あれはどのくらい前の話になるのか。
あいも変わらず、グランドラインを航海中だったゴーイングメリー号でのこと。
珍しく、何も理由がないのに ふと昼寝から覚めた。いつもならアクシデントか
またはメシ時の料理人のケリでもなけりゃ起きないんだが。
さらに珍しいことに、続けて目を閉じていても去った眠気が戻ってこない。
ミカンの葉の隙間からこぼれる日の光の強さから考えて、まだ昼過ぎ。爆睡中なのが常だった。
俺はあきらめて立ち上がった。
寝起きはノドがかわくからキッチンにいる男に飲み物をもらって、それから鍛錬しようと考える。
ミカン畑を抜けてキッチンへ向かう。
そこに。
ルフィの笑い声。
なんとなく足が止まった。そのまま声の方向を見る。
船首側の甲板。
まだ笑い声は続いていた。
俺が乗った海賊船の船長。
とぼけたツラしたメリーの首の上にあぐらをかいて座っている。
笑いながら、なにかしゃべっていた。
その近くの手すりに 右手を軽く置いた姿勢で立っているのは船長お気に入りの料理人だ。
こっちはもっぱら聞き役に回っているらしい。
四六時中手放さないタバコを やはり今日も左手にはさんで、それが時折紫煙をあげていた。
光景自体は、そこまで めずらしいものではないはずだった。
ルフィはヒマさえあれば船首にのっかってるし。泳げねぇクセに。
サンジは職業柄、キッチンにいる時間が絶対的に多い男だが、仕事が済めば仲間達とにぎやかにやっている。
何も珍しくない。
なのに、なんで俺は思わず足を止めたのか。
数秒考えて気づいた。
―――― そうか。あまりふたりだけってのは・・・・、見ねぇな。
ほかの連中はどこにいるんだろう。キッチンか、それとも部屋にひっこんでいるのだろうか。
ふたりがなにを話しているかはあまり気にならない。
漠然と、楽しそうだなと感じた。
ルフィはひっきりなしに笑って、騒いでると言った方が近いテンションだし。
サンジもサンジで、俺に対する時とはまるで違う やわらかな雰囲気だ。
軽くうなずいたり、たまにはからかいまじりに苦笑したり。唇をゆがめたような笑い方は、どうにも斜にかまえていて皮肉っぽいが。
キッチンに向かおうとすると どうしてもそばを通るから ふたりに見つかってしまう。
なにも躊躇することなどないはずだが、なんとなく今出ていくのはよした方がいい気がした。
と。
ふいにルフィが腕をにょんとのばした。
普通の人間の五倍ほどの長さにのびた腕はまっすぐにサンジに進み、ちょうどその鼻先で止まった。そして、サンジの持ったタバコを奪い取る。
―――― 何する気だ?。
俺と同じく、サンジも突然の行動に少し驚いたようだ。青い瞳がわずかに瞠られたのが分かった。
が、特に文句をつけるわけでもなく、タバコがなくなって手ぶらになった左手をおろす。
下ろされた左腕は、右腕と同じく所在なさげに手すりに置かれた。
ルフィはタバコを指にひっかけたまま、伸ばしたその手をサンジの肩に乗せた。
そしてそこを支点にして、ゴムの腕をいつものサイズに戻す。
――――― つまり、メリーの特等席からサンジのいる手すりまで、腕を戻す力で飛び移ったということだ。
サンジもルフィも運動神経は優れているから、どちらもバランスを崩したりはしなかった。ルフィの体重分以上の負荷を受けたはずが、サンジは突っ立ったまま微動だにしない。ウソップだったら急に前に引っ張られてコケてるところだ。
ルフィも危なげもなく スッと手すりに着地した。サンジの手と手のちょうど間の部分だ。
自然、ふたりの距離はほとんどなくなる。もともとサンジは手すりぎわにいて、その手すりの上にルフィが来たからだ。
「――――――――」
ルフィがなにかを言った。大きくはないだろうその声は、当然こっちまでは届かない。
さっきまでの快活に笑っていたあいつとは少し違った目をしてサンジを見ている。
手すりに乗っかっている分、今はルフィの方が目線が高い。
サンジが顔を上げた。
それが合図になったように、ルフィはそのままくちづけた。
キスするために身体を若干傾けたので、ルフィの表情は見えない。
短めの黒髪が揺れて、サンジの金髪にかかった。
サンジがゆっくりと目を閉じる。
黒いスーツの肩に置かれたままのルフィの手。その指に逆の方向で挟まれたタバコから、かすかに灰が床へと落ちた、そんな小さな部分まで。
その光景は完璧に、俺の脳裏に焼きついた。
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