない感覚は嫌だ。


 ただのマンションの隣人でも。
同じ大学に通う学生でも。
三蔵と関わりをもてるのは嬉しい。それだけで幸せだと思った。




 ―――― 変えるのは怖い。


 八百鼡に勇気をもらったはずなのに、俺はまだ臆病なままだ。





 それでも。
暗い紫がかった瞳が、イライラと俺を見上げた時。


 荷物を持つのを手伝った時と同じように、自分でも驚くほど素直に言葉がでた。



「俺は三蔵の所にいたい」



 驚いたのは俺だけじゃなかったらしく。
三蔵もわずかに目をみはった。

 タバコをくわえた唇が、何か言おうと開きかけてまた閉じる。

 三蔵の言葉を待てず、俺は言葉をつないだ。何を言われるか怖かったのもあるだろう。緊張や混乱で赤面していくのが分かる。



「もし三蔵も・・・・・・少しでも俺を想ってくれてたら、嬉しい」


 昼休みの構内で言うセリフじゃないのは分かっていた。時も場所も選ばず、結局考えなしのままだ。
 

 三蔵は黙っている。
不機嫌だった剣呑な雰囲気が消えて、ただ純粋に驚いているように見えた。そうしていると、意外に子どもっぽくなる。



「もし・・・八百鼡が言ったみたいに・・・」
 八百鼡、と耳にした途端、条件反射なのかまた三蔵の眉がひそめられた。

「なんだ」
「八百鼡が言ったみたいに・・・あの、八百鼡にヤキモチやいてくれてたら・・・嬉しい」






 また沈黙。

 恥ずかしくなった俺は、情けなくも三蔵から目をそらしてしまう。足元に落とした視界にうつる芝生だとか小石だとかがやけに鮮明に映った。

 刑の執行を待つ犯罪者の気分に似ているかもしれない。

 俺は変えてしまった。一年半続いていたものを変えるきっかけを作ってしまった。

 戻れない。後がない。




 やはりとても怖かった。













 ―――― 三蔵が口を開いたのは、その痛いほどの沈黙からどのくらいたってなのかは分からなかった。実はそうたっていなかったかもしれない。



「――― 俺は」

 三蔵の声。顔は見えない。俺は目をあげられないままだった。


「昨日も今日も。もっと前にも」



「あの女が気に食わないと思った」




「――― これは・・・・・・嫉妬か?」


 声は、彼らしくなく小さかった。が、俺ははじかれたように顔を上げる。
すぐ目の前にいる三蔵が俺を見ていた。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・だとしたら、嬉しい」
 答えた。


 嫉妬だったら、嬉しい。

 俺と同じキモチを、三蔵も持ってくれていたら、


 すごく、嬉しい。







 昼休みに学生会が流す音楽放送が始まった。スピーカーからおせじにもいいとはいえない音質でヒット曲が流れ始める。
 女性シンガーの歌う失恋の曲だった。


 今の俺の気分と反対で、物悲しいその曲すら明るく聞こえてきそうだ。





 三蔵はゆっくり歩き出した。


 そのすぐ後についていく。
三蔵のバインダーはわりと重かった。これからも持つのを手伝わないと、と思う。



 ポケットからタバコを出して、慣れた仕草で火をつけた三蔵が、その音楽放送でまぎれてしまいそうなほどの声でつぶやいた。

「お前が言うなら・・・じゃあ」






「嫉妬でいい」











「・・・・・・・ああ」


 ―――― やっぱり不器用で臆病な俺と。
ひねくれてる三蔵の間では。

 映画みたいにカッコよくもないし、小説みたいにドラマもなかったけれど。
「スキだ」ともちゃんと言い合っていないけど。



 一年半の関係を変えたその言葉は。






 ―――― 俺にとって、何よりも特別だった。







 これからも。


ふたりが、


コイビトだったら


うれしい







 


END


 
へたれ紅孩児・・・(笑)。
By.伊田くると



独角 「やっとくっついたのか?、ったく青いヤツラだぜ」




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