ガイダンス・A

〜*3 その夜 〜



 エースとルフィは仲の良い兄弟らしかった。
普通の兄弟がどんなもんかよく分からないが、少なくとも俺たち兄弟とはかなりの差がある。

 血縁というより男友達、というカンジで。
それはルフィがなぜか兄貴のことを「エース」と呼び捨てにしてるせいもあるんだが。
 そいや、ゾロも俺のこと『お兄ちゃん』とは呼んでないけど。じゃあなんて呼んでるのかと聞かれると、「なぁ」とか「おい」だけだったりして。ペットもいない家の中、ふたりだからそれでこと足りるというばそうなんだけどよ。






 ふたりのお客さんを加えたにぎやかな夕食が終わった後もルフィはキッチンに残っていた。一応受験生のゾロとエースは少し食休みを挟んでまた勉強するらしい。今は二階のゾロの部屋に上がっている。
 テストは全学年共通だが、二年生のルフィはもとより力を入れる気はないようで、勉強会に参加するつもりはちっともない様子。本当にぷらっと遊びにきただけ。のん気だ。



 俺はといえば、よく食うこの兄弟のおかげで予定外に疲れてしまった。
けど、大勢で食う食事は楽しかったし、エースもルフィもあっけらかんとしててにぎやかで。うまいうまいと言って平らげてくれるもんだから、料理が好きな俺としても嬉しくて。




「お前は泊まってかないのか?」
 時刻はもう九時近い。エースは今日も泊まっていくと言ってたが、ルフィはどうするんだろう。ほんの少しの眠気をおさえつつ、尋ねてみた。

 この家は四人家族のところが半分になってしまってるので、スペースはゆうにある。客布団の準備はしてないが、泊まれないことはない。

「俺べんきょーしねぇもん」
 ルフィは嫌そうなカオを作って見せた。出してやったジュースのストローをかじったまま。そんな動作のひとつひとつが幼くて、ガキに無縁な俺としてはものめずらしい。


 階上のふたりはまぁ勉強してる・・・んだろう、多分。やってるトコをいちいちチェックしてるわけじゃないからよく分からんけど。
「ふぅん、ま、兄弟ふたりともいなくなってたら親が心配するか」
 じゃあ遅くなる前に帰れよ、といおうとする前にルフィが答えた。

「いや、俺んちエースと俺だけだし」
「へ」

 さすがに驚く。
皿洗いがひと段落したのもあって、そのままついテーブルに向き合って座ってルフィから事情を聞いた。深刻な話だったら躊躇したけど、ルフィは別に普通の態度だったから、まぁいいだろうということにしておく。

 似た家庭というのは意外に多いもので、この兄弟も親と別居しているとのことだった。母親は昔に離婚したそうだが、父親が海外在住という所まで似ている。

 けど、その別居っぷりがウチとは比較にならないほどで、ルフィは父親に数えるほどしか会ったことがない、と言った。



 ―――― 仲がいいのも当然かも知れない。エースとルフィは、唯一のそばにいる身内なんだ。


 ルフィの態度はやっぱり平然と普通だったが、俺はなんだか衝撃だった。
ルフィはもう十六にはなってるはずだが、見た目がもちょいガキに見えるせいもあって、こんな子供を放っとく親って・・・!、と見たこともないルフィの父親に怒りが湧いてしまう。
 おまけに、昨日エースがうちにいたということはルフィはひとりぼっちだったのだ。今日遊びにきたのも兄に会いたかったからかもしれない。そう思うと、なんだかエースまで薄情なヤツに思えてしまう。

「なら帰ることねーじゃねぇか。勉強しろとは言わねーからウチにいろよ! な?」
「べんきょーしないでいーのかっ?。じゃいる!!」
 ルフィは即答した。かなりの勉強嫌いらしい。

「サンジはメシもうまいしやさしーし、いいヤツだな!」
 にししと笑って抱きつかれた。一瞬、昼間みたいにまた噛み付かれるかと思ってビビったことはナイショにしておく。












 風呂から出たルフィに、パジャマがわりにTシャツと三本線のジャージを貸してやる。気づかなかった俺も悪いが、パンツいっちょで上がってくるコイツもちょっとどーかな。

「おい、髪ちゃんと乾かせよ」
 ルフィは濡れたまま、大して身体もふかずにあがってしまっている。リビングでテレビをつけたり、ルフィの入浴中にやってた明日用のメシの下準備をのぞいたりつまみ食いしたりと忙しい。どうも一か所にじっとしてられないタチのようだ(メシ食ってる時と寝てる時以外)。

 タオルとドライヤーを持ってソファに座らせ、そのままなんだか興が乗ったので髪を拭いてやることにした。ルフィは自分でやるのはメンドくさいとイヤがるが、されるのには抵抗がないのかおとなしくしている。


 ―――― なんだか楽しい。


 理屈はわからないが俺はそう感じた。
これはなんだろう。わくわくにもちょっと似た楽しさ。

 しばし考えて、自分なりの答えを出す。

 ―――― これは、小動物をいじくってると幸せになる症候群だな !。



 そーいや俺はハムスターだとかネコだとかが大好きだ。過去にかわいがってたそいつらを世話してる時の感覚に似ている気がする。



 ああそういえば。

 そんな思いに触発されて、古い記憶がよみがえってきた。


 ―――― 俺に弟がいるって初めて知った時。

 ちょっとこじれた事情もあったから最初は喜べなかったが、本当はこんなカンジを望んでたんだよな・・・俺。

 寝かしつけてやったりとか。服着せてやったりとか。とにかく世話焼きたくて。
これって、今思うともっと年の離れた弟妹ならまだ可能だったんだろうけどな。ゾロと俺は年子だし、もう少し離れてたとしてもやっぱりそういうことさせてくれるタチじゃないだろう。

 そんな思いもあってか、ルフィで遊ぶのはなんだかとても楽しくて、俺はあらかた髪の水分を拭き終えるとドライヤーまでかけてやることにした。
 半乾きの髪を適度な束で何度も何度もすくいつつ、キョリをおいて熱風をかける。兄のエースより素直な髪質らしく、思ったよりすんなりした感触が心地いい。

 ルフィは最中もテレビを見たり、ドライヤーのコードを指でいじくったり、アホなことを話しかけてきたりしてて、そんな行動もやっぱり俺のツボだった。


 ―――― いいなぁ、こんな弟。


 エースがうらやましい。


 そう思ったら噂をすればで、受験生組が階段から下りてきた。
ソファにぴったり隣あって座っている俺とルフィを見やって、エースがふき出す。

「微笑ましいのといかがわしいのと半々だな」
 そう言って、かわいがってもらってんなぁ、と熱の残っているルフィの頭をポンポンと叩いた。

 いかがわしいって何だ?。と内心ツッコんでた俺だが、うるさいのでドライヤーをいったん止める。


「ガキみてぇなことしてんなよ」
 熱風の音が止まったのとほぼ同じタイミングでゾロがぼそっとつぶやいた。その言葉は俺に向けられたのかルフィに向けられたのかわからない。でも好意的なニュアンスはまるで感じられなくて、思わず眉をひそめてしまう。


 そこに、
「ひょっとしてルフィも泊めてもらうつもりなのか?」
 エースが俺とルフィに明るく声をかけてきた。
「おう!。べんきょーはしねぇけど!」
 しつこくまだ勉強のことを言うルフィ。

 一瞬暗く沈みそうだった空気が元に戻ったことにホッとしつつ、
「俺がすすめたんだ。せっかくだから泊まってけって。シャツは夜洗っとくし」
 兄のエースに補足した。

「なんか、メンドウかけまくりで申し訳ないけど」
 ちょっと苦笑をうかべてエースがそうよこしたが、メンドウとはまるで感じていなかったことに気づく。むしろ俺、実はすごい喜んでねーか?。





 それって。


 やっぱ、ゾロとふたりだけってのに、
内心すげーまいってたのかも。


「・・・」

 そう考えてしまったことに罪悪感を覚える。
弟なのに。これじゃゾロをうとんでるみたいだ。





 ふたりがまた上に戻って。ルフィとふたりだけになった時ついこぼしてしまった。

「・・・お前が弟だったらよかったな」

 ルフィはきょとんと俺をふりむき、それから「俺オトウトだぞ?」と不思議そうに返してきた。




 これがエースだったらまるで違う反応があった気がする。
それが残念なような、いやホッとしたようなで、俺はかわいたルフィの頭をさほど遠慮せずこづいてみた。







*3 その夜 * END

ドライヤー好き。
ゾロひとことしかしゃべってないし。
伊田くると
03 4 17


〜*4 キス ゛ 1 〜



 学校がないと思うと気分が軽い。

 ゴミだしだとか掃除だとか布団干しだとか、やらなきゃならないことが多々あったが、そんな作業もさほど苦にならず終了した。どうせやらなきゃいけないし、客がいるならいっそう気をつかわないとなんないしな。母もだが、俺は少し潔癖症の気があって、汚い家で暮らすことの方がストレスだった。



「あとは、メシだけか」


 現在家には俺ひとり。

 当然、ゾロとエース・ルフィは学校だ。今日はテスト。中間・期末考査じゃないから一日で終わるらしい。国・数・英の三教科で。ゾロは文系がとにかくダメなヤツなので(いいのなんてないけど)、このラインナップはキツイだろうが。


 夕食は何にしよう。がんばって勉強してたみたいだし(ルフィは結局全然やってなかったけどな)、終了いわいに豪華にしてやろーか。

「・・・」
 こんなこと思う俺って、なんか母親みてぇだな、と自分にツッコミつつ、家事をすませた俺は買い物に出ることにした。










 家を出て少し歩いたところで、制服を着たルフィとかちあった。
時刻は四時過ぎだから、ちょっとはやいんじゃないかと不思議に思う。
 すると、三年生はテストの後講習があるからで、それ以外は関係ないんだとルフィは言った。
そんなに熱心にとりくんだとは思えない証拠にルフィはいつも通り元気で、でかける俺についてくると言い出した。

 エースから一日遅れてウチに泊まりに来ていたルフィだが、こいつはもともと形式ばったつきあいをせず、すとんと相手のインナースペースに入り込むのが得意みたいだった。俺に対しても。

 同性とはあまりうまくいかないことが多い、という俺の経験の中ではかなり異色、だろう。こんな短期間のつきあいなのに、遠慮せずものを言い合ってる気がする。



「夕飯は肉か?!、肉にしてくれ!!サンジ!!」
「いーけどよ。若いからいーけどお前ちったぁ野菜や魚も食えよな」

 この兄弟はふだんはエースが家事も担当してるらしいが、彼も嗜好がルフィと似てるので、かたよったメニューになってそうで心配だ。まあとったカロリーは十二分に消費してるんだろうけど。ゾロもスポーツ選手だから食事にはそれなりに気を遣ってる。けっこう俺は料理オタクなのだ。



「あ!!」

 商店街へ向かって歩いていると、突然ルフィが声をあげた。まさに『しまった!!』てカンジに。

「忘れてた!!!」
 案の定なにか失態があったらしい。何が?と言葉の続きを待つと、ルフィはいきなり俺の腕をつかんで走り出した。

「ぉわっ。なんだよ急にっ」

 ガキのくせに力が強い。片腕をとられたまま、俺はばたばた走るルフィに何度か質問したが、要領をえた答えは返ってこなかった。







 ひっきりなしに車の通る交差点。信号でひっかかったところでようやくルフィは走るのをやめてくれた。

 くやしいことに体力が違うのか、俺はかなり息があがってるというのにこいつは平然としたもんだった。部活をやってるとは聞いてないが、なんでそんな体力あまってんだ?。

「なんなんだよ。商店街から外れちまったじゃねーか」
 これは駅へ行く道だ。もちろん駅ビルで買物したっていいんだけど。


「お礼だ!!。エースが世話になったらちゃんとお礼しろっていつも言ってるからな!!」
「礼?」

 ルフィはこっくりうなずく。
信号が青になったのでまた歩き出した。俺のひじの辺りをつかんでいたルフィの腕がおろされて、そのまま手をとられる。スタスタ進むルフィにつられて俺も前に進む。


「お好み焼きだ!!。でも石もある!」
「・・・・・・・・・・ハ?」

 分からん。

 そこがこいつの楽しい所でもあるんだが、説明して欲しいときにこの意味不明さではさすがに困る。

 俺も気が長い方でもねぇし。
とりあえず、こいつが俺に礼をしたいと思ってて(なんの礼だ?。泊めたことかな)、そこに連れてこうとしてることだけは分かった。


 夕飯の時間が気になるが、ゾロもエースも少し遅いようだし十分間に合うだろう。
それに、テストが終わったらエースは家に帰るわけで。そうすると当然ルフィだって兄についてくだろうし。俺の大学休みも今日で終わりだし。


「・・・」
 ――――昨日はあんま考えないようにしてたけど、やはりさびしいとも・・・・感じる。
だから、最終日だしルフィの好きなようににつきあってやろう、と俺は思考を切り替えた。エースと同じで、ルフィの手もあたたかかった。










 ルフィは「野菜も魚も食え」と言った俺の言葉から、ひいきにしてたお好み焼き屋を思い出したらしい。俺へのお礼に食わせてやろう、と(思い立ったら即実行だな)。

 「サンジは作ってばっかで食ってねぇから、たくさん食っていいぞ!」なんて、俺が作るそばからつまみ食いしてたヤツに言われると、どうもな。



 しかし、どういった経緯でこのお好み焼き屋に出会ったのか気になるのは俺ばかりじゃないだろう。
 この屋台は、駅から裏通りへぬけた所、ホテルだのそのテの店だのがひしめきあってる通りにひっそりと出されてたんだから。

 ――――こいつのことだからニオイにつられて見つけてきたのかも知れねえけど。

 でも、もっといい場所に出したらずっと客がつくのに・・・と残念に思うほどそのお好み焼きはうまかった。カツオブシがこんもり盛られてるのも好みだ。

 無愛想な五十代のオッサンがひとりでやってる屋台に客は俺達しかいない。まあ日が落ちればこの辺は人通りも増えるんだろうから余計な心配かもしれないが。



 俺より早く食い終わった(でも俺の三倍食っていた)ルフィはオッサンに、
「ウソップいるか?」
とまた俺の知らない単語を口にしている。


「・・・・・」
 当たり前なんだけど。
俺とルフィはおととい会ったばかりだからな。
 しかし、こういった場所に制服姿で平気でいりびたってるルフィのタイドや、父親よりも年上だろう男と気安く話しているルフィの横顔に、ちょっと戸惑ってしまう。


 ――――こーいう場所とはエンがなさそうなんだがな。

 まだ開店してないとはいえ、いかがわしい看板や電光掲示板が雑多にあふれてる狭い路地。法律ギリかアウトな店もあるんだろう歓楽街。

 エンがないのは俺もなんだけど。
正直、健全な大学生として興味がないわけでもないが、俺はこのテの店に入ったことはない。実をいえば近寄ったこともなかった。女性を売りモンにしてるっつーのがやはり釈然としないのか、磁石のSとSみたいに、避けてきたと言ってもいいくらいだ。



 ――――大通りから一本ズレただけでこんなに世界がかわるもんなんだな。

 だからぶっちゃけ、不安がないとは言えないんだが・・・・・年下のルフィに物慣れない様子を見せるのもシャクで、俺はつとめて平常をよそおってしまう。そうだ、俺は大人。年上。平常心平常心・・・・。


「サンジ、ウソップまだだって。もちっと待てば帰ってくると思うんだよな。あいつんチで待つか!!」
「・・・ハ?」

 急に話しかけられて、またも意味がとれず、またもきょとんとした俺に、オッサンがみかねて補足してくれた。ルフィの言葉が足りないのを承知してる人らしい。

「ウソップてのはこいつの友達で、専門学校生だ。学校が終わるとこっちに来て飾り作りやってる。こいつはそれを頼むつもりなんだろ」

「おう!。ウソップに作ってもらうぞ!。サンジのお礼!」
 ルフィは、嬉しそうにニシシと笑った。





*4 キス ゛ 1* END

相変わらずへたれサンジですが、この先もっとへたれます。
伊田くると
03 6 9


〜*5 キス ゛ 2 〜





 お好み焼きのオゴリで十分だと言ったのに、ルフィはその『ウソップ』とかいうヤツの帰りを待つと言い出し、持ち前の強引さでまた俺を連れ歩いた。
 屋台から十分ほどの、古い鉄筋三階建てのビル。
狭くて、半端な敷地に無理に建てたカンジの雑居ビルだった。入ってるテナントは、当然・・・・。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 一階がランパブで、二階がソープと個室ビデオ屋で・・・。あやしげな事務所も入ってる。三階はモロにそーいう店らしかった。オイオイ・・・。

 屋台のあった辺りよりずっと奥まった場所。今日は天気もあまりよくないから暗くなるのも早くて、5時ちょいだというのに薄暗い。ごみごみした雰囲気のせいもあるけど。

 ルフィはあいかわらず何も感じてないような顔で すいすいとビルの、今にも とまりそうなエレベーターに乗り込む。ついてってる俺は『平常心平常心・・・』なんてまだ頭でつぶやいてみるものの、やっぱり治安の悪そうなこの空気に酔ってしまいそうだった。


 ―――― ウソップってヤツ、どんなヤツなんだろ・・・


 うー、考えたくねぇ。
まさか、ヤのつく人だったりは・・・しないか?、学生とは言ってたが・・・。

 三階につく。ここは逆に商売っけが感じられなかった。無機質なコンクリート。入り組んだ細い廊下にいくつかのドア。そのうちのひとつをルフィはあけた。鍵はかかってない。





「・・・・・わ・・」

 その中を見て、俺は思わず声をあげた。
灰色の壁は、その色が分からなくなっていた。四角い部屋、そのすべてに絵が描かれている。天井もだ。エレベーターや廊下には下品な落書きやペイントがあったが、そんな類ではまったくない。
絵なんて分からないが、四方から迫ってくる色彩に圧倒される。




「・・・・海だ」


 海と空だった。




「おう、きれーだよなー。ウソップの仕事場だぞ。気に入られて、ここで作ってるんだ」
 ルフィの言葉でなんとなく分かった。

 部屋には絵だけでなく、黒い布をはったボードにアクセサリーが並んでいる。
路上とかで見るあれだ。誰か見止めたヤツに気に入られて、場所をもらって製作してるということか。ここは彼のアトリエらしい。


「ウソップおせーなー。ちょっと待ってよーぜ、サンジ」
 その部屋をきょろきょろ見回してる俺と対照的に、もう慣れてるらしいルフィは興味なさげに床に座り、そのまま寝てしまった。ハラいっぱい食って眠くなったのか。
 こいつって、そーいうトコ本能チックだ。ここ数日間で何回目かのそれを思った。






 ルフィが熟睡してしまったので、部屋が静かになる。
俺はまたもとりのこされてしまった。自然とため息がでる。

 ――――急にこんなトコ連れてこられて、緊張しちまった。

 日常と違いすぎだ。
俺はフツーの大学生だからなぁ。構内で浅く軽いノリでつきあってる友人だって、こーゆートコ出入りしてそーなヤツはいねぇし。出会い系サイトだとかにハマってるヤツならいたが、こんな、まんま風俗、みたいなトコはさすがにな・・。

 まあ、ルフィもこーやって (こいつらしい考えナシの身軽さで) 遊びに来てるだけで、立ち並ぶ けばけばしい店の客としてきてるわけじゃない・・・・んだろうな、だよな、もし違ったらヘコみそうだ、そーいうことにしとこう。





 こいつが寝てる間にウソップとかいうヤツが帰ってきたらやだなぁ、なんて思いつつ、ルフィの隣に俺も腰を下ろした。床にはじゅうたんなんてぜいたくなものじゃなく、ホコリっぽいゴザがしかれていた。硬い感触。

 住んでるわけじゃなく、単に仕事場のようで、生活感は皆無だ。ヒマをつぶせそうな雑誌なんかも置かれていない。でも、たくさんの青で構成された海はいくら見ていても飽きなかった。


「・・・・・・・・・・」
 そんな、大きい海の絵のすみ、つまり部屋の角に、海の色じゃない四角の空間があった。
近くに寄ると、それは白い布。何か四角いものを包んで無造作に壁にたてかけてある。大きさは五十センチ四方くらいの正方形。
 この部屋の様子からしてそれがキャンバスというのは容易に察しがつく。興味がわいて、布に手をかけ中をさらしてみた。

「・・・・」

 そこには、部屋と同じ、海があった。よほど作者は海にこだわりのある人物らしい。

「船・・・」

 壁の海と違い、こちらの海には船が浮かんでいた。
木造の、昔の船、だ。帆をはって、風を受けて進む船。
マストに旗。

「海賊船・・」

 ドクロマークをほどこした黒い旗は、海賊船の証だ。

 明るい昼の海の上に海賊船。なんか陽気でいいと思った。旗から目線を下げると、細かい絵で、船の上に人が乗っているのが分かる。
 ディズニーランドの『カリブの海賊』をまんま思い出させる黒いコートを、腕を通さず肩にかけた男。船長なんだろう。若く見えるが。左目の下に黒い筋が走ってるのは、海賊らしい名誉の負傷なんだろうが、片目に眼帯をしている方が海賊らしいな、なんて思った。

 ずいぶん細かい絵だ。
なにかの話を元にしているのかもしれない。

 欲しいな。

 特に絵画に興味があるわけじゃないが、この絵には強く惹かれるものがあった。売り物ではないのかもしれないが、ウソップってヤツが怖そうな男じゃなかったら、ダメ元で頼んでみようかなぁ。











 それから、どのくらいたったか。

「あ、時間・・」
 飽きずに絵を眺めていたが、やっと気づく。
俺、夕飯の買物しに出てきたんだった。今日は最終日だし、手間かけようと思ってたのに。


 腕時計をつけない主義なので、俺の時計は携帯だ。ケツポケットに入れっぱなしの携帯を見ると、七時を大幅にすぎている。

 げ。

 さすがにゾロ達も帰ってるはずだ。てか夕飯時だ。

 やべ。



 メシどーしたかな。なんだよ連絡くらいくれればいいのに。とディスプレイをにらんだところで、圏外、と小さく文字が浮いてるのに気づく。



「ここ圏外なのか?!、なんで」

 ビックリしたが、そういや、鉄筋のビルって電波悪いとか言うよな。
さすがに連絡を入れないとマズイだろう。エースだって、ルフィを心配してるはずだ。

 部屋をうろうろと歩いてみたが、圏外のまま。だめだ、と外に出ることにする。ルフィは爆睡中なので、そのままにしてドアをしめた。


 ――――ったく、お好み焼きだけでいいっつったのに・・・。

 好意が嬉しくて、つい言いなりになってたが、ウソップになにか作ってもらう、ということは銀細工のアクセなんだろう。安いもんじゃないし、さすがにそんなん受け取れない。早く断っときゃよかった。




 廊下もやはり圏外なのでエレベーターを呼ぶ。一階にいたらしいエレベーターがのぼってきて、五人も乗ればいっぱいいっぱいなカンジのそれに乗り込んだ。一階を押す。一度ビルの外に出ないと。


 ギーーー、と煩い稼動音をたて降下するエレベータの音が止まった。まだ2階。扉が開いて、背広姿の男がふたり乗り込んできた。

 げ。

 反射的にそう思い、持ってた携帯に目を落とす。エレベーター内だってもちろん圏外だ。

 扉が閉まってまた箱が動き出す。急に人数が増えて重いと苦情を出してるようだ。
はやく一階つかねーかなー、と思っていると、

「君、3階の子?」

 げげ。

 関わり合いになりたくないのに、向こうから声をかけられてしまった。
が、声は意外に柔和で、ほんの少しホッとする。いや、いきなり「なんやワレ」みたいな調子でも困るが。

「上って男の子もいるんだ。知らなかったよ」
 シカトするわけにもいかないので顔をあげる。
思ったほどコワイカンジの連中でもない。声かけてきたオッサンは年は五十近くみたいで、にこやかに笑っていた。もうひとりの方は男より下の立場なのか、そーですねなんて敬語であいづちをうちつつ、俺に見下げるような目を向けていた。カチンとくる態度だ。


 男は言葉を続けた。
「僕のことは知ってるだろ?。まだ時間はやいけどいいかな。先約がはいっていたら言いなさい。店に言っておくから」

 ???。

 男のセリフひとつひとつすべて謎で、返事できない俺に、もうひとりがフォローみたいに割り込んできた。

「この辺り一帯のビルのオーナーの黒川社長だ。そういうことだから」


 そういうこと?。
ってどういうこと???


 エレベーターが1階についた。
閉塞空間から脱出できることにホッとする。

 しかし、歩き出そうとした時、強引に肩をつかまれて引き寄せられた。

「さ、行こうか」

「・・っ」

 これ・・・
やべぇ、インネンつけられてる・・・?。

やっと気づく。

 んな生意気な受け応えしたつもりはねーのに(あっけにとられててぽけっとしたのが気にさわったのか?)。


 男はふたり。ひとりはメタボちっくなオッサンだが もうひとりはどう見ても頑健な体型で、オッサンのボディガードも兼ねている、そんな空気だ。

 前にも酔っ払いにからまれてノシたことはあるけど、そーゆーのと一緒の輩じゃない気がする。むこうシラフぽいし。なんか社長とか言ってたけど、まさかマジで <ヤ> のつくヒト・・・・・なのでは・・・・。

 ヘタに抵抗するのもヤバイ気がする。けど、ほいほいついてくのもマズイ。どうしよう・・・

 が、ぐるぐる考えが回る頭と逆に、身体は正直だった。

「?。ほら、きなさい」
 強引に背中に手をあてられオッサンの身体に密着するように引き寄せられた時、ゾゾッと全身に悪寒が走り、気づいた時には――――





 おもっきし蹴っていた。






 ギャーーーーー!!!!


 つい足が!! つい足がーーーっ!!!。

 そうなんだよ、俺なぜか昔っから足クセが悪くて!!。
ケンカといえば足だけでなんとかしのいでたってのがあって。

 蹴ろうなんて思ってなかったんですーなんつっても許してもらえる状況じゃない!!。男は完全に床に身体をつき、腹の痛みにうめいている。

「っ!」
 ボディガードの男がすぐさま駆け寄り、倒れた社長(?)を抱き起こす。大事ないのを確認すると、呆然としてしまっていた俺につかみかかった。のどもとをきつくつかみあげ、ビル入り口の壁にたたき付けられる。

「痛っ」
「貴様っ、どういうつもりだ!!」
「・・・・・・・・っ」

 問われても無意識で蹴ったのだとはいえない。単に生理的に駄目だっただけで他意はこれっぽっちもないのだが、説明しようにも のどを圧迫されて言葉が出ない。呼吸すら満足にできない。苦しい。男は殺す気かというほどのバカ力だ。

 男の足が押さえつけてるから、また蹴りを出すこともできない。脳に酸素がいかなくてボーッとしだす。水の中にいるようだ。男の手を外させようと動く自分の腕の感覚が薄くなる。









「サンジ!!!」


 声が聞こえた。







 なぜか。
薄くなってく意識のすみに、
あの部屋にあった絵の船長が浮かんだ。





















「サンジをはなせ!!!」


 空白の後、はっきり耳に届いた声は、ルフィのものだった。




 側壁に作られていた非常階段を通って1階まで来たんだろう。ビルの入り口から現れたルフィ。そういえばエレベータはずっとここで止まっている(男たちの鞄がひっかかって、扉が開いたままだった)。目が覚めたらいない俺を探しに来てくれたんだろうか。しかしなんてタイミングだ。

 制服姿のルフィを男はちょっと意外そうに見やって、
「どうされますか」
 静かに、まだ床に尻をついてる社長に尋ねる。

 俺をしめあげてた腕の力がわずかにゆるめられた。依然その拘束はとけないままだが、その猶予のおかげで気道が開く。とたんに咳き込んだ。窒息寸前だったかもしれない。

 社長は呼吸もままならない俺を見やり、
「・・・やったことの責任はとってもらおう」
 サディスティックな目を向けた。

「3階の人間じゃなさそうですよ」
 ボディガードは俺とルフィ交互に目を走らせてまた静かに言葉を吐いた。意味は分からなかったが、ひょっとしたら俺達をかばっているのかもしれない、と一瞬合った目にそう思う。最初の、見下すような色がなかった。

「サンジをはなせ!!!」
 そんな男ふたりの会話などどうでもいいように、ルフィがつっこんできた。

「っ!!」
 バカやめろ、と言いたいが声がでなかった。

「やめろ。それ以上近寄ったらこの男ののどをつぶす」
 俺を押さえつけてる男の親指が、のどもとに当てられていた。

 まだ力は込められてない。けど、脅しとしては十分だ。俺をしめあげたやり方といい、慣れてるのだ。

 ルフィが瞬時に動きを止める。拳を握り、真っ黒な目がきつい光を放って男をにらんでいた。そんな顔は、初めてみた。
 幼いとすら思っていたのに。
雰囲気まで違う。こんな状況だというのに、思わず驚いていた。まるで別人だ。


「サンジを放せ。痛がってる」
 まっすぐ凛とした声。恐れを知らないのか。どう見たって世界が違う相手とモメてんだぞ。こんな人気のないとこで。急所に手をかけられてる俺もピンチだが、ルフィの様子にもハラハラする。

 男は俺をちらりと一瞥した後、ルフィに視線を戻した。
「ただでは返せない。したことの落とし前はつけてもらおう」
「したこと?。サンジが何したっていうんだ」

 無様に地面に転がってた社長が重そうに身体を起こし、俺に暴力を受けたとわめいた。最初の柔和さなどカケラもない。が、今俺の目の前にいるボディガードに比べて迫力はなく、顔を赤くして激怒する姿はどこか滑稽に見える。

「この私に暴力振るったんだぞ!! ケガしたんだ!! しかも顔だ!! 面子に関わるんだぞ!! どうしてくれる!!」

 蹴ったときかかとがあたったのか、確かに頬骨のあたりに土とひどい擦過傷ができている。時間がたったらきっと青あざも。物証アリだよオイ。ほんとどうしたら・・・


「ケガさせたのか?サンジ」
 ルフィの質問にはうなずくしかない。小さく二度ほど首を動かす。男の指先が当たるのがリアルに怖い。
 ルフィはちょっと考えるような顔をした。なんかこいつ落ち着いてる。状況をどれだけ把握してくれてるのか。


 そして、

「・・・・・・・・・わかった」

 おもむろに、ルフィは廊下すみに積み上げられていた酒屋のカゴから空のビール瓶を取り出した。そして壁に叩きつけ、割った。ガチャン、と固いかわいた壁にあたり砕けたその音は意外なほど透明感がある。


 凶器を持ち出したのだから、俺を拘束していた男が瞬時に緊張体勢に入った。が、彼が何かするより早く、





「サンジのかわりだ」






 破片を手にしたルフィが、自分の左眼の下を切り裂いた。
男がケガした場所と同じ所。











 破片を手にし、持ち上げ、顔にあてがった。そして、なんのためらいもなく横一線に切り裂いた。一連の動作すべてが早かった。止める声をあげる隙間さえなくて。


 ぽいっ、とルフィが破片を捨てたのと同じくらいに、いつの間にか落としていたケータイが足元で震えた。
条件反射で思わずそれに目を落とす。そしてすぐまたルフィに目を戻すと、あどけない顔の半分は真っ赤な血で濡れていた。







*5 キス ゛ 2* END

NEXT


ひ、久しぶり過ぎる更新・・・。
伊田くると
08 6 15






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