―――― この場所に こうも訪れるようになるとは、我ながら思ってもみなかった。


 前方に視線を固定したまま、グラハム・エーカーは心の中でつぶやいた。









          墓前








 風が くせのある髪をなぶる。
軍事基地の近くではあるものの、環境が配慮された霊園の周囲は緑に囲まれ、空気も すがすがしい。庭師が丁寧に世話をしている牡丹が盛りの花を咲かせている。そこは近隣に住む人々の格好の散歩コースでもあった。

 けれど、今 周囲に彼以外の生きた人間は いなかった。軍人らしい ぴんとのびた姿勢のまま、彼は ぼうっと、はたから見たら無感動そうな面持ちのまま、ただ



 Howard  Mason
2281 - 2308
 




 そう記された文字を眺めていた。

 傷のない、光沢を保ったままの石に、彫られた刻印のあとも まだ新しい。今日のように よく晴れた日は光が反射して、まばゆいほどだった。
 これが、幼い頃苦手だった自分の一族の墓地のように、古び、威厳と しめった貫禄を漂わせるものになるとも、今は思えなかった。

 ―――― なんというか・・・石だ、これは。

 当たり前だけれど。
墓になりきれていない、石。弔われた者の名も享年も彫りこまれて、ここは確かにハワードの、おのれの部下の墓、なのだが。

 そんな気にはなれない。そんな気にさせてくれない。いや、納得はできるのだ。理解しているつもりだ。けれど。

 少量ではあるが、遺骨も納められているというのに。グラハムには、ハワードが ここにいるという気はしなかった。



 ―――― なのに、なぜ私は

 ―――― ここに足を運ぶのだろうか?


「・・・・」
 思考は一巡し、また振り出しに戻った。
ここへ来るときは いつもひとりだ。そして墓の前に突っ立って、たいてい そんなことばかり とりとめもなく思いを さまよわせている。故人を偲ぶ、なんて言葉と遠い自分が滑稽なのに、ないヒマをムリに見つけては ちょくちょく立ち寄ってしまう。
 自分は何をしているんだろうか。自身の心も、行動も、グラハムには分からなかった。



 また風がふいた。
ふと上空を見上げる。青々として雲もない。
 飛行訓練日和だ。そう思った。
と、タイミングよく 聞き慣れた戦闘機の飛行音が耳に届く。肉眼では確認できなかったが、先日別基地から譲り受けた機の試乗だろう。兵士も職員も機器も多く運び込まれている。

 国の威信をかけた基地の復旧は進み、すべてが平常に戻るのも もう近い。非日常は、いつまでも続かないものだ。それができるほど、人は強くないということだろう。


 ―――― 平常。

 殺風景な兵士の詰所。退屈な待ち時間。冷めたコーヒー。訓練。訓練。実戦。

 それが彼の常だ。

 平常は戻る。ただ、失ったものはある。基地にいる人間みんなそうだろう。自分も。自分も。



 ―――― この墓前で、君に誓った。

 視線がまた墓標へ戻った。34日前のことだ。あの日もよく晴れていた。
誓いはかたく、約束をやぶることはない。
グラハム・エーカーがグラハム・エーカーであるかぎり。

 そして自分を慕い、自分とともに戦った大事な部下、ハワードへの別れも、そこで終えたはずなのだ。


 だから、もう来ないわけではないにしろ、こうも ずるずると墓参りしてしまう自分が本当に不可解で。

 彫られた名を眺め、彼の生まれ年と享年をたどり、今日来ようが明後日来ようが、ここはなにも変わり映えしないのに なぜ来たのだろうかと自問する。失ったものは そんなことでは帰ってこない、墓石は墓石で、部下自身ではなく、腑に落ちなくても そこに確かに もう彼は眠っているというのに。

 もどかしい。
亡羊としているようで、この時間は わずかに焦燥も含んでいる。気づきたくなかったが、グラハムは自覚した。知らずに眉が寄る。


「・・・・・」

 ―――― 私は。


 何か言いたいんだろうか。
 何か、やり残していただろうか。
 それとも何か、聞きたかった?。


 もうコミュニケートできない相手に、何かを求めていたのだろうか。



 自分は今、どんな顔をしているんだろう。




 ―――― カタギリなら。


 あの時、まるで迷子の子供を見るように グラハムを見下ろした、あの男には、それが分かるだろうか。




























「グラハム!!!」
「カタギリ!、ケガは?!」

 救助・消火活動が懸命に行われる騒然とした基地の中で、偶然グラハムは技術顧問・カタギリの姿を見つけることができた。
 安全な、自分達にとっての大事なホームは、この日 新型ガンダムによって 大規模な攻撃を受け、壊滅的打撃を被った。

 基地に常駐していたため 安否を気遣っていた友人は、目立つところに いくつも派手にケガを負ってはいたが、見た限り重篤なものはないようでホッとする。

 互いに駆け寄り、状況を確認しあう。信じたくなかった教授の死も動かせない事実と聞き、グラハムは唇を噛んだ。

 相手はガンダム。ケタはずれの化け物とはいえ、たった3機の機体に、こうもやられるとは。基地だけでなく、隊長の責にあるグラハムは自身の部下とフラッグも失ったのだ。消せないくやしさに、こぶしをにぎる。


「いや、一機ですんだのは僥倖だよ」

「・・・・・・・・」

 ―――― え。

 隣から降って来た言葉のイミがとらえられなくて、こちらを見ずにポータブル型の演算システムを開いているカタギリを呆然と見上げた。周囲のせわしない人々の物音が、いやに大きく感じられた。

「撃墜されたフラッグは新型と交戦してる。損傷は激しいだろうが、機体から受けた攻撃のデータが取れるだろう。処理システムは基地内でも無傷なものもあるから、すぐに解析にかかれるよ」

「・・・・・・」

「新型については分からないことだらけだが、あの新しい飛行タイプの武器 ―――― フラッグの傷から何かわかるかも・・・早く回収体制に入れるといいんだが」

「・・・・・・・・・・・・・」

 泥縄方式ではあるが、未知のテクノロジーの集積らしいガンダム。対ガンダムについては現れた際の画像や、交戦したモビルスーツから (それはたいていは破壊され、中のパイロットからの生きた証言がとれることは少なかったのだが) のデータを蓄積し、解析を繰り返していくしか 対処の方はない。

 グラハムもその目で見た、あのカギ爪のような武器。フラッグを完全破壊する威力をもつあれも、いずれ対戦機会のあるだろうユニオンは至急研究しなければならない。どの国よりも先に。

 傷が痛むのだろう、ときおり眉をしかめつつも片腕で性急にボードを叩くカタギリの言葉が続く。その言葉の意味はわかる。納得もいく。だが――――

「よし、フラッグの墜落ポイントは確認できた。あとは回収の人手を ―――― ・・・グラハム」

 キーを打ち込む手を止めたカタギリが グラハムに視線を向け、そして、ハッと言葉を止めた。

「―――――――― ごめん。僕が無神経だった」

 基地のことも、教授のこともあって・・・・気がせいていたんだ。ごめん。

 科学者の目が、友人のものになる。声のトーンも。そして、血のにじんだ白衣の腕が そっと肩におかれた。

 なんでそんな顔をするんだと聞きたかった。
 ガンダムの攻撃を受けた機体を回収し、研究対象に回すのは当然のことだ。
 それは当たり前すぎて、軍人のグラハムにとって良いも悪いも、何の感情も挟まないことのはずなのだ。だから、彼にそんな顔をされる理由はない。置かれた手から伝わる気遣いも、眉を下げ謝られる必要も。

 傷にさわらないように、そっと友人の腕を外した。
「・・・・解析を頼む。ただし、君の治療が終わってからだ、カタギリ」
 腹に力を入れ、答えた声はいつも通り。表情も いつもどおりであるはずだ。けれどカタギリの目から逃れたくて、そのまま背を向けた。一度名を呼ばれたが、振り返らずに進む。
―――― 一機ですんだのは僥倖だよ―――― 頭を切り替えろ。―――― フラッグの傷から何かわかるかも・・・―――― 早く回収体制に――――すぐに解析にかかれるよ―――― 頭を切り替えろ。グラハムは己に言い聞かせた。
 頭を切り替えろ。カタギリにはカタギリのやるべきことがある、自分もしかりだ。足早に基地を進む。他国への威圧を含んだ 誇るべき技術も設備も規模も、すべて破壊によって原始にかえり、戦争の被害で焼かれた町を思い出させる。あれはどこの国だったろうか。グラハムは同情をした。自分の町を焼かれるのは、家を焼かれるのは どんな気持ちなのだろうかと 心から同情をした。ちくしょう、頭を切り替えろ。やらなければいけないことは山積している。今は。


 悲しんでいる場合ではない。
 悲しんでいる場合ではない。
















「悲しい・・・・・か」
 静かな墓地に、自分の声が響いた。
覇気のない、なんだか老人の声のようだと思う。


 ―――― カタギリ、

 あの時 君が私に見せた顔を忘れられない。


 あの時私は、そんな顔をさせてしまうほど、弱い顔をしていたんだろうか?。

 フラッグの話題ができなかった。口が開かず、ただ呆然と友人を見上げて呆けていた。軍付きの科学者である彼が口にして当然の言葉に、ガラにもなくきっと・・・・ショックを受けたのだ。今にして思えば。
 軍人にあるまじき そのぐらつきを、あの時 聡い友人に見てとられてしまったのだろう。
 推測はできる。たぶんそうだ。
けれど、自覚はできない。そんなに悲しかったのか、分からない。



 ―――― どうやら私は


 悲しむのが苦手なんだな。



 悲しいとか苦しいとか、そんな感情を悔しさに変え、怒りに変え、先への行動の力とすることに懸命に没頭した結果、悲しさそのものを処理できなくなっているんだろう。

 直情型・攻撃的と上官に眉をひそめられ、無鉄砲だと友人に心配され、子供のように感情豊かで情熱的と女性に誉められ、グラハム自身もそうなのかと なんとなく人の思 う己の像を信じていたけれど。

 今 自分が悲しいのかすら、本当は分からないような男なのだ。

 本能で悲しみを新型への怒りに変え、決してやぶらない誓いへ変えても、まだ消えないくすぶり。
 なんでだ。人を殺したことも、部下を失ったことも、何度も経験のあることなのに。


「・・・・・・・・・・・・・っ」

 カッ、と血が逆流するような錯覚が起きた。戦場でもないのに。
感情がはねあがり、目の前の墓石を蹴り飛ばし、ふみつけたい衝動にかられる。

 こんなの墓じゃない。こんなの彼でもない。
 なんなんだ。
 こんなものいらない。
 こんなのいらないこんなのいらない。

「・・・・・・・・」
 実際にそんな不道徳ができるはずもなく、押さえつける理性の制動に、胃がきしんだ。崩れるように座り込み、破壊衝動を綺麗に整えられた芝をつかむことで ごまかした。キシリ、と 砂をかむような音がたつ。不快だった。

 34日たっても、なくならない。もっとたったら。誓いが果たせたら。
この焦燥は なくなるんだろうか。この石がくすみ、ひびができ、苔が生えて、墓になれば。子供の頃の自分を怯えさせたような、恐ろしい墓の空気を持つようになれば。

 苦しい。

 呼吸に意識を向ける。
目を伏せ、三度落ち着いて呼吸を繰り返すと、鍛えられた体は すぐに平静を取り戻した。
 胃なのか、腹の底は ずっとにじるような痛みがあるけれど。


「・・・まるで子供の癇癪だ」
 笑いたい。笑うか泣くかしたかった。

 合同葬儀に出席し、彼の遺族と挨拶をしても、グラハムのまわりの世界が平常に戻っても 墓の前で誓いをたてても 何度も何度も ここに足を運んでも。

 結局のところ、まだ認めていないのだ。認められないのだ。


 こぶしを開く。むしりとってしまった芝が、はらりと落ちた。


「ハワード・メイスン・・・・」
 部下の名前。
平常に戻っても、もう、それを呼びかける日常は 自分にはないのだった。




 悲しいのは。

 悲しいのは、きっと。








 何か言いたかったんだろうか。
 何か聞きたかったんだろうか。
 何か、やり残したまま。
 何か、何か、何か、










 頭上を鳥の群れが渡った。
一瞬、その陰に包まれて周囲が暗くなる。

 鳥達が通りすぎるのと同時に、また元の明るさへと戻るけれど、来た時よりも日はかげっていて。


 ―――― そろそろ戻らなければならない。

 立ち上がる。切るように きびすを返した。


 遠くに基地が見える。カタギリは まだ研究室に詰めているだろうか。ひょっとしたら、彼はグラハムがここに来ていることを知っているのかもしれない。



 一度立ち止まり、振り返る。
やはり来た時と何も変わらない、小奇麗な石がそこにあるだけだった。それでも。



 ―――― またここに来てしまうのだろう。



 新しい石も、彫られた名前のあとにも、
愛着など、とても芽生えそうにないけれど。









end














ハワードかっこよかったよ。フラッグ隊大好き。
なんかカタギリやな奴っぽくなってしまってすみません。
イダクルト '08 2/22