それは、初めて見る表情だった。

だからなおさら。
ハラがたって。
目が離せなくなる。





 

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 迎えに行った矢先、その本人の声が聞こえてきた。
間違いようもない、独特の甘やかな声音。
 距離はけっこうあるが、狭いコンクリートの廊下のせいでよく響く。
誰かとしゃべっているようだ。警官だろうか。


 ――― せっかく迎えにきてやったのによ・・・。


 俺が出て行くとメンドウなことになりそうなので、会話が終わるまで待つことにしてやった。
 なんとなく、こいつの警察署での態度というのも、好奇心がそそられたしな。





「・・・・・・署長・・・」
「若干厳しい処分になってしまったが・・・、これ以上、本庁の君への評価を下げたくない。分かってくれるな」

 『署長』、と周防に呼ばれたのは、壮年と初老のちょうど中間くらいに位置する男だった。
 かっちりと紺の制服を着こなし、威厳ある風貌である。
斜め横ぐらいの角度でしか見えないが、ノンキャリの叩き上げというカンジだ。


 ――― ありゃ、周防のヤツ、減俸か謹慎でも喰らったか?。


 あいつのことだから、バカ正直に事実を報告したんだろう。
だからあれほど止めといたのに・・・。

 普通に聞いたって信じられるはずもないハナシだし、警察が須藤竜蔵とつながってるんなら、なおさら須藤の内偵・・・まして検挙にこぎつけるなんて不可能。させるはずがない。

 なんでそんなことも分かんないかね、あの甘ちゃんは。





「しばらく働きづめだったしな・・・ゆっくり休んで欲しいという思いも汲んでくれ」
「・・・署長!」
 渋さの中に優しさも込められた『署長』の言葉を、周防は強い声でさえぎった。アイツは上司にも熱いオトコなのだろうか。


 しかし、いつも俺とケンカする時のように、激昂して くってかかるのかと思いきや、・・・・・・次の瞬間には、悲しげにトーンダウンしていた。


「・・・すぐには信じてもらえないのは分かります、僕だって実際に目で見なければとても・・・。・・・島津管理官がああ言ったのも無理ないです。でも僕は・・・ウソの報告はしていない!」

「・・・・・・克哉くん・・・」




「・・・・あなたには信じてもらいたいんです・・・!」






 それは、初めて見る表情だった。


 基本的にはクールで感情の出にくい男だが、すぐにカッとなる短気な性質で、俺と言い合いになる時は多弁に、表情もころころ変わる。
 イラだったカオ、怒ったカオ。あきれたカオ。軽蔑したカオ。



 しかし今、『署長』に向けられた周防の表情は、そのどれとも違っていた。
















 ――― 誰だって、仮面をつけて日々生きている。


 自分しか知らない一面、特定の人間にしか見せない一面。
表情だって、感情だって同様だ。

 周防が、自分や天野たちに見せているものがヤツのすべてだなんて思ってはいない。当たり前だ。


 なのにどうして・・・。



 ――――― こんなにハラがたつ?。




 自分が初めて目にする表情。
俺には決して見せない部分。




 ――― あなたには信じてもらいたいんです―――。




  ほかのヤツはどうでもいい、とその目は語っていた。
  だから。
  頼むから。
  どうか自分を信じて。




 それがイヤになるほど伝わってくるから。




   だからなおさら。
   ハラがたって。
   目が離せなくなる。











「・・・・・・克哉くん・・・」
 男は、何かに耐えるように眉間にシワを寄せ、じっと周防をみつめていた。
俺のいる位置からは、あまりハッキリ様子は見えないが、今の周防の発言に何も感じていないわけはないだろう。


 信じるだろうか?。
若い刑事が言い出した、この荒唐無稽なストーリーを。


 信じるもんか。

 大体署長クラスだろ?。須藤とつながってる可能性もある。
俺が現役だった頃とは当然署長も変わってるんだが、今、周防と話している男も見覚えがある気がする。







「・・・・・・私は・・・いや、・・・・・・・」
 気まずい沈黙の後、結局、俺の予想通り、逡巡の末に男は首を横に振った。
拒絶を察知して、周防は悲しげに目を伏せる。


 男のおおきな手が、周防の髪に触れた。
幼い子をなぐさめるように、優しく頭をなでる。
 ほかのヤツがそんなことしようもんなら、即座に怒鳴り返すだろうに、周防はおとなしく されたままだった。


「家にいなさい」
 最後にスーツの肩を叩く。署長の足はもう動いていた。


 すれ違いざまに、
「謹慎しているように。いいね?」
 念を押していく。


「・・・・・・・・・・」

 周防は答えなかった。
とり残されたヤツは、ぼんやりと署長の後ろ姿を見送っている。



 それから、未練を振り切るように反対方向にきびすを返し、こちらに向かって歩き出した。








 おっと、こっちから出てかないと、前からいたのが見つかっちまうな。

「よォ」
 ひらひらと皮手袋に覆われた右手を振って軽くアイサツ。


「・・・パオフゥ?!。なんでこんな所にいるんだ?!、立ち入り禁止だぞ!!」
 俺を見つけた周防は、驚いた表情で駆け寄ってくる。
グラスの奥の両目がうるんでいた。


 ――― げ。泣いてやがる。


 大の男が、冷たくされただけで (ってホド冷たくも見えなかったが) 泣くなよな・・・。
 そんなショックかよ、ああそーかい。



「・・・あ」
 気づいた周防は、慌ててグラスを外してスーツのソデで乱暴に目をこすった。
 ハンカチを出したら ますます泣いてるのが明白で できなかったんだろう。
そのコドモじみたしぐさに、ますますこっちはヤナ気分。


 あの男といる時のお前は、まるで別人のようだった。
それがハッキリ分かったから。






「質問に答えてないぞ、なんでこんなトコにいる?!」
 持ち直した周防は、警戒のこもったまなざしを向けた。

「お迎えに来たんだよ。どーせ追い出されたんだろ?」
「・・・・・・二週間の謹慎だ」
 周防は苦々しく答えた。
さっきのショックがよみがえってきたのか、後ろを一瞬振り返る。

 当然、署長の姿はもうどこにもない。逃げるように早足で去っていった足音も既に消えていた。
 灰色の廊下にいる人間は、俺と周防のみである。



「天野くんはどうした?」
「・・・・・・婦警と なんかしゃべってるよ」






 そもそもの起こりは、天野の提案だ。周防を迎えに警察署に周防を迎えに行くことになったのが数時間前。

『うーん、克哉さん来ないわねー。ちょっと待ってみましょうか』
 と、ロビーで言った天野は、そのすぐ後、コソコソないしょ話をしていた婦警たちにまざってしまったのだ (仕事してんのか?。ここの警察は)。

 あのノー天気っぷり・・・、マネしたくはないがマネできん。
話題は『周防刑事の実態!!!』だったようだが、つきあっていられないので俺はひとり、先に周防を呼びに行ったのだ。







「そうか。事態は大変なことになっている。早く動かないと」
「・・・の前にカオ洗ったらどうだ?。そんな赤い目で天野に会うのか?」
「えっ?!、赤いか!?」
 周防はギョッとして、さらりと教えた俺を見上げた。

 驚いたカオ。
それは、見慣れている。
 いつだって、というか、驚きと事件の連続だからな、ここんとこ。

「赤い」
 こすったせいだよ、バカ。


「・・・サングラスかければバレないかな?」
 周防は真面目に聞いてきた。

「・・・・」


 ――――― 赤いからなレンズ・・・。

 昔、そーゆーのあったなぁ。司法試験受ける時のモンダイ集で、赤いシートで隠して答え見えなくするヤツ・・・。

 って、ダメだこいつ、バカというより天然だ・・・。



「バレるに決まってんだろ」
 天野のことだから、気を遣って黙るなんてコト絶対ないぞ。むしろ面白がるな。そしてこの件は芹沢からたまきと広がっていき、オヒレがついて、『泣き虫刑事』というアダ名がつくことうけあいだ。


 そこまで言うと、周防はショックを受けたらしく、廊下の先にある給湯室に飛び込んでおとなしくカオを洗い始めた。

 沈黙の中、水音がうるさい。
水道水が冷たく感じられる季節だが、火照った皮膚を冷やすにはちょうどいいだろう。
 背広のポケットから、几帳面にアイロンをあててあるハンカチを取り出し、水をふいている。



 ――― その無防備なカオは、初めてみる・・・。


 いつの間にか、周防の一挙手一投足を注視している自分に気づく。
これは俺の知ってる周防、これは知らない周防・・・。

 無意識にふりわけている。



 なんだ、何やってる俺は。
バカらしい。





 水道の備えてある壁には、飾りのない鏡が三個並べてはりつけられている。
周防はそれで目をチェックした。
 もうだいぶ赤みはとれている。もともと大泣きしてたわけでもないしな。

 髪が少し乱れていたのを手ぐしでざっと直していた。けっこう気を使うタイプらしい。後ろ髪はいつもハネてるんだが・・・あれはひょっとしてワザとなのか?。
 ちょっと気になるが、今はそれよりも聞きたいことがあった。
知らんふりするのは楽だが、どうしても知っておきたい・・・あー、つまり、そう !、好奇心ってヤツだ。



「あの男はなんだ?」


「!」
 周防が、バッと後ろにいた俺を振り返った。
せっかくひいていたのに、また赤面している。

「なッ・・・貴様、いつからいたんだ!!!?」
「さぁな?」

 きちんと答えてやらない。こう言うと、悪いほうにとらえるヤツだ。
一部始終、全てと結論づけたろう。
 まあ多分、それが正解だが。


「・・・・・盗み見とは卑怯だぞ!!。耳だけでなく、目も しつけがなってないようだな!!」
 照れてるのと怒っているのと半々だ。白い肌に赤みがさしたせいか、怒っていても迫力に欠けている。

「あいつ、名前なんだ?」
 おかまいなしに質問。

「?。富樫署長だ」
 富樫・・・富樫ね。やっぱ知ってる気がすんだけどな。

「で?、あいつはおまえのパパなのか?」
 正直に言って、あのふたりの雰囲気をひとことで他者が表現するならまさしくそれだった。

 並んでる所を見ただけで、
『まっまさか、周防がいつも着てるブランドもののスーツって、こいつからのプレゼント?!』
とか邪推したくなるほど。

 トシだけでいうなら親子ほど離れてるが、『微笑ましい父子』と言うには、こいつの容姿もあいまって、ちょっとべったりしすぎというか。



 ――― だからこそ、アタマにきたわけで。

 ・・・・・・だからこそ???。



 ・・・・・・・。
 さっきから何考えてんだ俺は。





 俺が内心混乱しているのも知らず、周防は実にきょとんとした目で俺を見返した。それから、ああ、とうなずく。
「僕の父が警察官だったという話をしたんだったか?。でもあのヒトじゃないぞ」
 それに父はもう警察をやめている、と周防はつけたした。

「・・・・・・あ、そ」
 イヤミも通じねェのか・・・?!!。
こいつも、いろんなイミで大物だ。


 ホントに刑事なのか?。警官やってりゃ、水商売と深く関わるのは当たり前。『パパ』の別のイミがホントに分からないのだろうか。いや、おそらく自分にはあまりに関係のないことで、連想できなかったのだろう。


 なるほど。ということは『パパ』説は捨てて良いワケだな。
そーかそーか。



「パオフゥ?。何急に笑ってるんだ?」
 怪訝そうに睨む周防の視線に我に返る。

「えっ?!、俺今笑ってたかっ??」
 バカな、とのけぞる。

「嬉しそうだったぞ。・・・珍しく」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お前さんの気のせいだ。で?。じゃあどんな知り合いなんだよ」
 むりからに話題を戻す。動揺をさとられたくはない。


「お前に話す必要ない」
 周防はツンと横を向いた。小憎らしいタイド。あいつにはあんなにしおらしくしてたクセに。どーにもハラがたつ。


「泣いてたこと天野に言うぞ」
「・・・ッ!。なっ、卑怯だぞ!!」

 給湯室で、すったもんだの末、結局折れたのは周防だった。
こんなコトやってる間にも、事件は広まり、ウワサは現実になり、天野は婦警たちと歓談しているのかと思うと、なんか・・・悲喜こもごもだな、世の中ってヤツは。





 観念した周防が口を開く。
「富樫署長は・・・、父の友人だ。僕がコドモの時から知っていて、警官になった今も いろいろお世話になっている。最近は疎遠だが」


 ――― いろいろ、ねぇ・・・。


 ま、これで『克哉くん』となれなれしく呼んだナゾは解けたな。
ガキの頃からの知り合いだったのか。



「でもさっきフラレちまったってワケだ」
「!」
 軽く口にしただけなのに、周防は固まった。

 薄い唇をかんでいる。
そんなに悲しそうで、やるせないカオも、初めて見る。



「信じてもらえるとは思ってない」
 しかし、周防はすぐに軽く首を振り、いつもの調子に戻した。自分の感情を隠すクセがついているらしい。抑圧の強い環境で育ったんだな。




 ―――『信じてもらえるとは思ってない』、ね・・・。



 ――― それでも信じて欲しかったんだろう?。





 周防・・・。
―――・・・『周防』?。


 こいつ、ひょっとしてあの周防刑事の息子なのか。
直接の面識はなかったが、須藤竜蔵を追って、結局つぶされた刑事のことは耳に挟んでいた。

 刑事に限らず、須藤竜蔵に挑んだ被害者は何人もいたのだが、その中のひとりが、確か周防という名だった記憶がある。

 どんな事件だったかはウロ覚えだが、冤罪をきせられて警察をやめたはず。

 周防にとって、富樫署長は父と並んで尊敬する人物なのだろう。
父が警官でなくなった今は、より一層・・・。


 こいつの仇も、須藤なのか・・・。
巻き込まれたのと、正義心と、そして何より事件に関わっていそうな弟のことが気がかりで須藤を追っているのかと思ったが・・・。




 ―――お前の相手も、俺と一緒だったのか・・・。








「もういいだろ。天野くんが待ってるんだろう、早く行こう。JOKER事件だが、大変なことになってるんだ」
 給湯室から、薄暗い廊下に出て、周防はいつものマジメな刑事の顔で言い、そのまま出口に向かって歩き出した。
 その二・三歩後ろをゆったり ついて歩きながら、俺はふと思いついて、




「いつか信じるだろうよ。俺たちが須藤をとっつかまえればな」




 細身のスーツの背中に向けて言った。
別に優しくなぐさめてやるつもりでもない、いつもの口調で。



「・・・・・・」
 早足だった周防が止まる。
そして振り向いた。




「ああ」




 笑顔。

 口元をほころばせて、嬉しそうに。
そして小さくうなずいた。


「そうだな、パオフゥ」

 
「・・・・・・」




それは、初めて見る表情だった。
だからなおさら。
嬉しすぎて。






 目が離せなくなる。








 ――――まいったね。
俺が『はじめて見たお前』の表情の中でも、一番だ。


 それが俺ひとりに向けられていることが、こんなに嬉しいとはな。




 なるほど。
べつにあの富樫ってオヤジでなくても、ひきだそうと思えば、けっこういろんなカオをひきだせるのかも知れねェな。


 こいつから。







 さすが甘ちゃんなだけあって・・・。




 笑顔も、極上に甘かった。













END













〜蛇足〜



 ――― それから数日間。


 パオフゥは今までとうって変わって、周防克哉巡査部長の機嫌をとろうと奔走していたが、逆に気味悪がられて警戒され、結果、あいかわらずふたりのコンタクトコマンドは、『克哉・パオフゥ対立!』のままだったという・・・。





でも結局、富樫署長は信じるどころか事件とつながってたんですが。
それはまぁいいか。かわいそうに克哉刑事・・・。

時期的には、パーティが一時別れたトコですね。
うららJOKER化の前。

富樫署長かなり好きです。死ぬだろうなあとは思ってたけど、ホントにそうなっちゃって悲しい・・・。
伊田くると







克哉 「よし ! 天野くんと合流するか!。行くぞパオフゥ!」
嵯峨 「・・・そーゆーの、泣いたカラスがもう笑ったっていうんだよなァ・・・。ったく、ホントお子様だねェ」




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