「よぉ」
 まっすぐ俺をとらえた目を細め、左の口角を上げて寄こされるあいさつ。

 三日前、船の上に突然やってきたときも、なりゆきのセックスが仲間にバレて気まずかった翌日の朝も、いなくなったルフィをつれてふたり戻ったときも、まったく同じだ。

 エースは いつでもどこか楽しげに陽気な空気をまとい、トラブルも葛藤も何も感じさせない。ほぼ同年で この差はなんだと思わないでもないが、海賊として積んだ場数の末のものか、天性のものか、きっと両方だろう。



 そして今。

 別れ際でさえ、こいつの空気は変わらないのだ。








LIKE LOVE
7





 扉を閉めたキッチンは、外からのわずかな音しか通さない。港の波はおだやかで、揺れもほとんどない。
 チョッパーとウソップだろうか。それとも港の子供か。ガキ特有の高い声が ほんの少し響いてくるだけで。

 朝食と昼食の間の、空白の時間。にぎやかだったキッチンには今はふたりだけだった。
 俺たちから出て行くまで、誰も来ないだろう。

 ・・・って、そーいう気遣いが ホントいたたまれないんだって。
恥ずかしいったらない。

「何か飲むか?」
 場つなぎに申し出てみる。遠慮なくうん、とうなずきが返ってきたので 少し考えた後アイスティーにすることにした。いつもここでは何かしら作業しながら話す習慣がついてるから、何もしないで向き合うのが実は苦手だ。とくにふたりだけとか。とくに相手がエースだったりとか。

 席を立つとき、安堵と離れがたさが同時にわいて、困惑した。隣にいると緊張するが、それが嫌なわけじゃない。でもやっぱり どうしたらいいか分からない。ガキだ。こういうとこ、もうちょっと器用にやれないかね、俺。遊びなら いくらでも好き勝手に振舞えるのに。振舞っていられたのに。

 湯をわかしたりカップを出したり。テーブルに肘をつき、エースはそんな俺を見ているようで、そんな気がしてしまって、やっぱりいたたまれなかった。


 ――――アイスティー、別にキライじゃねぇよな。つか何が好きなのかな。

 まるで知らない。



 今 聞いとこうか。次いつ聞けるかわかんねぇし。


 ズキ


 茶葉をすくったスプーンを持つ手が震えた。



 ―――― 一昨日までは。
こいつのいない日々が当たり前のようにあり、それがすべてだったのに。
明日からこいつがいないと、そう頭の中でつぶやくだけで、ガキじゃねぇから泣きもぐずりもしないけど、でもやっぱり何かが足りない。

 分かってるんだよ。それはすごい小さいものだって。
たりなくたって生きていける。いつも通りだ。それで俺の人生は変わらない。でも。


 仲間や、家族(認めたくねぇが、クソレストランの野郎たちだ) へ感じるのとは全く別種の引力は、突然発生して俺を放さない。







 客用なんてものはないから、普段使いのカップで出した冷え冷えのアイスティー。酒とか水とか、そーいうのじゃなくて、落ち着いて食後の紅茶なんて こいつには少ないかもしれないから、喜ばないかな なんて思ったのは、口に出さないけど。

 ちなみに、いつもはナミさんにしか出さない いい茶葉なんだぜ。船長よりは味が分かると信じたいが、質より量タイプな気はするから、期待しないけど。


 ちゃんと「いただきます」って言って口をつけるところとか。

 カップが小さく見えそうな、日に焼けた大きい手とか。

 俺が生きてくのには支障ないのに、手放すのはとてもつらいものだった。

 ―――― たった数日で。
ちょっと前まで、こいつなんか、なんでもなかったのに。


 クソジジイ達や、ルフィ達。ゆっくり、毎日を過ごして、ゆっくりと育っていった絆や、仲間意識や、そういうのとは全く違う。


 この引力は。










 ああ。


 別れる前に、

 キスしてえな





 コツ 
ふいに近くで聞こえた硬い音は、木のテーブルにカップが置かれた音だった。意識が引き戻される。

 見るとエースのカップはもう空だった。おかわり、いるかなと思った瞬間、ついさっきまでカップに触れていたせいで珍しく冷えた指が耳に近い頬を触り、反射的に目を閉じたのと同時に唇が合わさった。




 俺がキスしたい時、絶対キスしてくれるのは、

 それこそ相性ってやつかもな。





 日の光が差し込む室内は、目を閉じても闇でなく、どこか穏やかな光の中だった。



 あんなばかばかしい始まりだったのに。



 次なんてあるとも思ってなかったし、こんな気持ちになるはずなんてない始まりだったのに。


 触れる指や、唇。ひたいに当たる俺よりかたい髪の感触。温度。空気。
すべてが優しかった。



「エー・・ス・・・」


 セックスにつながるものじゃない、欲をあおるものでも鎮めるためのものでもない、ただのキス。

 キスしたい、と俺が思って。
エースもきっと、俺にキスしたい、と思った。
それだけの、キス。

 静かで、穏やかで、凪のような、そんなキスを、こいつとすることになるなんて。




 好きだ。



 好きかも。



 惹かれてるかも。



 これから、もっと好きになるかも。





 お互いなんて何も知らない。




 ルフィと比べようもない。すぐに切り捨てられる。こいつがいなくたって俺は生きていける。その程度だ。



 なのに消えないこの引力が、今すべてだった。












 ―――― 昨日。
ロロノア・ゾロが席を外して、エースとふたりキッチンに残されたとき。

 俺は、もう関わるなという約束をした事は後悔してなかったが、でもひどく悲しい気分で、こうして話すのも最後かな、とぼんやり思った。

「なぁ、サンジ」
 呼びかけに、内心怯えつつエースに目をやる。数歩俺に近づいて、俺を眺めてる奴は怒っている風ではなかった。ほんの少し困ったような笑みを浮かべていた。
 それから、手にもった帽子をまた指先だけで回転させた。

「うん。俺もまあ ぶっちゃけね、キミより弟の方が大事だよ」

 俺の、エースよりルフィが大事だと言った言葉を繰り返される。

「・・・・・・・・・・」
 なんと答えればいいか分からない。エースの口調が意趣返しのための皮肉なものであればまだ納得できたが、彼を覆う空気は穏やかなままだった。

「たったひとりの弟だ。親はいなかったし・・・ガキの頃はずっと面倒みてた。一緒に生きてきたんだ」


「大事だ。キミよりずっと」



 俺よりずっと。

 それは、聞きようによっては傷ついてもおかしくない言い回しだろう。けど、俺はその想いが分かった。共感できた。


「弟が、キミを好きだなんて知らなかった」

 俺を見る黒い眼は真剣で。
飄々としてみえても、こいつだっていろいろ悩んだに決まってる。


「きっとルフィの方が、キミのことを想ってるって俺は知ってる」

 そうだろう。俺もそう思う。俺だって、ルフィの方が大事だ。好きだ。目の前の男よりずっと。でも。


「・・・・好きだ、サンジ」


 なんで。
今それを言ってくれんのかな。



 俺も。

 俺もだ。


 ルフィのが大事だけど、でも。


 俺も。



 声に出せない気持ちは、伝わってしまっただろうか。



 少し屈んで俺と目線を合わせた黒い瞳はとても優しい気がして、手放さなきゃいけない男への執着は増すばかりで、そのまま前髪をすっとあげて額に落とされたキスの感触に、泣きたくなった。













―――― 好き、という言葉にもいろいろあって。

―――― 深さも方向も、本当にいろいろあって。



 それを俺はこの島で知った。
知った気でいたものが、本当に分かった。


 俺がキスされたいのは、こいつなんだ。
ルフィを想う気持ちより ずっとずっと軽いけど、こいつなんだ。




 唇に、頬に、こめかみに。耳に、まぶたに、額に。
首筋に、手首に、指先に。
俺たちはキスをした。



 幸せなキスだった。









 そういやさ。
おかわりの紅茶をがぶがぶと(やっぱりあんまり価値は分かっちゃもらえないらしい) 飲んでたエースがふいに口調を変えた。
「もう関わるなって、剣士さん言ってたけど」
「・・・あ」
 言ってた。確かに。そんでもって俺もそれを承諾した。
もちろん関わるなというのはエースのことだ。

 約束約束うるさい男を思い出す。とりあえず、今こうしてふたりでいることに文句はつけられてないが。

「ルフィが許してくれたし、それはチャラってことでいいよな?」
 にかっと笑うその顔は、どうにも能天気で、憎めなくて、俺も ついつられて笑った。

「チャラでいいだろ。だってそもそも」

 ―――― 『もうあの男に関わるな。ルフィを選んだら、連れて行く』


「・・・・・・・・・・・・・『連れてって』もらってねぇし」
 自力で探し出した昨日の俺の偉業を回想し、俺はうなずいた。ほんっと役立たずだなあのマリモマンは。いいとこなしじゃねぇか。

 大変だったのか? と聞かれ、俺はマリモの悪口と自分の勘の良さを語ることに夢中になった。楽しそうに聞いてるエース。たまに入るつっこみもあいづちも、なんだかいい感じで。


 俺、ほんと会話のテンポの合うヤツに弱いんだよな。


 一番初めにヤツに惹かれたきっかけを、くすぐったい気持ちで思い出していた。














「じゃーーなーーーーっ」
 エースひとりを乗せた小型ボート(だがとてつもなく速い)を見送った後は、一同少しだけ放心したような間があった。

「んーっ、私たちも出航準備しましょうか、波が順調なうちに」
 のびをした姿勢のまま、ナミさんがのんびり提案する。
いつもの、周囲を巻き込んでのトラブル・大騒動はなかったが、みんな なかなかに困ったりした数日間だったに違いない。そもそもは俺の誕生日を祝ってくれようとしてたのに、申し訳ないな。

「サンジーーっ めしーーーっっ」

 ちょっと離れた船首ぎわでルフィが大声で騒いでいる。それより まず出航だろうが。の以前にさっきエースもまじえて昼飯食ってすぐじゃねぇか。
 騒ぐ船長の方向を見上げたナミさんは、あきれつつも嬉しそうに笑っていた。
こちらを振り返り、うまく元通りになってよかったわね、と目で言われ俺もうなずく。と、ナミさんの優しげな微笑がニヤリと不敵なものに変わった。

「でも大変よ遠恋は〜。ふふっ、ルフィにしちゃった方がよかったかもよ」

 遠恋てあなた・・・。
そんな普通の恋人みたくなれんのかね、と思わないでもないが、エースが去った今の俺の気持ちはまさしくそこだ。どことも知れない場所へ今も遠く離れていくことが認めたくないが さびしい。時を追ってそれは加速するに違いなかった。言われた通り、大変だよな、きっと。って、だからってそんな つつかれ方をするのは ものすごく恥ずかしい。

 それはナミさんが女性なのもあるし、それに、

「家族みたいな相手に恋はないですよね」

 あーあ。
そうなんだよな。



 口に出したらスッキリした。

 ルフィも、ナミさんも、さ。ウソップもチョッパーも(一応)クソマリモも。
大事すぎて大好きすぎて、血のつながった家族の記憶は俺にはないけど、肉親のエースがルフィを思う気持ちに負けないくらい、大好きなことが当たり前の存在に。



 ―――― 恋はやっぱり難しい。



「そうね。ね、悩んだら私に相談しなさいよ」
 そんなこと言い出すし。お姉ちゃんですか。

 大きい目を輝かせて俺を見上げてくるナミさんはすごくかわいくて、ドキドキするしもったいないなあとちょっと思わないでもないけど、でもやっぱりそういう対象じゃないんだな、と感じた。

「それは勘弁してください」
 恥ずかしいから。

 ナミさんのマネをして俺ものびをした。横でナミさんがケチねぇとかぼやきつつ笑っている。剣士はさっそく甲板で眠りこけ、ガキ達はエースのくれたおもちゃで きゃっきゃと仲良く遊んでいる。


 なんて優しい風景だ。


 恋がなくても生きていける。俺は、生きていける。
でも、恋してるだけで、世界がなんだか変わって見える。




 遠くでルフィがまだ叫んでいる。
大好きだ。お前のこと、俺大好きなんだぜ。だからつまみ食いだって(たまになら。そして余裕があるときなら) 許してやるし、お前が笑うならって、つい甘くもなっちまう。






「・・・・・・・・ナミさん」
 恋愛相談はする予定はないけど、恥かきついでに、エースの去ってった地平線を眺めながら俺はひとつ白状することにした。





 ルフィに出会って。海に連れ出された時。
その吸引力は、まるで恋のようだった、って。





END



 ルフィとエースだと、エースがやっぱり大人で兄なので身を引く、となるのが多いと思うんだけど、ここはエースで!。ということで書きはじめたお話でした。
 完結までアップしていると思ってたら、し忘れていました・・・もし万が一待っていてくれた方がいたらゴメンナサイ!!。おつきあいありがとうございましたv
近くエース編小話もアップしますー。

By 伊田くると


サンジ 「てわけであの約束はチャラだからな!!!」
ゾロ 「好きにしろよ(そして早く別れろ)」

07 6 17