御剣の恋人・狼士龍は西鳳民国の生まれの人だ。
当然言葉が違うので、基本は共通語である英語でコミュニケートする。
互いに少しずつ相手の言葉を覚えてきているので、最近はちょいちょいと3か国語がミックスされたチャンポン状態だ。まあ、9割ほど英語だが。
御剣は、いやたぶん相手もこっそりと努力しているので、いつかはカタコトでも相手の国の言葉で語り、笑える日もくるだろう・・・と思っている。
読みならもうかなりマスターできているのだけれど。
手紙
話は変わるが、御剣の自宅はかつては文字通り彼しかいない彼だけの部屋だった。
が、15年ぶりに再会した昔なじみふたりとその連れ、己の部下などが訪れるようになったこの頃。以前では考えられないにぎやかさ・・・もとい騒がしさにも慣れてきた。彼らのほかに、もちろんたまには恋人だって訪れるし。
そういった来訪を、彼はひそかにとても楽しみにしている。
といっても、仕事に関するものは気を使うがそれ以外はズボラな、というか家では基本ぼんやりしている御剣は、友人が来るからといって掃除や迎え入れる準備をすることはなかった。
もともと散らかっているわけではないし、とびきりの紅茶とそれに合う菓子は常備しているので、アポなしで来られても困らないのだ。
もちろん酒類も。
御剣の恋人も酒好きだし、幼なじみ達もそうだからだ。
その日は成歩堂がひとりふいっとやって来た。
仕事のついでで、御剣の家の近くまで来たので寄ったという。
今日はもう終わりなので、夕食を食べに行かないか、と誘いに訪れた男をそのまま部屋にあげて、準備してくる、と御剣は寝室へ向かうことにした。
休みだったのを理由に、そんな時間までパジャマのままだったからだ。というか出かけなければ一日そうだった。
完璧をよしとするのは家の外でだけらしいね、とそんな姿を見た友人は以前からかって笑った。
そしていつもいつもヒラヒラテキパキキリキリでは疲れるもんな。なんて勝手に納得されたので、成歩堂が言うならそうなのだろうな、と御剣もまた納得した。
確かに御剣は家ではアメーバみたいにへろーんとしているし、髪も服も起き抜けのままなので、オンオフの非常にはっきりした男といえた。自覚はあるけれど、気の置けない友人に笑われても直せないくらいの習性になってしまっている。狩魔の邸宅にいた頃はもちろんそうではなかったけれど。
普段よりいくぶんラフなシャツとパンツに着替えた御剣は、そういえばと思い出した。顔を洗わねば。もちろん洗っていなかったからだ。
寝室を出て洗面所に行こうと一度リビングに戻ると、来客・成歩堂は座りもせずにテーブルのそばにぼうっとつっ立ったままだった。
目は下方、テーブルの一点に落ちて固定されている。
どうしたのかと声をかけようとすると、
「子供の字かな」
成歩堂がつぶやいた。
「何を言ってる?」
大股に歩いて近寄る。と、御剣はテーブルの上に置きっぱなしにしていたものに気づいた。
―――― ロウからの手紙だ。
衛星電話があるからどこにいたって連絡がとれないことはほぼないのだが、ロウは時々ハガキや手紙をくれることがある。
たぶんその昔、音信不通になった御剣に成歩堂がたくさん手紙をくれたことに対抗心を持っているのだろうと推測していた。それかその手紙を後生大事に持っている御剣にかも。
仕方ない男だ、なんてあきれて見せて。
が、ポストに見知らぬ国からのエアメールを見つけると、なんだか嬉しいので実は一向にかまわないのだ。というか本当はとても楽しみにしているので。
休日前の昨日、なんとか仕事をまとめ終え、夜遅くに帰宅した御剣はポストにカラフルな封筒を発見し、さっそく部屋の明かりをつけ、上着も脱がずにすぐ、テーブルの上で封を切った。
そして、今遠い南国にいるというロウからの手紙を読んだ。
文面は英語オンリーで、報告書など仕事でも多用するため、彼らしくないと思ってしまうほどきれいな言葉遣い。
自分もそうなので、第二言語というのはそういうものかもしれない。
読んで、もう一度頭から読み直し、返事はメールでしようかと考えながら寝た。
起きてすぐ、また最初から読んだ。
だからそのままテーブルに置きっぱなしだった。
成歩堂はそれをみている。
気づいたが、御剣はさほどあわてなかった。恋人からの手紙は英語だったからだ。
しかも冒頭は当たり障りない――――今どうしてるとかどこにいるとか、暑いとか食べ物はどうだとか――――そういったものだ。
来客に全文すぐに読み解かれるものでもなし――――だが、ひとつ『ムジュン』がある。
おかしい。
御剣は気づいた。
成歩堂はロウからの手紙を見ている。
人の手紙を見るのもどうかと思うが、出しっぱなしにしていた己も悪い。友人はいつもリビングの椅子かソファに落ち着くのが常なのだから。
だからそれはいいのだが。
成歩堂の言った言葉――――
「子供の字かな」
どういうことだろうか。
ロウの字はヘタではない。
英文にいたっては非常に明瞭だ。
『子供』な要素など、どこにもないはずだが。
成歩堂の隣まで歩み寄った御剣は、
「!!!」
そこで、一瞬にして、謎が解けてしまった。
確かに、子供の字だった。
便箋の裏に、非常にたどたどしい、曲がり方が微妙な、ときに曲がり過ぎなひらがなの文字が踊っている。
「あ」と「る」と「み」がとくに・・・なんというか・・・・ヘタだ。
決して器用な方ではない自分が左手で書いてもこうはならなそうだ。と御剣は分もわきまえず失礼なことを思った。
「<みつるぎ>、<あいしてる>。だよね。ハハ。ごめん、あんまり大きい字だからつい見ちゃったよ。子供なのにマセてるなあ〜」
「ハハハハハ」
成歩堂の言葉に、笑うしかない。
怒りたいような、声をあげて笑いたいような、なんだか泣きたいような。
彼も、そうなんだ、と。すごく、わかってしまったからだ。
御剣は、ずっと。
いつか、彼の言葉でしゃべりたいと思っていた。彼の言葉で手紙を書けたらと思っていた。
仕事の手間隙で少しずつ西鳳民国の言葉を覚えようと、入門書などを買い込んでいた。ふたりの言葉は違う。育った国も違う。生まれた場所も違う。お互いに外国語で、共通の英語でコミュニケートするしかない。
それがストレスだったわけではない。不自由ないくらいに英語力はある。ただ少し――――不満とも違う、寂しさがあった。
互いに言いたいことがうまく英訳できずに言葉を重ねたり、互いに努力してその差を埋めてきた。
ふたりが、たとえば今目の前にいる友人のように自然に、同じ言葉で同じニュアンスで同時に理解しあえる、そんな会話はできないのだ。
「この子御剣のこと、好きなんだなあ・・・。上手じゃないけど、一生懸命!て感じだよ」
成歩堂は黙ってしまった御剣を、からかうでもなく優しい目で見て、また便箋に視線を落とした。
御剣と一緒に、たどたどしい、そのくせ伸びるところが伸びすぎて大胆な字を目で追う。
「うム・・」
その字のひとつひとつ。
ロウが、あのロウが書いたのだと思うと、とても嬉しくて、言葉にならない。
遠い国にいる男が、必死になって、御剣に。
漢字なら彼の母国語と似通っているから、もう少し書きやすかったはずだろうが。びんせんの裏にこっそりと(いや、こっそりという大きさでもないが)
あえて、日本独自の<ひらがな>で自分の名を書いてくれたのだと思うと。こういう気持ちを、なんというのだろう。
「御剣、幸せそうだね」
声に慌てて顔をあげると、友人はいつの間にか手紙でなく御剣をじっと見つめていて。
そういう成歩堂こそ、はにかんだような優しい目をしていて、気恥ずかしい思いにかられる。
ロウのことは、友人には伝えていない。
もう一人の幼なじみ・矢張とは面識があるのだが、成歩堂とは会ったことがないのだ。
元々日本の滞在時間も少ないし、仕方ないと言えばそうなのだが。成歩堂に引き合わせたら、すべてバレてしまいそうで、怖いというのもあるのだった。
この男はなんでも、御剣のことをわかってしまうから。御剣も信じなかった御剣自身を信じてくれて、ただひとつの真実をくれたから。だから自分も、犯罪者を追及するために手段を選ばない冷酷な検事から変われたのだ。そして、その姿勢を認めてくれた恋人も(当時は恋人ではなかったが)最後には自分を信じてくれた。
「御剣も、好きなの?」
「・・・・・・・ム」
「ムじゃわかんないよ」
成歩堂は笑った。わかんないよと言うのはウソで、口に出せない御剣の気持ちも、やはりわかってしまっているようだった。
その友人がきゅっと眉をひそめたので、御剣はどきっとした。
「うーん。でもね御剣」
「・・・なんだろうか」
「この子・・・春美ちゃんくらいかな?。好きなのはいいけど、成人するまで手は出しちゃダメだよ?」
「・・・・!!」
わ、わかってない!!。
過信がすぎて、御剣はショックを受けた。
しんみりしていたのに!。
遠い恋人と、近くにいる友人を思って、しんみりしていたのに!!。
あの幼女くらいなわけないだろう!?。
怒った御剣はぷいっとそっぽをむいた。
その背中に、
「ごめん!。成人は言い過ぎだよね。じゃあ18才くらいならいいかな?」
もっとわかってない発言がかぶさって、御剣の親友への信頼度はけっこう下がった。
end
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