旅に出る前。
悟浄は言っていたものだ。



「あいつって、本当に色恋のカケラもねェのかね」



 それはあきれていたようでもあり、不思議そうでもあり、どこか残念そうでもあった。
 あんなに美しい外見なのにもったいないという思いだろう。

 僧侶なら当たり前のことと言うなかれ、彼らだって人間で、本当に色欲を断って生きている者なんてひと握りではないかと僕は思う。
 でも逆に、若く美しい僧でありながら、三蔵がそのひと握りであることに僕は疑問を持っていなかった。

 食欲ひとしおの妖怪の子供を養い、寺院の奥深く大勢にかしずかれ生きる彼は、僧の、しかもその筆頭の三蔵法師としては破天荒だったけれども、たかが恋にゆらぐような弱さなどなく。彼ひとり、それで十分に完結して見えるほど清廉な様子だったからだ。

 4人での長い旅に出てしばらくたっても、その印象は変わらなかった。

 こりない元同居人はたまに飲みに連れ出して恋バナを聞き出そうとしたり女性とからませようとしたり、他愛のないちょっかいを出してたようだけど、すべてけんもほろろの反応だったらしい。




 ――――だから、悟浄も、そして僕も。
 アゴが落ちるほど驚いたのだ。




 心の準備の時間があれば、と思わなくもないけど、けどやっぱり、うまいリアクションなんてとれなかったと思う。












                 こいびと













「あと50キロくらいですよね」
「ああ。大丈夫か」
「ええ。このまま走って町で休んだ方がジープもゆっくりできますしね。行っちゃいましょう」
「そうか」

 運転席と助手席で。
ルートやその日の行程を決めるのは三蔵と僕だ。
 後部席はいつも悟浄と悟空と決まっていて、ふたりは年の差を感じさせないほどきゃっきゃギャーギャーと騒いでいる。箸が転がってもおかしい年頃なんだろう(実は両方ともとっくに成人してるはずだけど)。
 僕と三蔵のふたりなら、会話はシンプルかつスムーズに進む。が、後ろがまぜっかえしてきたりでそういかないことも多々ある。

 今も、
「なァ、三蔵」
 三蔵の後ろから、話しかける声。

 悟空が飼い主にくっつきたがるのはいつものことすぎて、そして三蔵が基本あんまりかまってやらないのもいつものことだった。

 三蔵はまるで聞こえていないように
「このまま一本道だ」
 と僕との会話を続行し、用の済んだ地図を畳み出す。

「三蔵ー!」

「わかりました。じゃこのまま行きましょう」

「三蔵ってばー!」

「るせェ、猿」
 3度目の呼びかけにやっと飼い主が返した。
 そういえば旅に出てすぐは、放置っぷりに悟空がかわいそうだなんて三蔵に口を出したりしたものだった・・・そんな必要もいらない親子?みたいな絆のある関係だって分かってからは、基本僕も放置なんだけど。

 進行方向を向いたまま、地図を畳むことしか考えてないような三蔵のカラ返事。少し気がゆるんでいたのか、後ろからぐいとその襟を引っ張ったのは悟空だろうけど、三蔵はまったく防げずにそのまま真後ろに身体を引きずられてしまう。

 運転しながらなんとなく視界に三蔵をとめていた僕はびっくりして、左に首を回す。

「悟空、なに」
 言いかけた言葉が止まった。

 乱暴に襟をつかんで自分のところまで引き寄せた三蔵の頭を両手で覆うように抱え込み、ごまかしようのないほどきちんと、まともに、でもこのふたりがそれをするのはあきらかにおかしい。くちづけを、した。


 いや、今もしてるんだけど。



 ギャーーーーー!!



 声にならない叫びをあげたのは僕と悟浄(同じく一部始終を見ていた。というか当たり前だ。狭い車の中なんだから)。ふたり同時だったろう。

 悟浄はほんとにあごが落ちそうなくらい仰天していた。僕も実は同じくらい動転していたけど、彼ほど顔に出ないだけなんだよな・・・。

 けれどやっぱり動揺して思わず急ブレーキを踏んでしまい、その衝撃に悟浄がシートにごちんと頭をぶつけたが、車体が揺れても、キスしてるふたりはそのままだった。不自然に身体をねじ曲げられてる体勢の三蔵が平気だったはずはないので、三蔵の頭をがっちりホールドしてる悟空が支えたんだろう。よく見れば三蔵の両腕がもがくように悟空の胸を押して必死に離れようとしている。

 一方の悟空はそんな隙間を与えない深いくちづけをやめない。当然舌が入ってて、ディープキス特有の水気のある音がやまず、また合間に三蔵のあえぐ、と言っちゃっていいような声まで混じり。



 しばし固まり、それから、なんだかすごく自然に僕と悟浄は目を合わせた。


 ―――― こ、これは・・・・。


 ムリヤリなの?。
止めた方がいいの?。
ていうか、悟空はどうしちゃったの?。

 そんな疑問が互いに浮かび、けどどちらにも解決できないのでとりあえず何か尋常じゃないし止めた方がいいような、とアイコンタクトで決まったところで、三蔵がなんとか脱出に成功したのか、悟空から離れた。そのいい勢いの反動でジープのフロントにぶつかりそうになるのをなんとか腕を伸ばして支える。悟浄はともかく、三蔵では打ち身とかになってしまうかもしれないからだ。

 息もさせないようなキスに上気した顔と、いつもより赤くふくりとふくらんだ唇、怒ってるのと困ってるのと照れたのとがミックスされた表情は初めて見るもので、僕は、いやきっと悟浄も、なんだかドキドキしてしまう。

 知人のラブシーンを見ちゃったら当然動転もドキドキもするだろうけど。

「久しぶり、三蔵」
 さっきまで拘束していた両腕を下ろし、目を細めた悟空は、首をかしげるようにして笑った。
 とてもまぶしいものを見るみたいに。

「――――出てきたのか」
 三蔵もじっと見つめ返す。

 それはいつもの、飼い主とペット、保護者と養い子というふたりの関係とかけ離れていて、僕たちなど見えないようにまっすぐ、三蔵だけを見つめる大人びた悟空は、なぜかいつもより。どこがどうとは僕にもわからないのだけれど―――― 悟空は妖怪なのだと、いつもより、


感じた。













 止めていた車を三蔵の命令でまた動かす。
席を悟浄とチェンジして、今は三蔵と悟空がとなりあっている。
 いや、ちょっと油断するとすぐに悟空がイタズラ(というほどかわいくはない方のイタズラだ)をしかけるので、お行儀よく並んではいないのだけど。

 今日中に町に着きたいから移動を急ぐ三蔵に、悟空がそばにくるならいいと条件を出して、驚くほど素直に従った三蔵が後部座席に収まったのだ。

「久しぶり、だよな?。どのくらいたった?」
「―――― 5ヶ月と少しだな」
「そんなにか〜、三蔵、なんか汚れてねェ?」
「ここ2日野宿だったんだよ!。今日はぜってェゆっくり風呂に入るんだ!」
 足場の悪い湿地帯を抜けなければならなかったため、予想以上に時間を食ったのを思い出した三蔵が不機嫌に言い返している。風呂に入りたい気持ちは僕も一緒だ。太陽がそろそろ夕日に変わりかけているけれど、なんとか屋根のある場所で眠りたいものだ。

「野宿?、三蔵が?」
 語尾を上げた悟空。

 そんなふたりの会話に、所在なさげに助手席でおとなしくしていた悟浄が、
「えーっと、ひょっとしてそこの小猿ちゃんは、――――・・・悟空じゃなかったり、する?」
 なんてね、と肩をすくめ困った顔で振り返ったのに、偉そうにうなずく最高僧。

「見りゃわかんだろ」
「・・・・・・・ウン」
 子供みたいな悟浄の返事がちょっとおもしろい。
 見りゃ、にはさきほどのアレも含まれるんだろうか。それとも今、三蔵にのしかかるようにスキンシップをはかり、頬やら髪やら好き勝手いじくり回してるソレも含むんでしょーかね。

 知り合ってから今まで(特に旅に出てからは四六時中一緒だったし)、三蔵と悟空にそんな気配はみじんもなかったから、今当たり前のように三蔵に触れ、イチャついている(そして三蔵も僕たちの手前かやめるようちょいちょい促してるけど、その程度の抵抗しかしてないわけだ)、彼は悟空じゃない。僕たちの知る悟空ではない。

「今は旅の途中だ」
 三蔵は悟空に会話を戻した。
「たび?」
「ああ」
「寺を出たのか?」
「経文を探す旅だ」
「ああ、ほしがってたもんな」
 師匠の経文を探す旅、というとシンプルだけれど、きっと桃源郷の異変やなんやを話すと長くなるから端折ったのだろう。悟浄がまた前になおった。

 運転中の僕ももちろん基本前方を見ているので、声だけ聞いている状態だ。この距離なので気配は分かりすぎるほど分かるけれど。
「二重人格、ってやつ?」
 実は常識人の悟浄はこの事態にまだ動揺が続いているようだった。
 小声で話しかけて来たので、軽くうなずいて見せた。
「多重・・・なのかもしれないですけど、情報は共有してないようですね」
「情報?」
「悟空、僕たちの知ってる悟空ですけど・・、悟空の見たり知ったり、考えたりした情報、記憶を、今の彼は持ってないようですから。三蔵もふつうに説明してるし、ふたりが会うのは本当に5ヶ月ぶりなんですよ」

「5ヶ月・・・」
「旅に出て、ちょうどそのくらいですから」
 僕らが旅に出る前、長安の記憶までしかないのだろう。

「はー・・・」
 悟浄が理解できない、という気持ちだろうため息をついた。
 毎日一緒にいたから、よけい想像しにくいのはわかる。けれど僕たちが一緒にいた悟空ではない、別の人なのだ。

「・・・なんか、理屈は分かったような」
「僕にも分かりませんけどね。まあ今はゆっくり説明してもらえそうもないですし」
「だな」
 やっと少し余裕がでたのか僕の言葉にくくっと笑った。吸うのも忘れていたらしいタバコに火をつける。
 一方の三蔵は喫煙なんてしてるヒマもない様子だけど。珍しく車内が健康健全でしたね。いや、今は別の意味で不健全極まりないけど。

 その状態に困ってるのは三蔵も、らしく。一応やめさせようという意志はあるらしい。
「ちょ、おい悟空、やめろ、どこだと思ってんだ」
 場所さえよければOKってことですかねぇ。
「どこって、知らねーよ、俺」
「外ってことはわかるだろ!馬鹿!。大体八戒たちがいるだろーが!」
 あ、ちゃんとそういう羞恥心はあったのか。なんかホッとしたなあ。
 三蔵は男所帯で育ったせいか、風呂や着替えもろもろ、実に大胆だ。
 自分の容姿をもっと考えて動いてください!と説教したくなったのも一度や二度ではない。そんなところも、色から遠ざかってるゆえの鈍感さなのかなあなんて思っていたのに。

「八戒。と、河童。覚えてるだろ」
「河童ってな、悟浄さんですけどね」
 助手席でボヤく同居人にちょっとだけ同情。いやでも、僕とあなたの扱いの差はあなたが三蔵にしてきたことの積み重ねなだけだけどね。

 悟空の返事は少し間があってから、
「んー、なんとなく」
 あっさりしたものだった。
適当な返事。どうでもいいのだろう。
 これをひとつの人格とみるなら、『三蔵しか目に入っていない悟空』というキャラクターなんだろうか。それも、恋愛対象として。

「ていうかさ、三蔵、一緒に旅してんの?」
「そうだ」
「そんなに仲よかったっけ」
「別に、仲良しで旅してんじゃねェからな」
「でも俺と三蔵だけでいいのに。わざわざ連れまわしてんだ」
「・・なに言って」
「ひょっとして、俺がいない間、こいつらとヨロシクヤっちゃってたりした?」

「・・・っオイてめ」
 三蔵と僕らへの揶揄にカッとなった悟浄が振り返る。僕も同じく悟空が言うはずもない言葉にムカッときた。悟空じゃないというのはわかってるはずなのに。

 ブレーキをかけ、僕も振り返る、と。
 言い返そうとしていた悟浄が止まっている。
 それは、三蔵が驚いたような、不思議そうな、傷ついたような顔をしていたのを見てしまったからだ。
 そして呆然と悟空を見たその紫色の瞳がくもり、ぶわっとうるんだ。
びっくりするほど早かった。

 すぐに三蔵は下を向いてしまったけれど、その姿に僕はもうものすごく昔に感じられる、教職についていた頃を思い出した。
 子供も、感情がたかぶるとぽろぽろと涙をこぼす。言いたいことがうまく言えない内気な女の子に身を折って話しかけたら、数秒もせずにだーっと泣き出してしまい、困った記憶だ。
どうしてそんなにすぐに泣けるのか、不思議ですらあった。

 悟空の、たったひとことで。

 普段なら怒って発砲したり、冷たい目の一瞥ですませそうな三蔵が、言葉も出せずにうつむいたのを見て、胸が痛くなった。
 悟浄も同じなのか、つられたように悲しそうな顔をして、怒りの言葉を忘れてしまっている。



「三蔵に、謝りなさい。悟空」
 そしてこちらもちょっと驚いた顔をしていた悟空に言うと、初めて、だろうちゃんと僕を見て、出した言葉を後悔するように唇を噛んだ。

「ごめん。嘘だよ三蔵」

「三蔵の気持ち疑ったりしてねーよ、・・俺も、三蔵だけだし、三蔵も、俺だけだよな」

 うつむいたままの三蔵を包むように腕を回して抱きしめた。
 彼が「現れた」当初と違い、奪うものじゃなく、あたためる、優しい抱擁だった。

「俺には昨日みたいなのに、三蔵にはたくさんの時間があって、それを一緒にいたほかのヤツらがうらやましくて、ごめんな」
 うつむいたままの三蔵の指がぎゅ、と悟空の服をつかんだ。銃を握る手と指と思えない。子供のようにたどたどしい、頼りない手つきと力で、でも、離されたくないと、力を込めてつかんでいた。

 この悟空は、本当に僕の知る悟空じゃないのだと、わかる。思い知る。
 この悟空は悟空じゃなく、三蔵を好きで、三蔵も思いを返している恋人同士なんだと。
 あまりに自分を取り巻く色の誘いに興味がなかったのは、もう相手がいるからで、三蔵は今目の前に急に現れた悟空しか恋の相手としないし、したくもないのだ。

 5ヶ月ぶりに会えた恋人ふたりを見つめ、悟浄と顔を合わせて苦笑し、また僕は前を向いてアクセルを踏んだ。
 少し遅れたけど、十分、日の暮れる頃には町へとたどりつくだろう。





end?





  なんかすいません・・な話。
続くかわかりませんが、これを93と言ってしまっていいものか。
イダクルト
 
2011/12/08


モドル