巡回の途中、いや、巡回をサボっていつもの昼寝場所へ向かっていた途中、彼を見かけた。

 大江戸ストアの袋を右手にひとつ左手にふたつもぶら下げ、ついでに腰に くたびれた木刀もぶら下げ歩いている。


「旦那」


 声かけて小走りに近寄ると、いつもの眠そうな顔した万事屋の主人は振り向いて「よぉ」と挨拶を返してすぐ、袋をふたつ、どかりと俺に押し付けた。

「よろしく〜」
 一気に身軽になって、嬉しそうに空いた方の腕を回して笑う。

 ほかのヤロウなら その場で裏拳を見舞う所だけれど、この人は別だ。そのまま持ってやり、彼の隣をついて行くことにする。

 今日は ほんと昼寝日和だったのだが。やっぱりこの人は別なので。




「ずいぶん買い込みましたねィ」
 のぞいたビニール袋の中は、キャベツだのジャガイモだのがごろんごろん入っている。
袋の持ち手がやぶけそうだ。

「神楽のメシだよ。昼と、夜と、運良く残れば明日の朝か」

 野菜が多い。

「あいつ、ほっとくとさァ、ふりかけごはんとか 卵かけごはんとか、梅干しごはんとか・・・とにかく ごはんしか食わねーからよォ」

 子供のように口をとがらせ、ぶつぶつ止まらない文句。

 ―――― あァ、なるほど。
 思う。

 チャイナ娘は、旦那が一ヶ月ほど前に家を出たことで、今はひとり暮らしなのだった。

 以前ふたりに会ったときは、
「ちゃんと自炊するから心配すんなヨ !」
 とか えらそーにナイ胸をはっていたのだが。

 ヤツに人らしい生活などムリであろう。やる前からそう考えていた俺はなんて慧眼なんだ。神か。夜神月か。

「沖田くんもさぁ、ちょくちょく様子見てくれるって言ったクセに・・・」
 愚痴がこっちにまで回ってきた。うらみがましく にらまれる。

 様子を見てやる、ではない。ときどき様子を見てあげてね、と 前に旦那が頼んできたのに、それを俺が さも申し出たようにすりかえてるのがおかしかった。

 しかも「ちょくちょく」とか変わってるし。


「冷蔵庫のさ、しょうがとか腐ってたんだよ、まあな、あいつに しょうが使うような料理はムリだろうけどさ」


「ホントだめだわ、あれは。ごはんごはんごはん。白米食ってばっかでなんだっけ、そういう病気になるよなあ?」

 止まらない文句。そんなに言うわりに、あの娘のためにこの人は。
栄養を考えた、野菜多めの献立をたくさん、用意してやるのだろう。

 こうやって あふれるほどの愛たっぷりに甘いから、チャイナも図にのって料理などしなくなるのだ。

「お袋の味が一番ですからねェ」
 からかうつもりで言ってやると、前を見たまま彼が幸せそうに目を細めて笑ったので、ちょっと負けた気分。





 この人は、

 素直になったよな、とつくづく思う。



 心が悲鳴をあげるほどの苦しみがあったのを、俺は知っている。

 強い人だから平気、なんてことはなく。強かろうが不幸に慣れていようが、そういうことでなく、この人は苦しがって、悲しんでいた。それをチャイナ達に見せずにいたのは、やはり強い人なのだろうけれど。


 けれど。そんな時間が終わり。
こぶしを握り下を向いて我慢することも、誤魔化して ムリに平然をよそおい笑うこともなくなって。しなくてよくなって。

 彼は本人の好む食いモンと同じく、ふんわり甘く優しくなった。
砂糖のように、クリームのように。



 彼の作る、玉子焼きのように。















あの、いやつ














 亡き姉は とてもたおやかな、芯の強い、自慢の姉だったが。
あげざるを得ない難点は、『味覚異常』だったろう。
とてつもないものだった。

 とにかく、辛党で。尋常でなく辛党で。
なんでも辛きゃいい、なところがあった。なんて危険思想だ。

 そんなわけで姉の料理はヘタではないがヒドかった。
幼い子供に、一味で真っ赤に色づいた玉子焼きが嬉しいはずがなく。ただ、まあ救いだったのは俺自身 辛いものが苦手ではなかったということくらいか。

 かよわい女手ひとつで俺の面倒をみてくれた姉に文句などあろうはずもなく、油断すると どんどん赤くなる料理を元気に食って俺は育った。

 けれど。
なぜか、玉子焼きだけは未練が残っていた。
姉の目を盗んで台所を使おうとも思ってなかったし、微々たる未練だったのだが。

 卵は白と黄色でできていて、とろとろして、焼くと流し台のスポンジみたいにふわりとするから、もっと違う味じゃないかと、子供心に考えていたのだと思う。

 江戸にのぼり、姉のもとを離れて玉子焼きを食ったのは、なんだか少し罪悪感もあった。
 しょっぱいのが江戸では主流のようだが、幕の内などは甘く、料亭のは ほんのりとしただしの味で上品だったりした。
 これが玉子焼きかと思い、知って、満足し。こんなもんかという思いもあり、そんなで模糊とした俺の玉子焼きへの妙なこだわりはなくなった。

 食べられなくなると、姉の、炎のように真っ赤な玉子焼きが恋しくなったりもした。現金なものだ。

 姉が生前、最後に江戸にやって来たとき、俺は友人として旦那を紹介した。

 俺の年の頃の友人というほど仲むつまじくはないけれど、隊の連中以外で信頼し、興味を持った人であったので、友と呼んで さしつかえないだろう。
旦那は 間に合わせのごまかしに自分が呼ばれたと受け取っていたと思うけれど、そうではないのだ。口にするような自分ではないけど。

 ひとつ付け加えれば、その頃の俺は、殺意を抱く上司と旦那の関係を全く知らなかった。
 もっとも、いつ始まっていたのかも分からないのだが。
旦那は いつから奴を好きだったのだろうか。そして、あいつも。

 もし、当時から、旦那の思いに気づいていたら、ふたりが恋人同士なことを知っていたら、姉に会わせようとはしない。
 さすがに俺も、そう気を遣ってやりたいくらいには、旦那を気に入っているのだ。




 大事な姉が亡くなり、未成年だった俺のかわりに近藤さんが もろもろの死の儀式を執り行ってくれ (もちろん憎いアンチクショーの土方もだろうが、感謝はしない)、俺には式の後、忌引休暇なるものが与えられた。

 武州に行くか?、と近藤さんは尋ねたが、もう俺がそこに残してきたものは何もなく、遺品の整理や家の始末なども まだする気は起きず、どうするかとぼんやり江戸の町を とぼとぼと放浪した末、俺は旦那に拾われた。


 そこで俺は玉子焼きを食ったのだ。

 旦那が作ってくれた玉子焼きは、くるくると幾重にも巻かれ、黄色と白との間のやさしいクリーム色をしていて、表面にだけ すこーし、うすく焼き色がついていた。

 包丁を入れられ、五つに切られた そのひとつひとつが丸みを帯びた長方形で、箸を当てたら形が変わってしまうだろう頼りない やわらかさを感じさせた。
 実際には、箸先で挟むと意外なほどの弾力が返ってきて、巻きの間から じわりといい香りのするだしがにじむ。
 湯気をたてているそれを口に運ぶと。砂糖の甘さと かつおだしが混ざって、とてもとてもおいしかった。

 味噌汁や魚なんかも出されたと思うが、俺が玉子焼きばかり食い続けるので、驚いたような、照れたようなカオした旦那が自分の皿の分を俺にくれたのもよく覚えている。



 ふたりで囲んだ食卓は、姉との故郷の家を追想させた。



 俺を見つめる旦那の優しい目は、姉を思い出させた。



 旦那にもらった玉子焼きを食いながら、俺は初めて泣いた。
姉が死んだって、初めて分かった。なんでだろう。ストン、と理解してしまったのだ。
大泣きに泣きながら、涙もぬぐわず、甘い玉子焼きに涙の味が混ざっても、食い続けた。



 旦那は何も言わず、ずっと そこにいてくれた。







 俺が食べたい玉子焼きはそれだった。

 求めずとも、それを食える、いつも同じ卓につくチャイナがうらやましかった。あれは俺が失ってしまった、家族だった。家族そのもの。血はつながっていなくとも、得がたい家族の温かみだった。

 こんなにも人をうらやむという感情が自分にあるのか。
自分でも驚いた。





 < 姉のように >

 と 言葉にすると違う気がするのだが。

 うまい言い方が見つからない。

 ともあれ。


 旦那は、< 姉のように >、大事な人になった。


 そう慕う相手が、土方を想っていると俺が知ったのは、姉の死から年が変わった頃だった。
 本当に、俺は欲しいものを奴に奪われる宿業なんだとあきれた。

 そして土方が、俺の願ってやまないものを苦もなく手に入れ、またそれを惜しげもなく捨てる男だということを知っていて。


 俺は、どうか早く、奴が彼の手を離してくれることを祈った。






 どうか彼を離してくれ。



 そんなに悲しませるくらいなら、俺にくれ、と。








 忌引休暇の間、俺は旦那とふたりで過ごした。
今は誰とも会いたくない、弱みを見せたくない相手なら なおさらだと分かってくれたのか、万事屋にチャイナや眼鏡が現れることはなかった。

 万事屋も休業していた。客が来なかっただけかもしれない。


 ふたりで いろいろと話をした。
俺も、江戸で近藤さん以外に こんなに俺のことを知ってる人はいないってくらいに俺のことをたくさん話した。
 故郷のこと、家族のこと、姉のこと。近藤さんの道場のこと。剣術のこと。

 旦那も、少し、自分のことを教えてくれた。
彼も田舎育ちで、武州と雰囲気が似ていると言われ嬉しかった。
出生は分からず、親の顔を知らないと。
俺も物心つく前に死に別れたので、同じようなものだが、旦那ははっきりと口にしなかったが、どうやら捨てられたようだった。

 こんなに かわいらしいお方を捨てるなんざ、ひどい仕業だ。
地獄に落ちるってもんだィ。

 その時 俺は思った。



 なのに、捨てられて悲しい思いをしただろう旦那が、また捨てられることを望んだ。


 俺も、とても天国には行けやしない。



 土方もだ。


 深く考えたこともなく、自覚もないままに彼を傷つけ続けた自分の上司。
人を憎むことができなそうな お人好しのかわりに、この俺が呪ってやっていたのだけれど。





「あいつはニブイだけに、俺の呪いが通じないんでさァ」

 ひとり過去を鑑み、突然、なんの流れもなくポンと言ったのに、隣の旦那は なんのことか分かったらしい。
 5年前と違い、もう俺との身長差がなくなって ほぼ同じ高さの彼が俺を見て、笑った。

「そっか、ありがとな、沖田くん」

「ちぇー」
 ホント、幸せそうなんだよな。


 ごめんなさい。
俺はあいつだけでなく、あなたのことも呪っていたのだ。
無意識に、でも深く。

 この人には とても言えないけれど。
あなたの恋が壊れることを確かに期待していた。
そして 願い通りふたりが離れ、いつも通りの態度、けれど憔悴した面差しの彼を見て後悔した。


 別れて欲しかった。
いつか自分を見て欲しかった。

 けど、
あなたを悲しませることを望んだわけじゃない。


 見も知らぬ親との因縁がそうさせたのか、人のためならなんでもするのに、自分のため、恋愛には消極的なところのある人。
 それでも、こうして時間をかけて恋を実らせたのは彼の強さだ。
壊れたものを もう一度たぐりよせてまた形に戻せたのは、彼の強さだ。



今もなお。
この人を、
とても、いとしいと思う。


申し訳なさも、
やまない思慕も、
悔しさも、
姉への思いも、
彼が笑っていることへの嬉しさも、

 いろんな感情が心をめぐる。


 こんな感情が自分にあるなんて。

 本当に、驚いてるのだ。








「俺も恋がしてェなあ」
 両腕の袋をぶんぶんふって、ぴっかんと晴れた空を見上げぼやくと、

「うちのコがいるじゃない」

 どう ? どう ? と、本当は今でも目をはなしたくないんだろうベタ甘に愛を注いでる小娘を にこにこして俺に推そうとしてくるので、ああ ほんとうに片想いってな切ねェもんだね、と笑えてしまった。
 まあ、愛娘と俺がくっついてもいいと思うほど、俺も愛されてはいるのだろうけれど。

 ああでも、いつか、気づいてくれねェかな。そんな、ささやかな願いもこめて、

「あいつが あんたの玉子焼き作れるようになったらね」

 と 答えてやった。


「お前 ほんとに玉子焼き好きだねえ」
 ニブイのはあんたもだよ。そんな普通の反応が、分かってたけど ちょっと悔しい。
 ああ ほんとうに片想いってな切ねェもんだ。

「うちくる?。一緒にメシ食わねーか?。玉子焼きも作ってやるよ」

 どーせ仕事サボってんだろ。
 と誘われて、

「うちってどっちですかい?」
 反撃のつもりで意地悪く聞いてやると、珍しく彼が言葉につまっていい気分。

「万事屋の方だよ !」
 今の流れで分かるだろ、と まだぶつぶつ言う。
耳が赤い。

 姉の玉子焼きより ずっと優しい赤だ。








 ―――― ああ、本当に恋がしたい。


「あいつには、玉子焼き作んねェで下さいね」
「え?、神楽?、なんで」
「いや」











 チャイナじゃなくて。






「早く行きやしょう、俺ハラ減ってきた」





 とりあえず土方はくたばれ。



















銀さんや まわりは沖神推奨だけど、本人たちは その気がないみたいな。そんな関係もいいなと。
銀さんが捨て子なことは、銀さん→沖田くんに話して、沖田くん→土方さん経由で土方さんも知ってます。どうでもいい補足。
しんめりした話にお付き合いありがとうございました。
イダクルト
2010/01/16


モドル