突如けたたましく鳴り出したのは電話のベル。
なんだよこんな時間に・・・と シカトしたいところだが、相手が想像できたので
俺はすぐに机の上の子機に手を伸ばす。
そうだ、兄貴に決まっている。
今日は定時に上がると朝言っていたのに。
現在 十二時過ぎ。もちろん夜のだ。すでに日付が変わってしまっている。
大方、なんか事件でも起こったんだろう。仕事柄よくあることだ。
たいていはケータイで連絡をくれるんだが、よほど時間がとれなかったのか。
「はい、周防です」
無愛想に受話器に話しかけると、意外にも 返ってきたのは女の声。
『夜分にゴメンナサイ、私 天野といいます。えっと・・・達哉クンよね?』
若く闊達な、なんとなく美人を連想させる声だった。
でもどことなく・・・少し『クレ○ンしんちゃん』の声に似てる気もする。
俺がそんなことを考えていると、女は矢継ぎ早に言葉をついだ。
『克哉さんなんだけど、ちょっと酔っちゃってて。車運転できる状態じゃないの』
「・・・・・・」
なんだって?。
一気に心が冷える。
警戒信号がよぎった。
ひとことでいうと。
なんだよこの女。
―――― だ。
『私の運転じゃイヤだっていうから・・・、ひどいわよね。てワケで今日は このまま泊まってもらうことにしたの。連絡が遅れちゃって ごめんなさいね』
「・・・・・・はぁ」
色んな言葉が浮かぶが それを口にもできず、結局俺は ただぼんやりと相槌をうち、そのまま電話を切った。
俺と対照的に愛想の良い女の声が耳に残っている。
―――― コレってつまり・・・そーゆーコト?。
切れた子機を見やり、この状況を苦々しく整理する。
兄貴は現在酔いつぶれてると。
そんで女の家に転がり込んでて、そこに泊まると。
・・・・・・・・ふーん。
『克哉さん』、ね。
なんだよ、兄貴のヤツ。
『今日は早く帰れると思うから、お前の好きなもの作ってやるけど何がいい?』って言ってたクセに。
こっちはメシも食わずに待ってたんだぞ?!。
結局ハラがへって、さっきスナックを一袋食っただけで済ませてしまったが。
―――― そりゃ『弟』より『女』のがいいだろーよ。
心の中で毒づいてみて。
そんな自分がガキっぽくてついため息。
・・・別に、今までだって兄貴に恋人が何人もいたのは知ってる。今さら目くじらたてることでもないはずだ。
一見誠実そうでいて、とっかえひっかえ・・・とまではいかなくても、長く続かず、年中相手は変わっていたけど。
―――― でも、こうやって約束を破られたのは初めてのことで・・・・・・。
自分の苛立ちの理由に行き着いた。
―――― つまり、俺より、家族より優先したってのは初めてのことで・・・・。
仕事ならしょーがないとあきらめもする。
けど・・・。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
とにかく面白くない。
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「眉間」
少しだけ俺を見上げてポソリとひとこと。
俺も言葉が少ないタチだが、こいつも相当なモンだと思う。それだけで伝わるってのもスゴイけどな。
つまりこいつはこう言いたいんだろう。
『眉間にシワよってるけど、なんかあったのか?』
「別になーんも」
投げやりに答える。
俺からグラスに視線を戻した女―――― 吉栄杏奈はつまらなそうに、
「お兄さんがどうかした?」
単刀直入に尋ねてきた。
思わず絶句。
ここはクラブ・『ゾディアック』。
アホな高校生連中の溜まり場だ。
俺や吉栄はここの常連だった。
別に踊るワケでもないし、ナンパ目的でもない。ただひとりで飲んで時間をつぶすだけで、有意義には程遠い過ごし方をしている。
吉栄も俺と同様でなんとなく放課後行き場がない仲間というか、数少ない話の合う知人だ。
・・・・・・もちろん恋人でもないし、友人というほどベタついてもないので
それ以外に表現のしようもない。
吉栄にだけは、たまに正直に話すことがある。酒の力もあって。
家のこと、兄貴のこと。
なぜか吉栄は兄貴と多少の面識があったので、よけいに話しやすかった。以前兄貴が事件の調査に学校に来た時、偶然知り合ったと言っているが。
しかし、『お兄さんがどうかした?』とはね。
こいつって、俺の脳みそのぞいてるんじゃないかと思うホド的確なこというよな。
「・・・昨日女から電話があった」
「今更言うこと?。多いでしょそのくらい」
モテそうだもんね、と吉栄。
「まーね。俺ほどじゃないけど」
「あんたのは見かけにつられてるだけでしょ」
本気でそう思っているらしい。実に真顔で切り返された。
ま、正解だろうけどな。実際 俺 ハッキリ言って性格激悪いしな。知ってんのは・・・・・家族とこいつくらいだけど。
特に吉栄には・・・、兄貴と違って かまえてないせいか、より『素』に近い俺な気がする。
俺はため息をついた。
「俺はさ、兄貴が女とつきあう理由も、でも全然続かない理由も知ってるんだ。だからホントは・・・いつかそうじゃない女が出てくるのが怖いんだ」
「そうじゃない女?」
俺は吉栄から視線をずらす。
あいかわらずうるさいダンスミュージックが流れる店内では、若い連中が飽きもせずに踊っていた。
―――― 昨日の女の声を聞いた時・・・ヘンな胸騒ぎがした。
この女は、いままでの女とは違うのもかもしれない。
それをどこかで感じ取ったから―――― した予感なのだろうか。
そう思ったら・・・兄貴の帰ってこない家で、ふいに怖くなったんだよ。
「兄貴が恋人を作る理由は、なぐさめて欲しいからなわけ。あきらめた夢とか・・・オヤジのこととか、俺のこととか?。仕事とか。普段精一杯根詰めてやってるから、優しい安全地帯を欲しがってんだよな」
俺の前で見せる兄貴は、『家を守る長男』のそれだ。
仕事場では、『正義感の強い刑事』。
役割に疲れることもあるんだろう。
『周防克哉』のままでいられる相手が欲しくなるんだろう。
俺の知る限り―――― という話になるが、確かに兄貴はモテる方だ。
仕事と家事にかなり時間をとられてるし、自分から好んで求めるタイプでもないのでハデではないが、女の気配がない時がない。
つきあっている時はその女に誠実なので並行したりとかはやらないが、長く続かずにすぐ終わる。そして大した時間もおかずに別の相手にかえる。その女とも続かない。
ずっとそれの繰り返しだ。
俺が一番タチが悪いと思うのが――― 兄貴が気付いていないことなんだよな。
うまくいかない理由。
どうして続かないのか、兄貴はきっと自分に違う理由をつけて勝手に納得してる。
たとえば―――― 仕事が忙しいとか?。俺のメンドウもあるしすぐ結婚なんてムリだから、そーゆーコト言い出す女は困るとか?。
確かにそんな要因もあるだろうけど、真実じゃない。
あんたはずっと―――― それに気付かない。
「自分を癒してくれる道具?」
カラになったグラスを意味もなくいじりつつ、吉栄が言葉を挟む。
簡潔にまとめれば正鵠だ。
「ああ、優しい女が好きなんだよな。甘えさせてくれて、穏やかで。そんなに兄貴の女に会う機会なんかねぇけど。電話の声とか。まぁなんとなく分かるというか」
「続くワケない。ただなぐさめてもらおうなんて関係。女にとっちゃいい迷惑だもんな」
たとえば自分がそんな女の立場だったら―――― と考えると、やっぱりミジメでやってられないと思う。
求められているのは、恋人の地位じゃないのだ。
母親の方がよほど近い。
「さいてーの男なわけ」
―――― 自分で気付いてないから、もっと最低。
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うるさい店内は、あまり会話をする雰囲気じゃない。
どちらともなく店を出る。吉栄とは たいてい店で会って店で別れるケースが多いが、今夜はいつもと違う気分で、並んでセンター街を歩く。
明日には、この現場を見た連中から どうでもいいウワサをたてられるんだろうな――――、ぼんやり思った。
まあ吉栄とならかまわない。
カンタンに手が出せる女じゃないせいか、どうこうしようなんて思ったことはないけど。
そういうイミじゃあ、俺って兄貴よりよほど誠実なんだよな。
言葉少なに横を歩く吉栄が、俺に目を向けず、いつものつまらなそうな口調でつぶやいた。
「実は、あんたが言う電話の相手にちょっと心当たりがあるんだけど」
「・・・・マジで?!」
さすがに驚く。声のハネあがった俺に、
「あの人」
まるで表情を変えずに、吉栄はひょいっと細い指を先に向けた。
つられるようにその指の示す方向に目をやる。視力は悪くない。
夜の夢崎区は人が多いが、吉栄が誰を指しているのかすぐに分かった。
ストレートの黒髪の女。
ちょうどビルから出てきたところで、マナーモードの携帯が鳴ったらしい。
でかめのバッグをさぐって取り出した携帯で会話している。
パッと見、目立つ女だった。
吉栄と同じくらい女にしては長身で、ブラウンが基調の服装がよく似合っている。
派手めの化粧が際立つキャリアっぽい美人だ。
俺の好みではないけど、街を歩けば何人か振り返るくらい。
短い通話を終えると、彼女はアンテナを戻して携帯をカバンにつっこんだ。
少し動作がガサツだ。
それから、女はふっとこっちを見た。視線を感じたわけでもないだろうが。
「杏奈さん !。久しぶりね?」
にこやかに笑って歩いてくる。
ぴらぴらと手を振って、やけに陽気だ。特徴ある声を近くで聞いて俺にも分かった。昨夜の電話の相手だ。兄貴を部屋に泊めた女。
吉栄がかるく会釈をする。
「元気でやってる?。あ、達哉くんね?」
吉栄から俺に視線をうつし、彼女は笑った。
「昨日電話した、天野舞耶。はじめまして!」
黒い瞳が印象的だ。
セミロングの髪も真っ黒。
はじめましてと言われたのに初めてな気がしないのは、昨日から、この見もしない女のことを考えていたからだろうか。
「あなたのことはいつも克哉さんから聞いてるの」
付け加えられた言葉に、思わずムッとする。隣で吉栄が笑いをかみ殺した気配。
認めたくはないが俺のブラコンぶりを、吉栄はことあるごとにバカにする。
「俺はあんたのことは聞いてない」
不機嫌さを隠せない声で答える。
天野、と名乗った女はイジワルそうに赤い唇を上げた。
「あら、そうなの?。じゃあ今覚えておいてね。克哉さんの恋人だから」
ムカッ
なんだよこの女!!!?。
『兄貴の恋人』はもちろん気に食わない。いいトシして兄弟に独占欲を抱くなんてアホらしいと自分でも思う。
でも、この女は今までの『恋人』たちの中でもサイコーに気に食わない。
『いつも』だと?。そんなに長くつきあってんのか?!。
『克哉さん』なんてなれなれしく呼ぶのがもう腹たつんだ。
大体、兄貴はこんな派手で生意気そうな女はタイプじゃないはずだ。
付き合う女も年上が多かったのに。
「付き合ってたんですか?。とてもそうは見えなかったけど」
怒りで言葉の出ない俺に代わって、吉栄があいかわらずテンション低い声で尋ねている。
友情には薄そうなヤツだが、みかねて俺の援護に回ってくれるつもりらしい。ひょっとしていいヤツなのか?、吉栄。
「あの時はそれどころじゃなかったものね。それに克哉さんってモテるからライバルも多かったし」
けらけら笑って返す女。
それがなんだか勝者の高笑いに聞こえて気分が悪い。
日頃淡白と言われる俺だが、この女には前世からの恨みというか、とにかくこの上なくムカついてしょーがない。
絶対こいつにだけは兄貴をやりたくない、そんな決意がこみあげる。
「いい気になってんのもいーけど、兄貴と長く続いたヤツはいない。すぐ別れることになると思うぜ?」
「過去は過去でしょ?。長く続くひとり目になる自信くらいあるわよ?」
かなり骨太らしく、まるでこたえた様子がない。
むしろ自信マンマンな笑顔までつけて。
―――― むっムカつくっ!!。女じゃなかったら殴りたい!!!。
「かなわないからやめときなって」
俺の内心の罵倒を感じ取ったらしい吉栄が、俺の腕をつかんでいさめた。
―――― って、なんでこんなに俺の感情を察せるんだよコイツは。
しかもかなわないって?。
この女、格闘技でも習ってんのか?。
吉栄はなにも言わずに首をふった、が、それからちょっと驚いたカオで俺の顔の後ろ―――― つまり、俺の背中側を見た。
「なんだよ」
気になって後ろを振り返ったのと同時に、
「克哉さん!!、こっちこっち!」
天野が(呼び捨てだこんな女)、大声を出した。
現れたのは―――― 呼ばれてんだから、当然っちゃ当然だけど。
「兄貴・・・」
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