達哉直伝!! お見合いしましょ★4
遅い昼食をとるからと、所長とたまきくんが席を外した。
嵯峨も小腹がへったとかなんとか言って二人に同行する。
なので、探偵事務所には僕と達哉だけが残った。
あえて場を抜けてくれたんだろう。
出て行く時、すれ違いざま嵯峨が軽く僕の肩に手をおいた。
『しっかりしろよ』という風に。
それは何よりの励ましとなったのだけれど。
達哉と、ついでなので自分の分も新しくコーヒーを注いでから、僕はとりあえず先刻の発言はウソだということを説明した。
なぜなら、事務所に現れた達哉はまたしても嵯峨を攻撃しようとしたからだ。
――― 思い込んだら一直線・・・。
当たっているだけに怖い。
しつこく繰り返すと、一応は納得してくれたらしい達哉。
ソファに座って、黙ってブラックコーヒーを飲んでいる。
今のところ強引にサラームの所に連れ戻す気はないようだ。ホッとする。
「――― 達哉」
尋ねるなら、今しかないような気がした。
ちょうど対面の位置の達哉が目だけ上げて僕を見た。無言で先をうながしている。
「向こうに、帰るのか―――?」
「そうだ」
口に出すのに勇気が必要だった、『帰る』という単語に達哉はあっさりと うなずいた。
「・・・・・・・・・・・・」
次の言葉がでてこない。
言いたいコトはあるし、きちんと頭の中でまとまっているのに、否定されるのが怖かった。
―――『戻っても、またこっちに来れるのか?』
住む世界が違うなんて、通俗的な説明は嫌いだ。
達哉には、(どんな手段でかは分からないが) 向こうからこっちに意識を移動させることが可能だったのだから、自在に行き来もできるはずだ。
『こちら側』の弟の身体を借りることになるのだろうが。
そうだろう?。
――― だからこんな別れの予感もウソだ。
「あまり ――― こんな話はしたくないな」
達哉が声は出さずに笑った。キズの痛みに耐えているような、そんな笑い方。
自分がつらいというより、きっと沈んだ僕の顔を見るのがつらいのだ。
だから分かってしまった。
聞けなかった二番目の質問の答えは、きっと否なんだと。
たとえできるとしても、達哉はもうこちら側に来る気はないのだ。
「兄さんには、幸せでいて欲しいんだ」
コーヒーカップからのぼる淡い湯気に少しぼやけた輪郭の達哉が優しく告げた。
「気持ちはありがたいが・・・。とりあえず、見合いは勘弁してくれ」
心底ホンネで頼んだ僕に、
「最良の相手を選んだと思ったんだが・・・」
達哉はまだちょっと未練の残る不満顔だ。
「・・・確かに、兄さんの意思を確かめずにコトを進めたのは早計だったな。サラームさんのことはあきらめるか・・・。嘘からでたマコトでパオフゥさんとつきあうとか言い出されたらたまったもんじゃないし・・・」
「?」
ごにゃごにゃとボヤいている達哉。あごに手を当ててほんの少し首を傾げてから、ようやく聞こえる声で僕に尋ねた。
「じゃあ、どうしたら兄さんは幸せになれるんだ?」
「・・・・・・」
逆に尋ねられてしまった。
難しい質問だ。日頃生きていて、幸不幸など深くは考えないだろう。
―――でも今、きっと僕は不幸だと思う。
尋ねる達哉の瞳を見返して、僕はそう感じた。
――― お前が、いなくなるんだろう?。
――― お前がいなくなったら、きっと僕は不幸だ。
今しなきゃならないことがある。
それをしなきゃ、個人の幸せだの、夢だの見合いだの言ってられない事態になるのは間違いない。
ニャルラトホテプを倒して、世界を元に戻して―――。
でも今、僕の心を占めているのは、そんな使命感よりも七つ年下の弟のことだけだった。
黙り込んだ僕に、達哉は怪訝そうに かすかに首を傾けて僕を見やっている。
――― なにか答えないといけない。
頭の中で必死に考えた。
達哉を納得させられるような、なにか―――。
しかし考えようとすればするほど、たったひとつのホンネが口をついてでそうになってしまう。
――― お前がいなくなったら、きっと僕は不幸だ。
だから、
――― いかないでくれ。
答えられない。
そんなこと言えない。
ますます押し黙ってしまう僕。達哉が心配そうな目をする。
「兄さん?」
うながすような優しい声音に、つい口がすべりそうになったところで―――
気配と共に、ドアが開いた。
嵯峨達が帰ってきたのだ。
いつの間にか、けっこう時間がたっていたのに気づく。
嵯峨の登場にホッとした。
達哉を納得させていないという問題は残っていたが、僕自身、気持ちの整理はついていなかった。
ある程度話し合えたというのは伝わったらしい、嵯峨は皮肉っぽい両目を少しだけ優しそうに細めて僕を見た。
帰り道で。
駅からふたり、ゆっくりと言っていい速度で歩いていく。
探偵事務所を出た頃には もう日も暮れかけていた。
夕焼けに照らされて、達哉の髪がますます赤茶けて見える。
「芹沢くん、具合どうかな」
達哉はあいかわらず無口なので、話題をふるのはいつも僕だった。
今日はとんだ騒動だったが、彼女の快復しだい最終決戦がまっているのだ。
達哉はそっけなく首をかしげただけだった。さぁね、といったカンジに。
心配していないはずはないが言葉にするのは苦手らしい。そんな所は『こちら側』の達哉とも似ている。
僕だってやっぱり芹沢くんが心配だが―――。
でも、彼女が快復したらこの『休暇』も終わってしまうのだ、と思うと、まだあと少し、と願ってしまう。
芹沢くんの病状も気になる。世界のことだって、この街のことだって、もちろん心配だ。
でも ―――。
「蝶だ」
「え?」
ふいに達哉がそう言って左手の方向を指差した。
道のはじ、ちょうど電信柱のあたりを一羽の蝶が舞っている。
季節はずれもいいところだ。だんだんと薄暗くなっていく近景の中、ひらひらと浮くまっ黄色の蝶の姿はどこか幻想的にさえ見えた。
「きっとあれは、アラヤ神社に行くんだ」
達哉はなぜか断定した。
視線は蝶にやったまま。
―――アラヤ神社・・・。
達哉の通う高校の近くにある古い神社だ。
祭神はなんだったろう?。
達哉はそこで天野くんに会ったのだと聞いた。
そして親友の黒須君や、リサくん、三科くんとペルソナ遊びをしたのだと。
僕とこちら側の達哉も何度も訪れたことがある場所だった。
そんなことを考えているうちに、蝶の姿は見えなくなった。
本当にアラヤ神社へ行ったのだろうか。
達哉がまだ小さい頃は、縁日になると決まってふたりで足を運んだ。
普段は人ごみが嫌いな達哉だが、縁日は別らしく、いつも帰りたくないとだだをこねられたものだ。
あれは、あの時の達哉は、今目の前にいる『達哉』じゃない。
どちらも僕の弟だが、神社のすみにうずくまってゴネたのも、お面を買ってやって喜んでいたのも、この達哉ではないのだ。
―――別のところから来て、別のところへ帰る―――。
外観はほとんど同じでも、別の世界。
達哉が行ったのはそこの縁日だ。
お面も―――買ったのは僕じゃない。
達哉は縁日が好きだったろうか?。「帰りたくない」と、僕じゃない僕を困らせたりしたんだろうか。
達哉の昔を、僕は知らなかった。
これから先も。
僕の全く知らないところで達哉は生きていくのか―――。
もう会う気はないと達哉は考えている。この先、僕と達哉の人生は決して交わることはない。
「――― それはとても、悲しいことだな」
僕の言葉に、達哉が振り返った。
夕日を背に受けているせいでまぶしくて、達哉の表情はよく見えない。そうだ、これからは達哉がどんな顔で生活してるかさえわからないんだ。
――― 悲しいことだ。
「兄さん?」
僕の様子を不審に思ったか、歩をとめる達哉。
目の前まで近づいてきたので、ようやく顔がきちんと見えた。僕より少し高い位置にある達哉の顔。もうひとりの弟。
心配そうに目が細められている。
笑顔が見たい。
心から笑った彼を見たことはない気がした。
「お前が」
「笑ってたら、」
「もう会えなくても、お前が」
「笑ってたら」
「もう会えなくても、多分」
「僕は幸せだ」
どんな顔でそう言ったか、自分でもわからなかった。情けない表情だったかもしれない。けれど、言い終わるのとほぼ同時に達哉の両腕に強く引き寄せられて抱きしめられたから、どうでもよくなった。
日頃生きていて、幸不幸など深くは考えないだろう。
―――でも今、きっと僕は不幸だ。
――― お前が、いなくなるんだろう?。
――― お前がいなくなったら、きっと僕は不幸だ。
だからせめて、笑っててくれ。
痛いくらいに、背に回された腕に力がこめられる。
「兄さん」
達哉の声は、抱きすくめられているせいで頭上から降ってくるように感じた。
「・・・」
そのまま達哉は何も言わない。
言わないのでなく言えないんだということは、痛いほど分かった。
達哉はこちら側の達哉より、ずっとオトナびていると思っていた。ずっと世慣れていてずっとたくましく、ずっと信念を持っている強い人間だと。
―――本当はずっと不器用で、ずっとコドモだ。
こちら側の達哉なら、自分を制して黙るなんてことはしない。
本当に大人なら、そうやって大人であろうとしなくていいのに。
―――「帰りたくない」と。
僕にくらい、言ってくれてもいいだろう。
ほんの少し、抱きしめていた腕がゆるめられる。
「俺が笑ってたら、兄さんは幸せか?」
「ああ」
答えると、達哉が離れた。
触れられていた肩や腕、背中の辺りが寒々しくなる。達哉とはこうして離れるんだな、と僕はまだ先であるはずの未来をリアルに感じた。
「俺も、兄さんが幸せだったら幸せだ」
達哉が笑った。
笑顔。
それは、ほんの少しだけ悲しそうだったが。
僕が見たかった、達哉の笑顔だった。
「帰ろう、兄さん」
またゆっくりと歩き出す。
日が急激に落ちていく。赤かった景色が、暗い青に変化していく。
最後まで本音を言ってくれなかったことに、寂しさも感じたが。
「そうだな。お前のせいで疲れた」
――― お互い様だ。
僕だって言ってない。
弟だけど、惹かれていたこと。
幸せになるための見合い相手を『探す』必要なんて全然なかったってこと、お前には教えてやらない。
END
ようやく完結。おつきあいありがとうございました!。
イダクルト
椋井サマへ。
克哉 「芹沢くんの具合はどうかな?。天野くんがみていてくれるなら心配ないか・・・」
(舞耶&うらら宅)
舞耶 「うららが病気の間、私たまってる仕事かたづけとくから!。世界がどーなってても締切は待っちゃくれないのよねー」
うらら 「看病してよ・・・(怒)」
(Back)
02 4 10