ひさしぶりの休日。今日は土曜日。
なんとなく寮にいたくなかった俺は ぶらぶらと外へ出て、当たり前だが休日の人の多さに閉口し、結局、太陽がもっとも高い時間からずっとそこにいた。
駅の近くにある、狭苦しい児童公園のベンチだ。
硬いそれに身を預け、周りからおそらく『態度悪い』と思われそうな (余計なお世話だ)
行儀のよろしくない足の組み方をして。
買ったばかりの参考書を読んでいた。
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T-ing
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人生の岐路というのを尋ねたら、たいていの人間があげるのが、受験・就職・結婚だろう。そういう意味で、確かに俺はターニングポイントを迎えていた。いや、迎えつつあった。
―――― 高校三年生。
周囲から『受験生』と呼ばれ気を遣われる学年だ。
中学三年の時は気にもしなかったその言葉が最近やけに耳につく。
それもそのはずで、エスカレーター式の私立校に通っている俺にとって、中学から高校は平らな道で連続していた。
制服を新しくしたり、ネクタイの柄が変わったことぐらいでしか意識していない。まわりの連中も
(成績がかなり底辺のヤツ以外は) そうだろう。
が、武蔵森学園は高校までの六年制。
高校三年。ここがようやくの進路決定地点になる。
進路希望表。
志望校記入アンケート。
実力テスト。成績判定表。
二者面談。三者面談。
OB訪問。
受験だの進路だの大学だの成績だの、春のうちから やかましい。こんなのが一年も続くのか、とうんざりする。
三年前の自分には想像もつかなかった。でも、これからはそんな毎日、そんな日常が始まるのかもしれない。
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『あーあ、全部判定Dだぜ。こんなの見られたら勘当されちまう。って親になんか見せねーけど』
『俺も。寮暮らしだとそこがいーよな』
『バーカ、今隠しても三者面談の時担任がコピー出すぜ。よけー怒られるって』
一ヶ月ほど前にやった予備校主催の全国参加統一テストの結果が返ってきたのが、昨日。
HR後の教室はやかましく、みんながみんな結果を嘆いていた。順位より科目の得点より、やはり志望校合格判定に話題が集中している。
まぁ、どんなひどい評定でも、大して深刻そうじゃない。秋になれば変わってくるんだろうが、まだ俺たちに受験は遠かった。
『三上、どうだったよ』
『フツー』
適当に答えたら、納得できなかったらしいクラスメートにバッと用紙を奪われた。
そのまま、しげしげと眺められる。かわりにコイツの試験結果を知る権利が俺にはあるはずだったが、興味がわかなかったので何もしなかった。
『げっ、お前意外とできんだな』
『意外で悪いか』
『いや、お前スポーツ組だからよ』
―――― ああ、そういう意味ね。
私立校によくある風潮なんだろうが、ここ武蔵森にも入学時一般入試組とスポーツ推薦組には ちょっとした壁があった。
早く言うと成績の壁だ。
スポーツ推薦者なら成績の不振は大目にみてもらえるし (FWのエース・藤代がいい例だ)、やはり高倍率の試験をくぐりぬけて入ってきたヤツに比べ全体的に成績は悪い。ま、別の方面で好成績をあげればいいだけだからな。
『それにしたってお前、テキトーに大学書いてんだろー。九州じゃねぇかよココ。あっ、大阪も書いてやがる』
騒ぐそいつに便乗して、ほかのヤツらも俺の試験結果に目をやる。オイオイ、誰が見ていいっつったんだよ。
『ハハッ、日本縦断じゃん。テキトーすぎだー』
そういえば。
確かにそうだ。国公立私立あわせて8大学ほど判定希望校を記入するスペースがあって
(そんなにたくさん志望してんのか?、みんな)、メンドくなったが時間があまったんで全国各地でうめてみたんだった。
大学の知識自体ないから、レベルなんかも よほど有名なところじゃないと分からない。そーいう所が入試組とスポーツ推薦組の違いなんだろうな。
他人の成績拝むのに飽きてくれたか、まわりまわった用紙がようやく持ち主の俺に戻ってくる。乱暴にそれをカバンにつっこんだ。
もう行かねーと。部活に遅れる。バッグを肩にかけ歩き出す。
『まぁいいよな三上は。サッカーで どこでもいけるもんな』
背中に聞こえたそれは、賛辞だったかやっかみだったか、羨望だったかイヤミだったか、俺には分からないし
どうでもよかったが。
『・・・・・・・・・・・・・・・』
なぜか、胸が痛んだ。
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「・・・タバコの吸いすぎかね」
昨日の痛みを思い出し、俺はつぶやいてみた。
俺の右手には 今も白い紙で丸められた身体に有害な細い棒がある。
始めたのは確か・・・中三くらいだったか?。いつの間にか手になじんだその感触。大きさ。重さ。足になじんだサッカーボールのように。
参考書のページはいつの間にか進んでいて、もう後半。序盤はかなり集中していたので、気づけばこんなに、という感じだ。
英文法の読解のテキストだった。俺は分類するとまぎれもなく理系だから、英語の、中でも長文が苦手だった。
休日に本屋行って、苦手分野の参考書買って、授業中もめったにかけないメガネかけて、ひとりで黙々と読みふけって。
「・・・・・・・・・」
これって、なんだろうな。
自嘲する。
タバコの煙がよく晴れた空にのぼっていった。太陽の位置がだいぶ変わっている。きっともう、三時過ぎくらい。
ま、残りもあと一章だし読んじまうか、と灰皿がわりにしてる空き缶に灰を落とし、くわえタバコでまた本に目を落とした。
そこに、
「よせよ」
ふいに、上からかかる涼しい声。
英文と解説がズラッと並んでいるページに影が落ちて。
同時に、視界に使いこまれたスニーカーのつま先が入り。
そして、考えるより先に その声の主が分かってしまう自分に、驚いて。
見上げるとやっぱり。
フレーム越しに、何年たっても「生意気そう」という印象のぬけない容貌の、水野竜也がそこにいた。
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「桐原じゃん」
「水野」
数年前からずっと繰り返してる応酬。こいつと会うとき、つい開口一番それを口にしてしまう。
最初は過剰なぐらい怒ってたコイツだが、そのうち慣れたのか、軽い訂正だけで済ませるようになった。あまり怒らなくなったからつい、俺もやめずに繰り返す。
だから、アイサツみたいなもんだろう、きっと。
「よせって」
水野竜也は、整った眉をひそめて言う。
『桐原』と呼んだことではないようだ。
たしなめられている。
そんな口調に、本当に意味がわからず見返すと、ため息ついて指さされた。
「タバコ」
「・・・」
ああ、タバコですか、なるほど。
俺の顔を指差してるみたいだが、水野の注意は口元のタバコに向いていた。もう半分ほどの短さになっている。
ひさしぶりに会ったとたん、いきなり注意ってコイツ――――
そうあきれて、同時に日数を思い返して。
―――― げ、二年ぶりくらいじゃねーか。
本当に久しぶりもいいところだった。
最後に会ったのは、藤代と一緒に連れ立って武蔵森にやってきた時。連れ立ってじゃなく、プレイ同様私生活でも強引な藤代に連れて来られてたみたいだっだが。
連中はU-15の合宿の帰りだった。
その時、あいかわらず例の『アイサツ』を交わした覚えがある。
その後も、何度かテレビや雑誌でみかけたとはいえ、今日までに二年がたっていた。
タバコのせいか、水野の機嫌はあまりよろしくなかった。眉をひそめたまま俺を見下ろしている。
シャツとジーンズという軽装だったが、背がいくらか伸びたかな、というのは分かった。厚みはあまり変わってないが。それは体質なのかもしれない。
こんな細っこくて、大人連中とプレイして吹っ飛ばされたりしないのかね?、と不思議になる。ああそーいや、こないだ見事にひっかけられてたっけ
(相手はイエローくらってたが)。ざまーみろ。
「やめろって」
まだタバコをくわえたまま そんなことを考えてた俺に、水野は実際以上に冷たく見える茶色の目で俺を見た。
「あんた、サッカー選手だろ」
「・・・・・・」
胸が痛い。
昨日と同じ痛みだ。
―――― これって、なんだろうな。
人生の岐路というのを尋ねたら、たいていの人間があげるのが、受験・就職・結婚だろう。
でも俺にとっての岐路は、きっと――――
目の前の、おキレイなお坊ちゃんだ。
「・・・・・・・・俺はカミサマってのは信じてねぇんだけど」
結局タバコはそのままに、俺は軽い口調で話しかけてみた。
「・・・・?」
水野はやっぱり怪訝そうな顔。
そういえば、世間話もしたことないんだよな、俺ら。
だから、ひさしぶりとか元気かとか、そーゆー『友人』だったら当たり前のやりとりもすっとばしてしまうんだろう。
「まーこーゆー日もあんのかな」
そろそろ決めなさいよ、って。
誰かが、俺に言ってんだろうな。
それをカミサマというのか運命というのか、または偶然というのか。
―――― なぁ、水野。
お前自身は知らないだろうし、一度もそんな風に考えたことないんだろうが。
お前は、俺にとってターニング・ポイントだ。
昨日の、クラスメートの言葉とか。
今日、休日だってのにメガネかけちゃって参考書買って読んじゃったりなんかして。英文法のしくみを、頭に入れようとしちゃってて。
そんな日に、一体どんないきさつか知らんがコイツがココにやってきて、出くわしてしまって(何しに来たんだよコイツ?)。
「・・・こーゆー日も、あるんだな」
お前は、俺のターニングポイントだった。
サッカーを選ぶか、否か。
実に冷酷に俺につきつけた。
遅かれ早かれ、いつかぶつかっていたんだろう、分岐点。
中学から高校へ進む道は俺にとっては平坦で、選択する必要も努力する必要も、悩む必要もなかったが。
サッカーは。
三年前から、こいつと会ってから。ずっと選択地点に俺はいた。
今さら気づく。
ターニングポイントに立ってたのに。
選ぶのをずるずると後に回していた。
武蔵森で、中学・高校とずっと10番を占有してた男なんて、俺ぐらいだ。
スポーツ推薦で大学に行けるのも間違いない。
でも――――。
「・・・何言ってっか分かんねぇんだけど」
水野は肩をすくめた。
まあ、分かるように話してやってないからムリはない。つーか、分からせる気はねぇし。
しかし、短気を起こしてすぐ立ち去ろうとはせず(少しは気が長くなったのかな、コイツ)、ちらっと考えるそぶりを見せた後、水野は俺の隣に座った。
他人から見たら知り合いとはちょっと思わないくらい、間をあけて。それがすごくヤツらしくて、いや俺たちらしくて、笑いたくなる。
水野の目が俺の参考書にいった。
「勉強中だったのか」
そういや、メガネかけてるもんな、と納得される。
そーだよ、試合中はずっとコンタクトだったんだ。危ないし、ヘディングできねぇし、第一フレームが邪魔で視界悪ぃし。
「おべんきょー中だ」
もう読んじゃいないが、厚い参考書を一枚めくって見せた。ペラリ、なんて軽い音。
――――スポーツ推薦の話はくる。現に、正式じゃないものの有名大学からもう打診されてる。
でも、今日なぜか参考書を買った。勉強しなきゃいけないような気になってる。ちょっと前まで、志望校欄を全国各地、テキトーに書き入れてた俺なのに。
―――― 限界の見えたサッカー。
それを続けるのが、苦痛になってきているのか?。
「・・・・・・」
きっとそうなんだろう。
上はある。それは知っていた。そこに届かないことがあるということを、知っていたけど長いこと実感はできなかった。
―――― そろそろ、やめにするか。
ずるずる続けてきて、それなりの結果を出してきたけど。
目を落とす。
You are reckless to drive at such・・・・・・・
大した意味もない、けどキレイに印字された英文が映る。
字面を目で追っていくと、簡単に訳せた。
サッカー、してたけど。
ずっと、してるけど。
そろそろ、やめかな。
「やめろよ」
俺の想いとリンクしたみたいに、水野の声。
驚いてバッと顔をあげ、横の水野を見る。
俺の反応にヤツはたじろいで少し後ろにひいたが、すぐにまっすぐ俺を見返し、言った。
「やめろよ、タバコ」
「あんた、サッカー選手だろ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だな」
返事をするまでに間があった。
その間に俺の考えてたことなんて、このお坊ちゃんは一生分からないんだろう。でも、分からなくていい。できれば一生、そんな想いと無縁でいるといい。
水野が現れてから そういえば吸わずにふかしたままのタバコを缶の中につっこんだ。
中に残ってたコーヒーが、オレンジの炎を消す音がかすかにした。
水野が満足そうに薄い唇を笑みの形にする。
―――― そうだ、分からなくていい。できれば一生、こんな想いと無縁でいるといい。
「この前の試合、テレビ見てやったぞ」
アホなパスミスしてたな、またチームとコミュニケートできてねぇの?。
参考書を閉じながらそう言ってやった。
もう、胸は痛まなかった。
END
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