先生のキモチ
目の前の青年が発した言葉に、イルカは固まってしまった。
「オレ、今度暗部に所属になりました」
五年前、教師になりたてだったイルカにとって最初の卒業生が、急にアカデミーを訪れた。
報告したいことがあるから、という彼に、仕事がひけるのを待ってもらって、学校近くの定食屋へ。
注文が届いて、さあ食べ始めよう、というその時に、彼はなんでもないことのように告げた。
「・・・イルカ先生?」
持ったハシを割らないままリアクションのない元担任に、青年が気まずそうに声をかける。
イルカは慌てて、
「あ、そう、なのか」
とりあえず答えたが、やはり続く言葉がみつからなかった。
青年は、イルカと同じ深緑のジャケットを着用している。中忍以上の証であるそのジャケットを着て彼がイルカのもとを訪れたのは三年前のことだ。
下忍になって、若干二回目の受験で中忍に合格したと、新品のジャケット姿を披露しにきてくれた。
アカデミー在籍の頃から群を抜いた素養を持っていた彼のスピード出世ぶりを、イルカも期待して見守っていたのだが。
「上忍試験を受けるのに、暗部での実績があると有利ですから」
以前の教官に薦められたのだという。イルカは思わず眉をひそめた。
―――まだ十代なのに。
青年というより、少年と呼んでいいくらいなのだ。いくら実力主義の忍の世界とはいえ・・・。
暗殺戦術特殊部隊、通称暗部。
言葉の通り、人殺し専門の部隊である。
現在上忍として活躍している忍の多くが暗部経験があるのは確かで、イルカの旧知のカカシ上忍もその例だが、やはり釈然としないものを感じた。
互いの近況などを聞きながらの食事が終わった後、彼は生徒だった時と変わらない笑顔で言った。
「今度報告に行く時は、上忍になってますから」
――― そんなの、どうでもいいよ。
ムリするなよ。
オレにとっては、おまえが元気でやってることの方がずっと・・・。
別れ際、彼はもう一度照れくさそうに笑った。
笑った拍子に、長めの前髪の隙間から、五年前と違い うっすら残った刀傷が見えて、また複雑な気持ちになった。
青年と別れて、自宅へと帰路を行く途中、
「イルカせーんせっ!」
後ろから、がばっと抱きつかれた。
「・・・カカシ先生、離してください」
首の前にまわされた腕をほどいて、背後にいるカカシを振り返る。
いつも通り、額あてと覆面でカオのほとんどを覆い隠した男が嬉しげに立っていた。
「ぐーぜんですねーっvv、会いたいときに会えるなんて、やっぱりこれは運命ってヤツですかねー」
「オレになにか用事でもありましたか?」
真顔で尋ねられ、今日のアプローチも気づかれてない・・・と内心涙するカカシである。
「用なんかなくても会いたいんですよ!!。今日はイルカ先生任務受付所にもいないし・・・」
「今日は一日授業だったんで・・・カカシ先生 !」
急に声をあげるイルカ。
その目はカカシの右肩口に向けられていた。
もうかわいているが、血に染まっているのは一目瞭然だった。
「あ、だいじょーぶですよ、オレの血じゃないんで」
心配してもらって嬉しいカカシがにこにこ笑って答えると、イルカは反対につらそうに目を伏せた。
――― そういえば、今日はカカシ先生は別任務だったんだよな・・・。
任務一覧表を思い出し、イルカは納得した。
下忍を担当している教官は、しばらくはその下忍につきっきりで指導することになるので、Aランクの任務からは遠ざかる。普段、死線をくぐっている忍者を休ませるイミも含まれているのだが、任務の都合によっては、かりだされることもしばしばあるのだ。
まして上忍の中でもぬきんでた能力で、写輪眼の持ち主でもあるカカシの力が必要になってしまうのは当然といえるのだが。
「・・・そうですか、それは良かったです」
カカシがケガをしていないのは確かに嬉しかった。でも、今日は素直に喜べない。
「イルカ先生は元気がないですね。なにかありましたか?」
「・・・!」
自分はそんなに顔にでるのだろうか。あっさり言い当てられて、少し恥ずかしくなる。
黙り込んだイルカに、カカシは優しい声で言った。
「ウチ、来ます?」
「え?」
「おいしー酒があるんですよ。よかったら」
―――オレと一緒に飲んでください。
突然の誘いに少しためらったイルカだが、こんな気分のまま自宅にひとりでいても滅入るだけかな、と思い直し、誘いを受けることにした。
カカシの家を訪れるのは初めてだった。
ひとり暮らしと聞いていたが、ひとりで暮らすには大きい間取りに、やっぱり上忍ってのは高給なんだなあ、とヘンなことに納得する。
しかし、より広く見えるのは、生活感がないせいだろう。
本当に必要最低限のものしか置かれていない。
通された部屋から台所が見えるが、食器のあまりの少なさと使われていない様子に、ホントに住んでるのかな、とフシギになるほどだ。
来る途中に買ったつまみと酒をテーブルに置いて、ささやかな酒宴が始まったのだが・・・。
「へー、元教え子とまだつきあいあるなんてスゴイですねー」
オレは担任に会いに行ったりなんかしたコトないなあ、と、血に染まった服から私服に着替えて、覆面をとった姿のカカシが感心する。
「でもオレもイルカ先生が担任だったら、卒業しても毎日挨拶しに行きますよ!!」
あいかわらずの冗談ばかりの上忍に、イルカも苦笑する。
――― こんなコト、しゃべるつもりじゃなかったんだけどな・・・。
酒の勢い以上に、聞き上手なカカシのせい。
「中忍試験に合格したときも来てくれてました。でも、今回は・・・」
話を聞いたカカシも、少し気の毒そうにうなずく。
「暗部ですか・・・なるほどそりゃ心配ですね」
「オレは所属したことないので、あまり知らないんですけど、正直、やめて欲しいと言いたかったです。暗部は、里にとって必要な部分だって分かってます。誰かがやらなきゃいけないことですし・・・」
言いつのるイルカを、冷たい声が遮った。
「そうですかね。確かに、殺さなければ解決しない事件も、そんな悪人だっているでしょう。でも、任務はそんな大義名分のないものが多いですよ。ただ憎いから殺してほしい。金つんで自分の私怨をはらそうってのがほとんどです」
「・・・・・・」
カカシも暗部出身なのだ。あの青年よりずっと若い時から。
「金のためにヒトを殺す。それが当然になってくる。暗部に長くいる人間は、多かれ少なかれ、麻痺してきます。一瞬のためらいもなくターゲットを抹殺できる、というのは忍にとって必須条件ですが、上忍への足がかりとして暗部に行こうとしてるような子供につとまるかどうか」
つとまるだろう。能力は申し分ない。カカシが言っているのは別のことだ。
イルカはそれに気づいて、目の前の、いくら飲んでもまるで顔色の変わらない上忍をみつめた。
「カカシ先生も麻痺したんですか?」
―――オレには、あなたがヒトを殺すところなんか想像できないです。
「優しいところしか見たことないから・・・」
「麻痺してましたよ、あの頃は。ヒトの命にも、自分の命にも」
任務受付所に行くのが苦痛だったのが最初。渡される任務は、全て暗殺。
初めて見た相手を殺すのに、疑問を感じたのも最初のうちだけ。
習慣にかわると、自分以外の血が身体にこびりつくのも、どうでもよくなってくる。
眉ひとつ動かさずにヒトを殺す。
ああこれが忍なんだな、と無感動に考えていた。
「・・・すみません。なんか、イルカ先生を余計不安にさせることを言ってしまいましたね」
カカシの言葉に、イルカは力なく微笑んで目を伏せた。
「・・・オレは、あの子が上忍にならなくても、暗部で腕を磨かなくても、・・・無事でいてくれるのが何より嬉しいです。カカシ先生が任務に成功することより、無事に帰ってきてくれるほうが嬉しいです。自分の命も、できるなら他人の命も、大切に思ってほしいです。オレは・・・忍失格ですね」
情にとらわれず、何より任務を優先に・・・、アカデミーではそう教えているクセに。
「生徒たちを合格させたくないなんて考えてしまうこともあるんです。子供たちを死地に追いやってしまうような気がして・・・。実際に、下忍になってひどいケガを負ったり、・・・任務中に殉職した子もたくさんいます」
――― 落第続きでも、ずっとアカデミーにいればいい。
忍者になんかならないで、もっと別の生き方を・・・。
そうすれば、こんなに早く死ぬこともなかったのに。
――― あんなに優しい顔で笑ってくれたあの子が、オレになついてくれたあの子が、人殺しをするようになるなんて。
「・・・すみませんカカシ先生・・・オレ、・・・」
上忍にする話ではなかった。酔いも手伝ったとはいえ軽はずみな言動をしたことに気づいて、イルカは申し訳なく頭を下げた。
「忘れてください」
「忘れませんよ」
小さいテーブルの向こうでグラスをかたむけていたカカシが、にっこり笑った。
普段顔を隠しているので、その笑顔はやけに新鮮にうつる。
――― この人はこんな優しい顔をするのか・・・とイルカは気づく。
「その子にも、伝えてあげればいいじゃないですか。先生のキモチを」
カカシは空のグラスを置いて、テーブルに肘をつく。自然顔の距離が近くなるので、端整な容姿がよく見えた。
思わずどきりとする。
「キモチ・・・ですか?」
「そうすれば、暗部にいたって大丈夫ですよ」
「これから暗部にいくアイツに、人殺ししないで欲しいなんて、言えるワケが・・・」
「そうじゃなくて」
察しの悪いイルカに、カカシはちょっとあきれたカオで左手をふった。
「さっき言ったでしょう。暗部にいると麻痺してくるって。それにストップをかける一番大きい力は、優しい心だと思うんですよね」
暗部にいると、麻痺してしまう。人を殺すことに慣れて、それが当然になっていってしまう・・・カカシの先刻のセリフ。経験者の発言だけに、それは重いリアリティをもっていて。
「自分を心配してくれるヒトがいること。自分の無事を祈ってるヒトがいること。自分を殺人機械にさせたくないと思ってくれるヒト。そーゆーヒトが近くにいてくれたら、人間味ってなくせなくなります」
「・・・・」
「任務はこなさなきゃなりませんが、自分の命を大事にできるヤツは生き延びますし、相手の命もモノだとは思わなくなります。暗部にいても、任務の後に黙祷(もくとう)する忍だっています。忍としてじゃなく、自分ってヤツを気にかけてくれるヒトって、それだけ大事なんですよ。イルカ先生」
「・・・・」
イルカは顔を伏せた。泣きたくなった。
――― なんて優しい言葉をくれるヒトだろう。
――― このヒトは、オレなんかよりずっとツラい任務も、人の死も見てきたはずだ。
――― オレの言ってることなんて、甘えにしか思えないだろう。
それなのに・・・。
「ありがとうございます」
「オレもイルカ先生の生徒だったら、こんなに心配してもらえたのに。いーですね生徒たちは」
泣くのをこらえてるイルカに気づかないフリで、カカシはいつもの冗談で場をかえてくれた。
――― ほんとに、優しいヒトですね。
最初に会った時から、知ってましたけど。
カカシの方は冗談でなく本心なのだが、そこには相変わらず気づいていないようだ。
イルカは笑って、ようやく顔をあげた。まっすぐにカカシをみつめる。
「オレの生徒じゃないですけど、カカシ先生のことも考えてますよ」
「・・・え?」
カカシが、驚いて目を丸くした。
「報告書を渡しにいらっしゃる時、いつもホッとしてます」
――― 朝と変わらない笑顔だから。
無事で、帰ってきてくれたから。
「・・・あ、そーですか・・・嬉しいです・・・ちょっと別の言葉を期待しちゃったんですが・・・」
カカシは、なぜかちょっとガッカリした顔で、イルカに聞こえない小声でゴニョゴニョつぶやいたあと、笑ってイルカのグラスに酒を注いだ。
「オレも、あなたがそう思ってくれてる間は麻痺しないでいられそうです」
そして、さ、飲みましょ、とグラスとグラスを軽く合わせた。
――― 酔っ払いすぎて、今夜の会話を忘れなければいいんだけど。
イルカはそう思い、苦笑した。
―――忘れられそうにない。
なみなみと注がれた日本酒に口をつけた。
心地よい冷たさがノドを通り抜けていく。
目の前の上忍も、水のように酒を飲みほしている。
――― 明日、二日酔いになってなかったら、アイツのとこに行ってみますね、カカシ先生。
うまく言えるか分からないけど、オレのキモチ伝えてみます。
オレみたいなおせっかいなヤツのこと、頭の片隅にでも覚えていて欲しいから。
生きてて欲しいって、人間でいて欲しいって思ってる、元担任のこと。
心が麻痺しそうな時に、どうか思い出して。
END
カカシ 「いいよなぁイルカ先生の生徒ってさー。そいや教師って、よく生徒とくっついたりしないか?。心配だーっ」
なんかカカシ先生いいヒト・・・。
アカデミーって、ホント子供が多かったので、センセーとしちゃあ心配じゃなかろーかと書いてみました。 by.伊田くると