いつでも
何度でも



俺を海に連れ出すのは
変わらずひとりだけだ。






L






 ―――― 早起きは苦手だ。


 昔から苦手だ。
こーゆーのはなおらない、と思う。得意不得意の問題だろう。

 「気合いでなおしやがれ」とあきれて俺を小突くあの人だって、本当は低血圧で朝に弱いのを俺は知っている。起き抜けの不機嫌さといったらひどいもんだ。


 ―――― いっそのこと、ディナー専門店にしちゃえばいいのになぁ。

 午後開店、とかな。ただでさえそろそろ予約が間に合わなくなってきて忙しいし。そのほうが落ち着いて仕事できると思うんだけど。
 オーナーは仕事が早いが、元は丁寧に仕事したいタイプの人間だと俺は勝手に推測してるんだが。

 そんなことをつらつら考えつつレストランに向かう。




 レストラン、『ブルー・オービット』。

 俺の仕事場。


 今日でちょうど三ヶ月目。
オーナー、覚えてるかな。覚えてねぇか。


 実は三ヶ月もひとつ所で勤めが続いたなんて初めてなんだぜ。
短気なせいでどーにも上とうまくいかなくてすぐやめちまう。コックのくせにどーして俺って血の気が多いんだろうな。

 でも、そんな俺がこのレストランでだけは うまくいってる理由はただひとつだ。



 ―――― だって、俺より血の気が多い人がオーナーなんだもんな。









 冷たい潮風が身体に当たる。
海はすぐそこ、というか海沿いの道だから波音が一番大きなBGMだ。
 朝の海は人が少なくて (漁師のおっちゃんやうちのレストランの仕入れ当番は市場でがんばってんだろうが)、島唯一のこの港も閑散としている。

 朝の太陽に白く反射して輝く、キレイで静かな海は俺のお気に入りだ。
いつもそれを横目に見つつ、レストランへのゆるい勾配の坂をのぼっている。



 丘の上にぽつんとたっている西洋風の建物が目指す場所。

 どんなクソ野郎にも 腹がへってるヤツにはメシを出す、イカれたレストランだ。








 裏口の鍵を開けて中に入る。
開店は10時。

 今は7時前だから、当然客はいない。オーナーは俺より少し後にやってくるはずだ。
 自宅がここからちょっと離れてるからな。島のメインストリートにあるアパートメント。
 もっと近くに越せばいいのに、と思うけど、歩くのが好きらしい。
というのは建前で、街中の方が好きに遊べるからだろう、と俺は踏んでいる。
 女関係がとにかく派手な人なのだ。だらしない・・・ともいう。



 あくびしてから店内の窓を開けるのが一番の仕事。
締め切った広い室内に冷たい風が入るのは心地いい。




「よぉ」

 窓を全部開け放ったところで後ろから声がかかった。





 あいかわらず。


 ―――― の気配のなさ。
なんなんだろなこのヒトは。



「おはよーっス」
 敬語なんだかよく分からないアイサツを返してみる。育ちが悪いから俺は敬語が苦手なんだ。


 振り返ると、いつもの黒スーツ姿のオーナーが突っ立っていた。
大体十メートルほどの距離をはさんで。

 こんだけ寄られたのに気づかないってのは正直心外だ。いつレストランに入ってきたかも、まるで分からなかった。
 俺、コックだけど強いのにな。ケンカ慣れもしてるし、気配にはずいぶん聡い方だと思ってたんだが。ニブったのかな。


 まぁ、このオーナーだって強いハズ。
本気でやってるところは見たことがないから今イチつかめてないけど。海賊くずれを遊び半分でノシてるんだから相当だろう。とてもそう見えない外見はしてる、が。



「早いスね今日は」
「目が覚めちまった」

 簡潔に答えてから彼は肩をすくめた。
スーツの内ポケットにはいつでもタバコが入っているがくわえていない。レストラン内では禁煙を心がけてるようだ。


 夢見が悪かったんだろうな、となんとなく思う。少しの物音で目が覚めてしまうヒトだし寝つきも悪い。
 なんで知ってるのかというと別にやましい理由でもなく、雇われてすぐの頃 俺の住む所が決まるまで一週間ほど彼の部屋に泊めてもらったことがあるからだった。


 目が覚めたと言うわりにまだボーっとしているオーナーに休んでるよう うながして、俺は昨夜の仕込みの様子を見に行った。
 それからパンを焼いて、スープの味を調整して・・・これはオーナーがやるかな、そんで・・・。

 手順を頭の中で組み立てる。
最近は多くの仕事を任せてもらえるようになったので、忙しいがそれに満足もしていた。


 だって、店の鍵預かっちゃってんだぜ俺。すごいよな。
あのオーナーに信頼してもらえてんだぞ。







 ―――― 鍵をもらった日は興奮して眠れなかった。
酒場に行って誰かれかまわず自慢した。

 島で一番評判のいいレストランも、そこの変わり者のオーナーも有名だったから、みんなそろってそれを祝ってくれたもんだ。

 鍵をほしがったヤツも多かった。ってやるわけねぇけど。
第一、オーナーはレストランで寝泊りはしてないからこの鍵があっても夜這いはできねぇし。





 荒くれものの男達にも妙に人気のあるオーナーは、やっと頭が起き出したらしい。調理場で黙々と作業を始めている。
 無駄のないその動きを時折目で追いながら、俺は今日で勤続三ヶ月目――――イコール会って三ヶ月目でもある―――― そのことを言おうか言うまいか、ガラにもなく悩んでみたりした。








 昼のもっとも忙しい時間を過ぎると、いつもホッとする。
客の入りは今日も上々。島の人間だけじゃなく、わざわざ近海に寄った船まで食いに来るこの店は、島の新しい名所になりつつあった。

 ディナー時間になると中流以上の連中が増えるが、ランチは大衆向けでマナーも何もあったもんじゃねぇ客も多い。ナイフもろくに使えなくて、でもうまそうに残さず食う連中。
 雑然としてるその雰囲気が俺はスキだ。やっぱ性に合ってるんだろう。

 だから俺の場合、いつも早番で午後3時までの勤務。
オーナーは昼過ぎに休みをとって晩もまた出る。オーナーなんだからもっとふんぞりかえってりゃいいのに、一線から下がる気はまるでない。それもそのはずで、経営者でありつつも若いからな。





「リズ」
 オーナーが俺を呼んだ。

「食器頼んだんだ。今日港につく予定だから取りにいく。荷物持ち頼む」
「―――― あ・・ハイっ」

 数週間前に注文したセットの食器のことだ。
今度出す新しいコースメニューに合わせた食器。メニュー考案、俺なんだよな。もちろんたくさんダメ出しされて、オーナーに手伝ってもらいながら完成にいたったんだけど。

 そーやって試行錯誤してた間に、もう店に出すこと考えて食器のセット頼んでくれてたってのは・・・けっこー嬉しいんだよな。


「何笑ってんだ?」
 俺、そんな顔に出てたか・・・?、怪訝そうにしてるオーナーに、俺はあわてて「なんでもないっス」と背中を向けた。







 食器運びで今日の俺の仕事は終わりらしい。
オーナーと二人で坂をおりて港に向かう。

 レストランから出ると、オーナーはさっそくタバコをくわえて火をつけた。
火をつけた後、役目の終わったライターは当然すっとシャツのポケットにしまわれた。
 飾りのない黒い安ライターだ。細身であまりガスは入らないが軽い。


 会った時からずっとコレだ。

 この人のライターの使用頻度から考えればとっくにガス切れだろうから、わざわざ詰め替えてることになる。
 どこにでもあるようなライターだから その種類をたくさん買いこんでるのかと最初は思ってたんだが、その古び方からみて同じものらしい。

 食べ物には執着するが、それ以外ではむしろ物を大事にしない浪費家なオーナーなのに、そんなつまんないものを手間かけてまで使いつづけているキモチが俺にはナゾだった。







 坂を下り、十分ほどして港についた。いつもどおりの喧騒が出迎えてくれる。
港の管理人に尋ねると、約束の業者の船はまだ着いてないらしい。
 『そろそろつく』という連絡が電伝虫で入ったそうだ。潮の関係で少し遅れてるみたいだが。


 それを聞くとオーナーはすぐどこかへ行ってしまった。


『ただ待つのは嫌い』
なんだよな。

 それはオーナーの口癖だった。
行動的だから、じっとしてんのがダメなのかね。そいや、女関係でもそんなカンジだよな。

 定位置を決めずにふらふら遊びまわるのはかまわないが、突然に島を出るとかは言い出しやしねぇよな・・・。大金かけて一軒店をかまえたぐらいだからそんなんありえるはずもねぇけど、考えたら少し怖かった。



「ま、ナンパでもすんだろーなぁ」
 港に近いこの辺りだと、男のが多いからナンパも思うようにはいかないだろーけどな、ザマミロ。





「・・・――――」
 結局行きの道では三ヶ月目のことをいえなかった。
ま、言ったからどーってハナシでもねぇんだけど。




 ――――アンタだって、ひとりの女と三ヶ月も続いたことねーだろ?。

 そー考えると、けっこースゴイことだよな、やっぱ・・。





 俺まで場を外すわけにいかないから、船の寄港予定の場所で待つことにする。

 オーナーと同じで俺もコックにあるまじき喫煙者だからタバコを口に挟んだ。今日の一本目。とりあえず一日三本とゆーことにしてる。舌がにぶりそうでちょっと怖いし。オーナーのパシリでタバコ買ってった時のクセで、オーナーと同じ銘柄だ。





「・・・・・ん?」
 貴重な一本を吸い終わったのとほぼ同時に、港が騒然として雰囲気がガラリと変わった。
 理由は港町に住む者なら誰でも分かる。不審船が近づいてきたのだ。
「・・・・・・・・またかよ」

 港近くまで近づいた船は、停泊場所の確認などを電伝虫で取り交わすのが近年の決まりになっている。それに応答しなかったか、またはふざけた応答をよこした船がやってくるんだろう。
 多くは、それは海賊だった。

 ちょうど進路と時間が一緒だから、俺たちの店が皿を頼んだ業者船は巻き込まれやしないだろうか。それが頭をよぎって不安になる。

 もし皿が台無しにでもなったら、あの人は怒り狂うだろう。



「・・・現役海賊とやりあうのは久し振りなんだがな――――」
 両手の指をならして、ちょっとだけあの人の真似をしてニヒルにぼやいてみた。












 数分後、見えていた船影から分かっていたが――― やってきたのはやはり海賊だった。

 周囲のざわめきが上がる。ここらじゃ有名な『ブラッド海賊団』だ。当然高いのは悪名。
 海賊旗からして、流した血の量を誇示するような血の色でできていることで知られてるんだが――――


 港の警備係の連中(といっても漁師のオッサンがほとんどだ)の砲撃に少し被害は受けたものの、海賊船は港に船をつけ強行に陸にあがりこんだ。招かれざる客もいいところだが。

 思ったほどの人数じゃないが、目的は略奪、な連中だから、すでに両手に武器をかまえている。戦闘態勢だ。


 ・・・俺も黙って見ているわけにはいかないよな。
正義感ってだけでなく、やっぱケンカ好きだし。

 そんなわけで俺も連中の行く手をはばむために前線に出て、さっそく目に付いた男の武器を奪って投げ飛ばした。

 それからは、ほかにも腕に覚えのある港の自警団と一緒に戦闘が始まる。
わりあい豊かな島だから、海賊の来襲はそう珍しくない。街に海賊どもを上げないために、あてにならない遠方の海軍のかわりに自警団が組織されてるのだ。

 ブラッド海賊団は、今までのそんな海賊と比べるとはるかにランクは上・・・のはずが、人数、質ともに思ったほどじゃなかった。

 それに、
「大したことねぇんだな。大体、あの海賊旗どーしたんだ?」
 やっぱ俺って強いよな、と自画自賛しつつ、俺はとらえた海賊のひとりに気になっていた質問をした。

 ドス黒い、まるで静脈血みたいな赤色が一面に塗られた不吉な海賊旗のはずが、ブラッド海賊団のそれはぼろぼろにちぎれているのだ。
 紙をやぶくように、力任せにひっぺがしたように見える。もはや、四角形の旗のカタチをしていない。

 問われた方は悔しそうに俺をニラみつけてきたが、さらに強くしめつけてやると、悲鳴まじりにやっとしゃべりだした。

「ここにくる前に――――っっ変なのにつかまっちまったんだよっ。それでやられたんだ!」
「あ?。海賊か?」
 要領をえない答えにさらに聞き返す。答える方もよく分かっていないカンジだ。

「知るかよ!。とにかくそれで海賊旗もやぶかれたし、仲間も何人もやられたし――――」
 そう言われてみれば――――

 なるほど、船も船員も妙にボロっちいすさんだカンジなのは、やはり本調子じゃなかったからのようだ。なんらかの災難につかまっちまって、ムシャクシャした挙句に略奪に来たんだろう。


 ―――― 一体何があったんだ?

 戦闘中だというのに、考えをとばしてしまったのがまずかった。



 ドガッ



「ってぇぇっっ!」
 油断していた俺は、後方からの衝撃に前倒れにつっこんだ。砂まじりの地面に倒れこむ。肩から背中にかけて、激痛が走った。

「船長っ!」
 周囲から歓声があがった。街の連中じゃなく、海賊どもの方からだ。


 ―――― 船長だって?。げっマジかよ。

「ザコが大立ち回り演じていい気になってんじゃねぇぞ?」
 地面に倒れ伏した俺を、両手に二十キロはありそうな重り付きの棍棒を構えた船長が憎憎しげに見下ろした。威風堂々としてるが、でもやっぱ極悪そうなツラで。

 身なりにしても闘気にしても、船長と聞いて納得できるモンではあった。戦ったら俺でも勝てないだろう―――― やけに冷静に自分と比べちまう。

 身体がまだ自由に動かず、敵を目の前にして、俺は凍ったように固まってしまった。相手は女子供でもためらわず殺すような賊だというのに。
 案の定、ニヤリと酷薄に笑った船長は、遠慮のないしぐさで棍棒を振り下ろす。


 っくしょっ、まだあのランチ 客に出せてねぇのに―――――――


 思わず考えたことがそんな後悔だったなんて なんとなくカッコ悪ィけど、俺は観念して目を閉じた。







 が、予想した衝撃は降ってこない。

 そして、ドオン、という何か重いものが近くに転倒した音が響き。
周囲から喝采があがった。



「・・・・・?!」
 おそるおそる目を開ける。
そこには。






 常態と変わらぬ空気をまとったままの、レストランの支配人が両手をポケットに入れた姿勢で立っていた。


 その細いスーツの右足の下に敷かれているのは、哀れな姿になって卒倒している海賊団の船長。
 それをめんどくさそうに もう一度ケリを入れて足をはずし、


「まだ甘ェな、リズ」
 ニヤリと笑って見せる。くやしいが決まってる。



「オーナー・・・」



「自分で立てよ。男にゃ手は貸さねーぞ」











 騒動が治まり、やっと来た海軍にブラッド海賊団を引き渡して、港はようやく普段の空気を取り戻しはじめた。
 海賊団撃退に力を貸した俺とオーナーには、あとで懸賞金の一部が授与されるはずだ。まあ、オーナーは受け取らないかもしれないが。

 後片付けまでかりだされる必要はないから、俺とオーナーはまた連絡船の待ち場所に戻った。約束の船はまだ来ない。




「なんか、ほかの海賊に行き当たっちまったみてぇで、それで気が立ってたみたいっスよ」
 額の汗をぬぐいつつ、俺は聞かれたわけでもないが事件のあらましを説明していた。

 ブラッド海賊団の突然の来襲。どうも変なヤツとやりあって、その腹いせのようにこの街を襲ってきたこと。
 その変なヤツ、は実際は海賊とも思えないほど変なヤツだったみたいだが、俺もそれ以上説明できないのでそうまとめる。
 それで、自警団に加わってやっつけてたら、オーナーが来てくれた、と――――


 しかし・・・。


 ―――― あーあ、助けられちまった。カッコ悪いとこ見られちまった。ただでさえ俺のが四つも年下なのによ・・・。


「海賊ね・・・」
 ちょっとヘコんでる俺には見向きもせず、オーナーは特に何も思う所はない、というように無表情で繰り返した。海賊が襲来したことも、そのリーダーを倒したことも、どうでもいいことらしい。

 それから新しいタバコに火をつける。また例のライターだ。
見ていた俺に気づいたのか、無造作にケースを投げ渡してくれた。本当はタバコが吸いたいわけじゃなく右手のライターが気になってたんだが。

 ポケットにはまだ残りのあるケースがある。が、ありがたくいただくことにする。

 タバコはくれても、酒場の女ではないから火はさすがにつけてくれない。自前のライターで先に火をともす。


 ―――― どうでもいい話だが、俺が以前火をつけてあげようとしたら、
「男にそんなサービスされても嬉しくねぇ」
と実に嫌そうに返されたことがある。
 でも、女にそんなことさせてる所も見たことはない。

 いつだって、あのライターで自分で火をつけていた。









「それにしてもオーナーって強いんスね」
 前からいくらかは知ってたが。
海賊船の船長を一撃でノすほどの実力者とはまるで思わなかった。

 しかも手を一切使わず、足だけで。
攻撃の瞬間ですら、殺気も闘気もまるで感じなかった。ブラッド海賊団の船長を見て「強そうだ」と思ったが、オーナーにはまるでそれを感じない。つまり、俺に気取れるレベルじゃないってことなんだろう。


 ずっと料理人してて、あんなに強いもんだろうか。
あの料理のウデからして、長年修行してるってのは間違いないよな。過去にイーストブルーで、有名な海上レストランにいたことも知ってるし。

「あ!、ひょっとして海軍の厨房に勤めてたとか!!」
 過去を詮索したことなんて今までないんだが――――、なんとなく、男同士でそんな探りあうのもどうかと思うし ―――― むしょうに気になってそう言ってみると、オーナーはさっきとまったく変わらない無表情にほんの少しあきれの色をにじませた目をしてみせた。





「クソ外れだ」





「じゃー正解は?」
「・・・・・あ?、そりゃ・・・」




 そこで、ふとオーナーは俺から海へ視線を向けた。
その青い目がみはられる。


 俺もつられてオーナーの目線をたどって海原に顔を向けた。



 船。



 船影が見える。



 ―――― なんだ?。
約束してた業者船がやっと来たかな。



 でもなんか、カタチが――――



 近づいてくるほどに、その船は晴れた空に照らされてはっきりと浮かんでくる。

 小さい。業者船じゃない。
大きな旗がかかげられている。




 ――――海賊旗・・・・・・?。





「オーナー?、あれがどうか・・・」
 船からオーナーにまた目を戻した俺は、そう言いかけて止まってしまった。



 オーナーが笑っていた。



 見た目には、そう分からないぐらい、かすかに。
相変わらず無表情なままだったが、目が驚くほど優しげに細められていた。



 船は、まるで俺たちの前が目的地だったかのように、眼前の停泊場に着港した。


 そして、へんな羊の形の船首にのっかった長身の男の姿が肉眼ではっきり見えた。










「リズ、俺行くわ」



 定位置を決めずに、ふらふらしてるこの人が。
女好きで、いつも女をそばにたやさないくせに、長くもたないこの人が。


 どこかに行ってしまうことを、俺はずっと恐れてたような気がする。





 食べ物には執着するが、それ以外は驚くぐらい大事にしない人だったから。
どんなに金をかけて建てた店だって、この人をしばるものにはならないことを、俺はずっと知っていたような気がする。



 だから。

 店を出てちょっとそこまで、というような軽い口調だったが。
それが、本当の別れの言葉だと気づいた。



 言葉を返せない俺に、オーナーは初めて困った顔をした。
俺が別れだと気づいてしまったことに困ったんだろう。


 オーナーはすっと横に目をやった。視線を外されたことにわずかに苛立ちを感じてその目の先を追う。ひとりの男がいた。

 あの船の船首にいた男だ。
羊の頭をつけた船は錨をもう下ろしていたが、それより先に港におり立ったらしい。いつの間にか十五メートルほど離れた場所で俺たちを見ていた。




 ―――― 全然気づかなかった。


 その差がどうしようもなく悔しかった。
男をつい睨みつけてしまう。男はまるでとりあわずに俺に笑って見せたが、その場からは一歩も動かなかった。俺と同い年くらいだろうが、笑い方はやけにガキっぽいカンジで、思わず敵愾心をそがれてしまう。

 十五メートル。
そいつはそこから動かない。会話も聞こえないキョリだ。

 オーナーもそれを思ったのか、
「あいつも少しは他人に気を遣えるようになってんだな」

 俺がみたことないような笑顔で。
おかしそうに顔をほころばせた。

 オーナーは俺の方を向いてたから、それはあの麦わらの男には見えなかっただろう。少し胸がすく。

 が、オーナーの笑顔をひきだしたのがあの男だと思うと、やはりやりきれなかった。








「今度―――― 俺の作ったコースを店に出してくれるって・・・」
 約束したのに。
今日だってそのための食器を受け取りにきたんじゃなかったか。


 自分でも分かるほど、ダダをこねるガキみてぇな声だった。この人をひきとめたくて仕方がない。
 オーナーはまた笑った。今度のは苦笑だ。どうやって自分より背の高いだだっコをなだめるか思案しているようにも見える。


 ひとつ、軽いため息をついた後、
オーナーは一歩だけ俺に近づき、










いつでも

何度でも



俺を海に連れ出すのは、
変わらずひとりだけだ。









 そう言った。










「悪ィな、リズ」











 ―――― 分かってしまった。



 ―――― たとえば俺は。
家と職場と、友人、仕事仲間、そんなものが生活の全部で。


 でも、この人は、
今ここにある、そういうものに執着してなくて。

 その理由が分からなくて、不思議なヒトだと思っていたが。



 答えは簡単だった。



 オーナーの全部は、今ここにあるものじゃなかったっていう、それだけのこと。

 俺のしらないもの。俺のいるところにはないもの。





 だから、執着なんかなくて。



 いつでも
 何度でも




 たった一人。


 たった一人を待っていた。










「店の鍵は持ってんだよな?、こっち、俺の部屋の鍵だからよ」
 オーナーはいつものオーナーの顔に戻った。切り替えが早い。

「店と土地の権利書なんかもその辺にあると思うから。お前頭悪ィんだからきちんと専門家に依頼して手続きしてもらえよ?。三丁目のイリーナちゃんがオススメだvv。弱冠二十五歳にしてスゴ腕の税理士だからなvv」
 店の全部を俺に譲ると暗に言われる。
カギを渡したら、用は済む。さっきから傍で待っている麦わらの男と―――― あの船で行ってしまうんだろう。海へ。

「いらないっス」
 出された銀色のカギを押し返した。
文句を言おうと口を開くオーナーより先に、

「その代わり、ライター下さい」

 口にした。


「――――」
 オーナーが黙る。驚いてる顔だ。

 このヒトの意表をついたのはきっと初めてだろう。いや、居候させてもらった時、さわって二分でなぜか彼の電伝虫を壊してしまった時以来だ。



「あの店は、ずっとオーナーがオーナーだから・・・」
「・・・・・・リズ」


 きっと俺はバカなことをしている。
自覚がある。

 店はまだ『彼のもの』だと思わせることで。
唯一、ここでオーナーが執着していた『ライター』を手元におくことで。

 ここでの暮らしを忘れないでくれと、いつか帰ってきてくれないかと、あがいてる。



 ―――― その考えをオーナーが看破したかは分からなかった。

 が、オーナーは胸ポケットをさぐってライターを取り出すと、それを俺の手の上に載せた。カギはかわりに胸ポケットにしまわれた。

 ライターは見た目の印象通り軽く。



「じゃーな」



 そして、その持ち主は俺の横を通り過ぎた。














 後ろ姿は見たくなくて彼から背を向けた。
麦わら帽子の男の方に歩いていく姿を見たくなかった。

 変な羊の頭をのっけた船首も見たくないし、その船にのってるだろう船員も、いつもは好きな海も、見たくなかった。



 それは、彼が執着したものだ。










「―――― 俺、三ヶ月目だったんスよ」


 オーナー。

 あんたに会って、三ヶ月。

 そんな笑顔は、初めて見たな・・・・・。







 ただ待つのは嫌いだといったくせに。

 ずっと待ってたんじゃねぇか。









ゆっくり、足を交互に動かしてみる。
ゆっくり、その場から遠ざかった。


遅くなってる船の到着を待って。
皿を仕入れて。
それを店に持って行って今日の仕事は終わりだ。


 明日もまた、苦手なのに早起きで。
店を開けて、下ごしらえして。





「オーナー・・・」

 強く握りすぎて、ギリッと音をたてたライター。
壊すわけにはいかないから、あわてて力をゆるめて指にはさむ。

 年季のはいったライター。



「あ・・・」

 いつも、オーナーの手に持たれていたから、指にかくれて気づかなかったが。


 ライターの表面には、錐かなにかでつけたような細い線が彫られていた。
それを今まで傷だと思っていたんだが・・・。




「・・・・」







また会おう
LからSへ





「・・・・」



「また・・・会おう・・・・か」



 LからSへ






 これは、約束だったんだろうか。
オーナーと・・・・・・あの男の、か?。


 ずっと大事に持っていたライター。
何度もガスを詰め替えて、めんどくさがりのくせにそんな手間かけてまで使い続けたライター。



 こんな漠然として、曖昧な、ひと言のために。



 あの人は待ってたのか。




また会おう
LからSへ





「また・・・会おう・・・・か」






 リズから、オーナー・サンジへ






 どうか、また










 一度だけ海を振り返る。
いつもより、波が青く輝いている気がした。






END

















ルフィ 「で、アイツは誰なんだ?」
サンジ 「うちのコックだけど」
ナミ 「・・・・・(相変わらずの天然鈍感ぶりね・・・サンジくん)」
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 ぶん様のリク「8年後の彼ら」でした。
ありがとうございます〜そして、お待たせしましたっ!!!。
彼らといいつつ、ルフィとサンジしか・・・。
ゾロサンも考えたんですが、長くなりそーなので別の機会にチャレンジしたいと思います
 しかし27歳サンジさんなんて、萌え以外のナニモノでもない・・・・・v。
伊田くると


 ちなみに、「リズ君」のイメージはゾロ似の兄ちゃんというカンジで

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